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憧れのフォトグラファーさんの写真展に行った話|写真の奥深さについて

どうも、プロレスとか役者さんポートレートを撮っているたかはしです。

先日、憧れのフォトグラファーさんである”ビーバー”さんの個展「記憶の海を泳ぐ」へ行ってまいりました。

写真展に行っても鑑賞だけして帰ってしまう私ですが、今回はビーバーさんご本人と、じっくりお話しすることができました。
お話を聞く中で特に印象に残った

・視点の拡張
・写真と時空間

について、備忘録も兼ねて記事にしたいと思います。

視点の拡張

ビーバーさんの写真との出会いは、とある写真展の展示でした。
3枚組の写真で、上述の個展のモデルさんである柊里杏さんを写したもの。

一目見た私は、その3葉を前に立ち尽くしてしまいました。
時間にして5分ほどでしょうか。
モデルの存在感、画角内の取捨選択、色味、すべてが過不足なく1枚に完成されているように感じられて。

我を取り戻したところで、その写真たちが受賞作品であることを知りました。
写真展での最優秀賞です。
ですが、賞という実績以上に私の心に突き刺さるものがあったのです。
私が目指したい像の1つがそこにありました。

今回個展に伺ったのは、ビーバーさんの写真表現の一端でも掴みたいという目的のためです。
幸いにも空いている時間に伺えたので、じっくりお話しを聞かせていただくことが出来ました。

ビーバーさんへ直接話を聞いたところ、
・一脚を使って高いところから撮影した
・標準レンズでは狭かったので広角レンズを使用した
という技術的な話がまず。
そのうえで、核心を突く一言がありました。

普通の人より、違う視点について考えることが多いからですかね

ビーバーさんは車椅子で生活されています。
当然撮影時も車椅子。
その制限を踏まえて、様々な工夫で視点を広げようと試行錯誤していらっしゃいました。

私はどうだろうかと自問しました。
カメラを持たない人よりは視点の幅は広いとは思います。
でも、工夫を凝らして視点を拡張するまで考えたのかと。
自分が狭い世界でしか考えられていなかったなと。

そして考えが至れないということは、当然撮影レパートリーにも選択肢がないわけで。
どう頑張ってもその構図で撮影できない
ことになります。
写真を撮り始めて4年半が経過しますが、考えが甘いなと実感しました。

写真と時空間

続いて花をバックに撮影した写真についてお話を聞かせていただきました。
紫陽花や椿、向日葵など、四季折々の花と共に撮影されていました。

その点だけ見れば何ともない話でしたが、続く言葉の深さはハッとさせられました。

この花が100年前もここで咲いてたら、同じ景色が見れたでしょうね
100年後もこの花が残っていたら、この写真と同じ景色で撮れるのでしょう

時間軸の捉え方がまるで違いました。
私は、モデルさんのその瞬間の良さを捉えつつ、静止画に物語性を持たせることで、あたかも時間軸が存在するかのような表現を目指しています。
つまり瞬間を捉えたものの。
ビーバーさんのお話は、写真があたかも動画のように連続して過去にも未来にも繋がっている、と捉えられました。

そしてそれは人だけでなく、場所や草花も同じです。
諸行無常、移り変わるものもあれば、残り続けるものもある。
もっと拡張された時間軸で考えることが、写真表現の拡張にも繋がると感じました。

写真展は出会いと学びの宝庫

以前にも写真展を見に行ってハートブレイクした記事を書きました。
自分はまだどのジャンルにおいても写真展に出せるほどの技量はなく、何かの賞を頂くことなど到底かなわぬ状況です。

それでも自分の甘さを受け止め、目指すべき方向性を探し求めるきっかけになるのも写真展だと実感しました。
何より、ビーバーさんに認知いただいていたことは光栄の極みでしたし、私の写真に対する考え方をある程度共感いただけたことで自身にもつながりました。

12月もいくつか写真展に行く機会を設けようと思っているので、いまからどんな出会いと学びがあるか楽しみです。
もし一緒に行ってディスカッションしてくれる方がいればありがたい限りです…

それでは!

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たかはしあさぎ
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