嵐を見てきた、わたしの見ていた景色
noteで #嵐の思い出 なんていう企画がされていることが、本当にすごいことだと思う。嵐はいつの間にかこんなに世間に愛されるグループになったんだと改めて実感する。"国民的"という冠は、嘘じゃなかったのかもしれない。
というのも、わたしが嵐を好きになったときは、まったく本当にまったくそんな雰囲気ではなかったから。5人がとかではなく、世間が、だ。
だれに向けて、というわけではないけれど、今日はわたしの嵐の思い出を書いてみようと思う。きっと長くなるけれど、許してほしい。ある一人のファンが見た景色だからいろんなフィルタがかかっているんだけど、嵐を見てきたわたしの視点の話。
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2001年の春。話すと長くなるから割愛するけど、ファンになったのはそのあたり。中学2年生のわたしは嵐が出演する番組をチェックしてCDを買いはじめた。嵐がデビューする前から彼らのことは知っていたけど、『8時だJ』は"見ないといじめられる"ゆえ見ていた番組だった。特別見たかったわけではない。
だけど、2001年にわたしは自らの意思でファンを始めた。でも8Jを見ていた同級生たちの中でジャニーズはすでに過去のものになっていて、そんな人たちに嵐のことが好きだと告げても「へえ、あんなにダサいのに?」とか「人気ないのに」なんて返事が返ってきていた。小さな、田舎の中学校の中での話だ。
その経験もあって、わたしは今でも自分から「ジャニーズが好きだ」と言うことができない。もう20年近く好きなのに、それを隠そうとしてしまう。20年も好きならもう立派なアイデンティティなのにね、なんて自嘲もしたくなるけど、もう癖だからどうしようもない。
現実世界で同志が見つけられなかったわたしは、インターネットの世界で嵐について話ができる友人を求めていた。ファンが作った掲示板に入り浸っていたし、チャットルームに入ってネットで知り合った友人とああだこうだと話をしながら夜更かししたこともしばしば。
しばらくすると嵐の番組はどんどん少なくなって、レギュラー番組は関東ローカルばかりだった。新潟に住むわたしに届くのは、何ヶ月か先になる。歯がゆかった。だからこそ「絶対高校出たら東京に行く」と決意を強く抱くようになった。
それでもテレビの中の嵐は楽しそうだった。明け方の奈良公園で鹿にアテレコしてみたり、そのあとにおばかな実験もたくさんしていたり。彼らは楽しそうだったけど、強くまっすぐ未来を見据えてもいた。「トップになろうって夢、絶対叶えようね」なんて言っていたのもこのころだったし、「ジャニーズ? 興味ないっすね」なんて言う世間に「アイドルがどれほどか見せてやるよ」と睨むような目で翔さんが歌っていたのもこのころ。
なかなか嵐が売れなかった2005年ごろ、インターネット掲示板でやりとりしていた年上のお姉さんが突然嵐ファンを辞めると宣言したことがあった。理由は「現実世界で嵐を好きだと言えない。そんな自分が嫌だから」だという。そうか、わたしのまわりだけじゃない。売れていない嵐を好きだと言うことは恥ずかしいことなんだと学んだけど、悔しかった。これはわたしが高校3年生のときの話。
しかしそれから嵐は、なぜだか、突然に人気になっていく。もうこのときの感情をどう伝えたらいいのかわからないんだけど、本当に突然変異としか言えなくて。潤くんが出演したドラマ『花より男子』があり、ハリウッド二宮が渡米した後、気づいたときには「嵐好きなんだよね」と嬉々と話す人が増えていた。「コンサート行ってみたいな」なんて言い出す人も急増して、気づいたら年に2回も東京ドーム公演をさせてもらえて、その後には国立競技場をも埋めた。
全然ついていけなかった。世間が手のひらを返していくことに、好奇の目にさらされることに、居心地の悪さしか感じなかった。
「嵐ださいのに?」と言っていた同級生が嵐のライブに行ったらしい。mixiで知ったとき、めまいがした。
