『教師』という地位
「全国的な教員不足」
教員という仕事を取り巻く問題の一つである教員不足の原因を我ながら考えてみた結果一つの答えに辿り着いた。
教師の地位が低い
海外では教師には皆敬意を払い、社会的な信用も非常に高いそうだ。また、給料も高く生活にも仕事にも非常に余裕を持って取り組めているそう。
一方日本ではどうだろう?
自己紹介の時「教員やってます!」と言うと一言目は「すごい!」と言う言葉が出てきて、二言目には「教師ってやっぱり大変なんでしょ?」と言われる。社会的に『教師=大変な仕事』と言うイメージができている。
生徒は教師がなんぼのもんじゃい!と食ってかかってきたり、J-popの中に出てくる教師像は8割が若者の敵と言うスタンスで歌われている。
保護者からはいつでも学校にいて当然、電話に出れないのはおかしいなど文句言われたい放題。
教師という仕事の評価は決して低くないはずなのに、地位は低い。
日本の”おもてなし精神”
東京五輪誘致の際に流行った「お・も・て・な・し」という言葉。
日本人の美徳でもあり、自らの首を絞める要因にもなっている気がする。
教員の場合は「生徒の為ならこのぐらいやって当然!」という生徒に対するおもてなし精神が強すぎるように感じる。
高い志を持った人が教員になっている為であることと、保護者や管理職からの目を気にしてしまっているせいだろうか…
本来、お金の為に働くべきであるのに勤務中の全てを”生徒のため”と言い換えて仕事をしている人が多すぎるような気がする。
その”おもてなし精神”が浸透し過ぎてしまった結果、保護者は「教員はなんでも言うことを聞いてくれる」と勘違いし、生徒は「教師は親同様に自分を愛してくれて当然の存在であり多少のワガママも受け入れてくれる」と勘違いする。
やがて学校内での立場が『保護者・生徒>>教師』という感じになる。
教師は保護者や生徒の執事でありメイドであり奴隷と化す。そして社会的にもこのヒエラルキーは浸透し、教師の地位が低くなる。
本来、他人の人生に大きく介入する仕事は社会的な地位が向上する傾向にあるそうだ。医師や弁護士などがその代表であるが、教師も同じくらいの社会的地位はあっていいはずなのに…無い。
結果的に優秀な人間が教師という進路を辞め、他の進路へ進んでしまう。
それでは教育現場には優秀な人材は集まらず、教師の仕事の地位がさらに下がってしまう。
最悪のループに現在進行形ではまってしまっているのが現在の教育業界であるといえる。
教員ももっとお金の話をしよう
公立はともかく、私立校はもっとお金に貪欲になっていいと思う。
いいサービスにはそれなりの対価を求めるべきであり、もらっている報酬以上の仕事をする必要は全くないはずだ。
教師は慈善団体でもNPO法人でもない。
一人の社会人であり企業人であり人間である。
対価を求めて当然であり、教育のプロとして対価に応じたサービスをするのも当然である。
このような風潮が生徒・保護者に広まれば教育業界に優秀な人材が集まり、教師の地位も向上していくのでは無いのかと考えている。
今の教師自身も「生徒のために働くのが当たり前」と考えている人が多い。
本当に教育業界は「お金が全てじゃない」みたいな言葉が好きだ。
お金なんです!
自分の尊厳を守るのも
職場の環境を変えるのも
相手に良いサービスを提供するのも
教師の地位を向上させるのも
まずはこちらから変わっていこう。
今の大学で単位を取れば取得できる免許制度と、教員不足に嘆いて適当に応募しても働けてしまうザルみたいな教育現場ではまだまだ遠い話でしょうが…