永遠に満たされない自信のなさ
どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。
写真をはじめてもうすぐ4年が経とうとしています。
その間、花や動物、観光地での記録撮影から始まり、プロレス撮影の面白さにのめり込み、都合あってスナップとポートレートを頻繁に撮るようになって。
色んな被写体と触れ合いながら過ごしてきました。
特にポートレートを始めるようになって、写真に対しての「満足度」のような尺度を気にするようになりました。
今回は、その満足度に起因した「自信の無さ」に対しての雑感を書いてみます。
ポートレートへの不安
以前、ポートレート撮影に対してのプレッシャーについて書きました。
慣れないポートレートというジャンル、そして商品として販売される訳ですから、購入者=ファンの方からも注視されます。
記事を書いている時から燻ぶっていたのは、「果たしてモデルやファンはクオリティに満足しているのだろうか」という漠然とした不安です。
写真の世界は上を見ればキリがないですし、ましてアマチュアの趣味カメラマンが撮影した写真など、掃いて捨てるほど世の中に転がっているような代物と考えています。
機材でも実力でも中途半端なのですから、後ろ盾となるような安心材料がなく、常に自分の写真や行いに疑いの目を向けざるを得ません。
自信の喪失
そんな中でも、マインドセットを取り入れて精神面の補強を行おうとしてきました。
とにかく休みなく撮影と編集をこなし、写真に関わらない日など無い状態にしました。
上達させるには、考えを巡らせて質を上げ、回数をこなす。とにかくがむしゃらに取り組みました。
1か月程度、週末に撮影して1週間かけて編集、また週末に撮影と繰り返しました。そんなおり、体力的にも精神的にも少し疲れが来てしまいました。
どこかに区切りがあるわけでなく、「次の撮影までに編集を終わらせなくては」というムチで走りづ付ける状態。
1か月間、楽しんでいないと言えば嘘になりますが、どちらかと言えば「相手を満足させる写真は」を常に考えていて、「悪くないけど満足できない、してはいけない」という状態に支配されていました。
モデルさんに色々有難い言葉をかけてもらえていましたが、頭の中は一向に満足いくことのない渇きが広がっていたのです。
1か月経って、自分の写真へ自信が付くことはありませんでした。
追い打ち
1か月の詰め込み期間のあと、少し休んでみようと2週間ほど撮影を控えていました。
プレッシャーからは解放されましたが、後に控えているのは商業撮影です。眉間に銃口を突き付けられたような、逃げ場のない重圧です。
一方で、SNSでは日常が回っています。多くの写真アカウントをフォローしている私のタイムラインには、作品が日々投稿されていきます。
自分のアウトプットとの絶対的な差は何か、自分は何を変えればそこに到達できるのか、現に何もしていない自分は、と思考はとどまることを知りませんでした。
また詳細は省きますが、私のかすかに残った自信を砕いてしまう事態にも直面しました。
いよいよもって「何のために撮っているのか」「これまで撮ってきた写真に価値はあるのか」と苛まれるようになり、私生活に影響を及ぼすようになりました。
救い
全てが嫌になった時、救いになったのは他でもないモデルさんでした。
撮った作品に対してのインプレッション、数値的には「いいね」などの数が伸び悩んでいたり、他のカメラマンと比較して稚拙な作品と捉えていたものが、モデルさんから見たら違うということでした。
「自分の見せ方の幅が広がった」「気づいていなかった個性や良いところを引き出してもらえた」というのです。
写真の出来ではなく、撮影を通じた体験や心境といった部分に、私とのかかわりの中で魅力を感じて頂けた、と。
ポートレートの難しさは、カメラとモデルの2要素が必要ということです。だからこそ、冒頭で触れた「満足度」という評価軸が生まれます。
ただ私は忘れていました。それは、カメラ1人で悩み続けるのは独りよがりであるということです。
自分の技術と向き合うのは必要ですが、それと同等かそれ以上にモデルに向き合わないといけないのです。
私がモデルさんにできていること、それは「それぞれの魅力を感じて、それを他の人に伝わるよう表現すること」。
その点は認めて、もっと新しい魅力を引き出せるよう思考を巡らせることが、今すべきことと気づかせてもらいました。
永遠に満たされない自信のなさ
気持ちを持ち直したものの、写真を撮っていないので技術的には何も変わっていません。
しかし自己分析をしていくと、「どこまで行っても永遠に実力を満足できない」という完璧主義的な考えに行き着きました。
つまり、どこまで努力したり場数をこなしたところで、私はその時の現状に満足はしないのです。
「過去最高の自分を更新し続ける」という考え方が好きですが、自分に当てはめるなら「今の自分を過去最低にし続ける」な脳をしている気がします。
どこまでいっても自分には足りない物や伸ばしていく要素があって、今後提供しうる良さがそこにあるのなら、永遠に満足することのない積み重ねをしていくことになると考えています。
どこかで満足するようなら、それは驕りであって怠慢である、と。
あるいみ趣味の域をはみ出してしまっている気はしますが、多少なりとも周囲から期待を頂いています。楽しいだけではなく、それなりの苦労を伴っていかなければ、期待を裏切る結果にもなりかねないです。
アウトプットには責任をもち、技術やセンスには常に疑問を抱き続ける。これを確立してきたいです。
そしてなにより、私を評価してくださる方々に最大限の感謝を送り、ステキなモデルさんに最大限のリスペクトを示すことを忘れずにいたいと思います。