もちろんうれしいこともたくさんあった。Mステの歌う順番は後の方になっていったし、まさか紅白にも出れて、さらには5人で司会までさせてもらえた。大きなお仕事が決まるたびにツイッターにはどよめきが並ぶ。うれしい反面、嵐はずいぶんと遠いところに行ってしまったのかもしれないと少しさみしい気持ちも感じていたから。
とはいえ、本人たちは相変わらず楽しそうに乳首あきTシャツを着たり、マッチョくんを倒したりしていたし、国立競技場のライブのMCで久しぶりに缶蹴りをしていたこともあった。(アリーナツアーをしていたころに缶蹴りやっていたから、国立でもやりたかったらしい。)
たまにそうやって、相変わらずなところを見ては安心していたけれど、そのころまた別の、長く嵐を応援していた友人が嵐のファンを辞めると話していた。「わたし一人が応援しなくても、嵐はもう人気だから」と話す彼女の気持ちは、痛いほどわかる。昔からのファンは、ここでも世間から置いてけぼりだった。5人はこれまで通りでも、世間はそうではない。
2012年のアラフェスを国立競技場で見たわたしも「もういいや」と思った。オーケストラを背負って歌う嵐を見て本当に大きくなったんだとうれしくなったけど、ファンが選ぶ好きなシングル曲ランキング上位の曲はどれも最新の曲でひどく悲しくなったから。文字通り爆発的に人気が高まったあとの世間にもうついていくのはやめた。古参と新規の争いにもほとほと疲れた。もういいや。ちょうどチケットも取れなくなったし、お茶の間からゆるゆる応援するよ。
それからはテレビや雑誌をたまに見て、たったひとつの自分名義のチケットが当たれば現場に行くくらいだった。
でも結果的に今でも嵐が好きなのは変わらなくて。すばるくんがエイトを抜けて、タキツバが表舞台から去ってしまっても嵐は変わらず嵐なんだと思っていた。
だけど日曜、嵐は2020年で休止するのだとニュースが告げた。
慌ててファンクラブサイトで動画を見たけれど、正直全然悲しくならなかった。嵐らしすぎて、納得しかできなかった。
そっかあ、さとしくん休みたいかあ。
これまでも辞めたいことがあったと言っていたさとしくんが、自由を求めることはとても自然だったし、解散ではなく休止なのであればいつかまた生きているうちに再開するんだろう。まさきくんだって、すでに再開を視野に入れたコメントをしているんだから。5人で決めたんだし、むしろここまでよく走ったよね、お互い。
記者会見も、実に嵐らしかった。どこを切り取っても、あのころ、2001年に好きになったころまま、嵐は大人になっていた。どんなに世間の風が変わっても、5人がいい意味でそのままだった。平和で、互いを思いやっている。誰かを落として笑いを取ったりしない。そんな嵐が好きだ。動画も会見もそうだった。
世間がいろいろ言うだろうとワイドショーは見ないようにしていたけれど、どうやらテレビ局には嵐のことを好きな人がたくさんいたみたいで、むやみにゴシップネタとして取り上げたというたぐいの話はわたしのところには届いていなくて。
ああ、世間も、嵐が好きなんだなあ、なんて思ったらすごくうれしくてたまらなくなった。わたしの好きな平和な嵐を、みんなも好きなんだなあと思ったら、急に世界が味方に思えた。
もちろん、そんな平和な世界を築き上げたのは彼ら5人の人となりなんだけど、なんか、ようやく「嵐が好き」と人に話してもいいんじゃないかなと思うことができた。そう思ったから、このnoteを書いている。
そんな2019年の冬。だいぶ長文になってしまったね。
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嵐には『僕の見ている景色』というアルバムがある。その次のアルバム名を決めるときに「『僕の見ている景色』のその先ってどんな世界なんだろうね」とメンバーみんなで話して、彼らは翌年『Beautiful World』という名前のアルバムを発表している。
嵐が見る景色もわたしたちが見る景色も、変わらずやさしく美しい世界でありますように。
読んでもらえてうれしいです!とにかくありがとうと伝えたい!