23.1.12 大人になれない僕らの
こんばんは、多部栄次です。
ぼちぼち日記やっていきましょう。
この歳にもなって世間や現実を知らないと結構苦しい思いをしますね。自覚はしているんですが、小学生から今に至るまで幼稚だと言われ続けたときのショックは大きいですね(自覚してねぇじゃん)。
いやぁ…まぁ振り返ってみれば子どもっぽいことばっかりしていたような気もしています。一般常識もあるとは言えませんし、それに伴って視えている景色もきっと狭いと思います。
大人ってなんでしょうね。社会で働いて、いろんな人と仕事をして、家族を築けば大人に少しでも近づけるのでしょうか。まぁそれがなくても大人って感じの人はごまんといますけど。
なんといいますか、反抗期を迎えてない時点で自分は中二で止まっているんですよね。反骨心や(建設的な)反論してようやくその段階を乗り越えられると僕は思ってます。
ただ歳をとっても成長できなくなった時が大人と呼ばれるようになる時という言葉が最近印象的に残っていますが、それはそうと自分なりに考える大人の境目は、
他にもいろいろあると思います。愚痴を言わないとか言葉遣いや礼儀正しいとか、お金を稼げる人とか。
ですが自分にとって大人になることの基準は上記の三つかなと考えています。これが自分にできているかはわからな…すいませんできていません。
これら三つを為すことで、信用や信頼が生まれるでしょう。畢竟、お互いに信用できる関係を創り上げられる人が、大人ではないのでしょうか。
まぁそもそも何ができているから大人とか何ができてないから子どもだとかという議論は不毛ですので、こういうのはあくまで自分の中で済ませておくことではありますが。少なくとも、自分の価値基準ひとつで自他問わず人の精神年齢を測るほどおこがましいことはないでしょう。
大人かどうか、能力あるかどうか、信頼に値する人であるかどうか。それを決めるのは自分ではなく他人だと考えてます。自分が決めるのは、そういった何かとの比較ではなくこれからどうするか、何をどう行動するかに尽きるのではないでしょうか。それで長いこと悩むくらいなら前に進もうよって話で。あ、他にもあるみたいですね。もっと勉強します。
僕みたいにこだわって大人になりたいと思うなら、まずは信用される行いを積み上げることなんじゃないかなと。一日一善ですね。僕が今年引いたおみくじにもそれをするよう書かれていましたし(?)
挨拶や感謝、素直な謝罪、笑顔、約束を守ること、否定せずまずは受け入れること、頼まれたことや言われたことは全力で応えること、できないことはできないと早めに伝えること、誰かが喜ぶような何かを小さくてもいいから与えること…いろいろあるかと思います。耳が痛いですね。あれ、僕の耳どこにいきました?
まずはそこから始めていこうと思います。まだ学生のみではありますが、社会に出れば気づくことがたくさんあると思うので、そのときにまた価値観が大きく変わると思います。そういう意味でも、早く社会に出て荒波に揉まれたいと思います。僕の場合そのまま溺れ死にそうですが。
もちろん楽はしたいです。したいのですが、その道を選ぶときっと、嫌いな自分になってしまいそうな気がします。自分にとって、自分の身近な人にとって誇れる自分になれないのではないか、誰かを喜ばせることができない人間になるのではないかと。それは死にたくなるくらい嫌なんですよね。きれいごと言っているかもしれませんが、綺麗ごとくらいこういう場所で言っておかないと僕の脆弱な精神はきっと萎んで枯れていくでしょう。もう既に枯れてるって? またまた。
きっと、いくつになっても大人になれないのかもしれない。そう思う僕もいます。鎧を纏うに過ぎないのだと。それでもいいんです。そういうものなんです。今の僕にはその鎧どころか武器さえも持っていないのですから。
素敵な画像もお借りしました。kei02さん、ありがとうございます。
それではおやすみなさい。明日も良い一日を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?