転職したらめっちゃ退屈できついんだが
あと1か月くらいしたら梅雨が明けて夏がやってくる模様で
つまり自分にとっては転職してから10ヶ月が過ぎることを意味している。
前職を8年勤めていて、そこから異業種への転職となったので新しい職場は別世界のように感じた。
間違いなく今の会社と前の会社には労働環境面で落差がありここは劇的に変わったと感じる。
定時で帰れて残業もほとんどなく、給料も上がり仕事にも慣れとても順風満帆に思えたが、ふとした時に思ってしまう。
"この仕事ずっと続けるんか?"
いかんせん退屈する。
これまで培ってきた社会適応能力とは馬が合わないように感じてしまう。
前の仕事は休みなく24時間トラブル対応もするコンシェルジュのような仕事だったので、ストレス負荷は相当にあったしそれが転職をしたいと思った理由でもあった。
今の仕事は急な予定が入らないから1日の行動計画が立てられる。
つまり1日が予定調和で過ぎ去っていく。
ようやく希望通りの会社に転職したのに、こんなふうに感じるなんて思いもよらなかった。
現職は1日の中で刺激したり未知へと誘う”偶発的な事件”がほとんど発生しない。
ダイナミズムがなく、学生の頃にやっていたスーパーのアルバイトみたいな感覚を覚えてしまう。
同期2人と昼飯を食べていて、この感覚を話したら2人も同じことを考えていたようだった。
ということは、これは前職の環境が染み付いたことや仕事を真剣に取り組んでいないなどの事だけが原因ではないかもな。と思った。
その際にふと、大学生の頃によくTEDで見ていたショーン・エイカーさんの幸福に関する講義の1コマを思い出した。
思い出した箇所はこれ
自分が今の環境に慣れてしまって、以前まであった理想の労働環境が知らぬ間に更新されていたのか。
確かに入社決まってから実際に入社するまでの期間が一番よかったよなと思い返してしまった。
一度浮かんでしまったこの感覚をどう変容させていけばいいのかは今後向き合っていく必要があるだろう。
ところで、今朝「静かな退職」が世界的に流行っているというニュースを見た。
「静かな退職」とは、組織に在籍しながらも契約通りの仕事だけを淡々と行い、退職したかのように精神的な余裕を持って働くこと。
また、さらにそれを拡大した「最低限の月曜日」という言葉も論議を呼んでいるらしい。
パンデミックで明るみになった労働間のギャップや昨今のグローバル企業による大量解雇などの副作用として、立ち上がった概念とのことだが、
思えばオーウェンが1日8時間労働を提唱してから200年、フォードが1週間の労働時間を40時間に提案してから早100年。
技術革新が進む中、いまだに労働時間が変わらないことに対する疑問が叫ばれて久しいが、週休3日にするなどの動きを見ても、いよいよ改革せざるを得ない時期に来ているのだと思った。
資本主義と技術革新は社会にとっては良いかもしれないが、労働者にとっては最悪で、無限に加速していく資本主義を続けるためにも歯車を回す
「搾取される人間」が倒れないようギリギリのラインを見定めているのだろう。
中国の「寝そべり族」などもこれらの副作用、または静かな反抗によるものだろう。
米国の若者を覆う「Doomer」ミームも似ている。
この潮流はこれから加速していくのか、いち労働者としてとても気になるところ。
あー暇だ、でもだからといってたくさん働くのは嫌だなぁ。
願わくば1週間のうち2日は肉体労働で2日はオフィスワークとかハイブリッドで労働したい。って思う気持ちも
いざその仕事をやり出したらまた他の欲求が出てくるんだろうな。
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