夏休みの小一日。祝島と錦川清流線
夏休みで山口にある親戚の家に行くことになった。台風の影響が去った翌日、1日自由にしていい日をもらう。しかし、山陽本線の最寄り駅に行くと、改札口に倒竹の影響で9時半まで不通との看板が立っていた。今日は島めぐりと未乗の第三セクター鉄道である錦川鉄道に乗る…予定だったのだが、出鼻をくじかれる形となった。
仕方なく駅前でタクシーを捕まえ、柳井港へ向かう。運転手は行き先を聞いて上機嫌。帰省してきた息子のことや一風変わった素麺のつゆの作り方などを教えてもらう。柳井港から松山へ行くフェリーに乗ると勘違いしたのか、運転手として同行した四国八十八カ所巡りの武勇伝も聞いた。予定の列車よりやや遅れたものの、祝島へ行く1日3本しかない船便の時間には間に合った。運賃は1万円を超えたが、致し方ない。
松山行きのフェリー乗り場の片隅に停泊している小さな祝島行きの船に乗り込む。運賃は1610円。窓口で渡された切符には、乗船券ではなく上陸券と書いてあった。パラパラと雨が降っているが、そこまで暑くはない。船の乗客は小さい子どものいる家族と釣り客。船は上関航運といって、ここから半島と離島で形成される上関町の港を結んでいる。
左手に周防大島を眺めながら、波の上下動とエンジンの揺れでうとうとするうちに、上関町の中心地である室津に着く。ここで多くの客が乗り込み、生活物資も満載になった。時刻表上では、ここから祝島へ行くまでにいくつか小さな港にも立ち寄ることになっているが、乗降客も荷物の積み込みもなかったためか、どこにも寄港せずに祝島には10分早く到着した。
船が着くと迎えに来た島民で港はにぎわっていた。あちこちで「お帰り」という声が聞こえる。祝島は大学を卒業して東京で就職した直後、ポレポレ東中野という単館系の映画館でドキュメンタリー映画を見て以来、いつか行ってみたいと思っていた。
島には至る所にネコがいる。集落の路地に入ると、石積みの練塀に囲まれている。くねくねとしてまるで迷路のようだ。どこからが個人宅の領域なのかもよく分からない。そもそもそういう境界がこの島にはないのかもしれない。山の中腹に見える休校中の学校を目指して行くと、途中でトラクターが荷台を引いているのとすれ違う。ここではテーラーと呼ばれているらしい。狭い路地と坂道ばかりのこの島にとって、最適化された運搬手段なのだろう。段々畑の至る所にビワの木が植えられている。そしてセミ時雨。
港に戻ると、日差しは暑いが心地よい潮風が吹いてくる。港で店を開いていた古民家を改装した喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、帰りの船を待つ。店主によると、昨日まで台風の影響で船が欠航していたため、人も荷物も多かったのではないかとのことだった。
柳井港には予定通りの時刻に到着した。道路を渡ってすぐの柳井港駅に向かう。倒竹の影響から回復した岩国行きの電車に乗る。線路は瀬戸内海に沿って走る。次の大畠で周防大島に渡る橋の下をくぐり、松山から来たフェリーとすれ違う。
今や希少な国鉄時代から走る115系電車。旅情は言うことなしだが、窓が汚れているのがちょっと残念だ。終点の岩国の手前、南岩国の駅前には岩国名物のレンコン畑が広がり、大きな白い花が咲いている。
岩国には定刻で到着。わずか3分の乗り継ぎで駅の端にある0番ホームから発車する錦川鉄道のディーゼルカーに間に合う。次の西岩国は一時期、岩国駅を名乗った時代もあり、立派な駅舎がある。山の中腹に岩国城が見える。おそらく麓には錦帯橋があるはずだが、車内からその姿は見えない。その次の川西駅が岩徳線と錦川鉄道の分岐駅だが、駅は単線の無人駅。実際はここからしばらく走った山の中の信号所で分かれる。
山の中に突然、新幹線の駅が出現すると、新岩国駅と徒歩で乗り換えができる清流新岩国。ここから進行方向右手に川を眺めながら、ディーゼルカーは山に分け入る。北河内で対向列車とすれ違い、いくつか沢から川に流れ込む滝を眺めつつ、終点の錦町に到着する。錦川清流線の前身である国鉄岩日線の歴史展示室やその未成線の路盤を活用した観光施設「トコトコトレイン」が到着する様子を眺めつつ、駅の売店で地元の酒造のワンカップとつまみを買い込む。
実は錦川鉄道のディーゼルカーには、各座席に折り畳み式のテーブルが備え付けてある。いかにもおあつらえ向きのこの席で、川面を肴に、新岩国まで一杯やろうと思う。