
他者は鏡
自分を知ろうとしている人は他者をわかろうと努力する人だと思う
何でも知った気でいると、知ろう、わかろうとする努力は終わってしまう
あり方なんだよね
わかろうとしている最中って好奇心を持ち続けられて謙虚でいられること
だからといって、わかってないわけではない・・・進行中
私の大好きな方達からこのあり方を学びました♡
❝わかろうとしている❞のは 行動している、動き続けているということでもあるなーと思った
よく、地球は行動の星と言われていて
目に見える形では、外へ出ること、アクティブに動くことだとはわかってるけど、動いて下さい、行動しないのはダメですよーって感じに私には聞こえてて、積極的に外に出るのが得意ではない私には耳が痛くって
この言葉を聞くたびに拗ねて、どうせ私にはできない・・・っていじけてた
目に見えない形での行動って何だろう?って疑問が湧いて、出てきたのが
わかろう 知ろうとする あり方 だった
これならいままでもやってるし、続けられるって心がラクになって
静も動も自分の心地いいバランスで行動すればいいに 落ち着いた。
話を戻すと
自分の知っていることを知っているのは、誰しもが当たり前で
それを全て知っていると勘違いしているのは思考停止している状態で
知っているつもりは なんにも知らないのと同じ
「わたしのこと なんもわからないくせに」
「わたしのことは誰からも理解してもらえない」って言ってる人は
自分自身が自分の事を なーんにも知らないんだなーって思う
「わたしはこういう人だから」って知ってるから
もう知ろうとしなくてもいいってしてしまってる
自分自身を知ろうとする思考が停止してるから
外側に向けて自分の正解を求める
なにをもって自分を知ってるとしているか
魂の声は自分になにを知ってもらいたいのか
自分の中の知っていると、自分の中の知って欲しい
それぞれの「知る」の❝質❞が一致していなくて乖離している状態なんじゃないかな
自分のことを知ったつもりで、知らないでいて知ろうとしないのは
他者に対しても同じ態度をとっているし、同じ態度をとられてる
自分の潜在意識が現象をつくりだしているってことに繋がる!
自分以外からしか 自分を知ることはできない
これは真理・ことわり。揺るがないもの。
他者は鏡だから
鏡を見ないと自分は映らない
自分の周りにいる人をみて自分を知る
周りに沢山いる人は、その一人一人から自分を見つけられるし
たとえ一人しかいなかったとしても、その一人の人から沢山の自分を見つけることができる
人が多いか少ないかではなくて
自分がどれだけ自分のことを知ろうとしているかで
受け取る量、その質が変わってくる
選り好みをしていると自分の大切なものを見逃してしまうこともあるけど
どっちみち向き合うことになるから大丈夫
自分の事を知らないと認めて
わからないから知ろうする努力をするということは
自分は自分、他者は他者という分離がなくなって
他者の中にある自分を見出すことができる
他者を自分を映し出している鏡だとしっかりと認識したら
これは私、これはあなたって線引きがなくなって
自分の中に一つの争いがなくなり、一つの平穏が生まれる
それを日常でやれるありがたさ
私の鏡となってくれている
他者の存在が尊い
誰かの鏡となっている
自分の存在も尊い
自分と向き合っていると自分と向き合っていない人がわかる
これは、直感とかインスピレーションとかではなくて
信頼と実績!!
誰にでも持てる能力。