2022/12/22 終の住処
「パンッパンッパパッパパン!ファミリィィィィー!」
去年のクリスマスイブ。
華金のキラキラに包まれた丸の内仲通りは彼女ナシの非リアにとって最高に鬱屈を覚える場所だった。
イヤホンで耳を塞ぎ「独りでも恥ずかしくない」と自分に言い聞かせながら、少しでも世の中の浮かれた気分を味わいたくて丸の内を歩いた。だってせっかくのクリスマスイブだったから。
そんな時YouTubeのおすすめ欄に出てきたのがEvisjapというグループの「人生楽しんでる人たち」という動画だった。港区白金の一等地で友達とシェアハウスをしながら高い肉を食べ、浴びるように酒を飲み、ゲームをしてかわいい子を抱き、ジムに行ってサウナで整う最高の日常。こんな人生があるのか…とめちゃくちゃ羨ましかった。嫉妬とかはなくただただ羨望だった。そんな彼らの動画冒頭の掛け声が「ファミリー!」。
この動画を見ながら仲通りを1人歩いた夜、もう2度とこんな惨めな思いはしないように生きようと心に誓った。
だからこの1年は一生懸命駆け抜けるように生きた。
全てが上手くいった訳ではないが就活も卒論もちゃんと終わらせた。一学生としたら合格点だろう。バイトもそれなりにしたし野球もたくさん見たし毎週競馬にも行った。元から数の少ない推しメンのコンテンツもちゃんと追いかけた。最後の1年ぐらい「大学生」を大学生らしく過ごせるように頑張った。
特に人と仲良くしようと心がけた。
初めて会った人と積極的に連絡先を交換したり、残り限られた学生生活の内に人脈を広げようと心がけた。あと数ヶ月で卒業の時期に友達作りですか?という情けなさはあるが、やらないよりはいいかなと後悔が少ない選択肢を取ることにした。いつか自分も酒を浴びたり遊んで笑える仲間ができたら嬉しいだろうし、働き初めて”死んだ時”に助けてくれる人がいたらありがたいなと思う。また自分が誰かのそれになれたら生きる価値が生まれるのではないだろうか。そんな期待を込めていたりもしていた。
できれば長いお付き合いをよろしくお願いします。
10月最後の日曜日、天皇賞秋のレース後に祖母の訃報が届いた。
2週間前に会いに行き、就活の話や学生生活が終わる話をした。1週間前に容態が急変し緊急入院した際には言葉を失う姿だった。呼吸器の「水を吸い上げる機会音」が耳にこびり着いて離れない日となった。だから一報が届いた時には驚きもなかった。祖父が昔、天皇家の仕事していたのでその日が何かの縁だとすら思えた。94歳。厳格だが家族想いの素敵な人だった。
葬式は近親者のみだったがそれなりに人が集まった。人望がある人だったらしく、昔の知り合いや近所の30代ぐらいの男の人もわざわざ駆けつけてくれお悔やみの言葉を述べてくれた。田舎の人の他人を思いやる気持ちの温かさは時々心に響く。
都会のことを「殺伐として周りを蹴落とし生きていくような環境」とまでは言わないが「他人に干渉しない」が暗黙の了解になっている世界だと思う。
それが自分にとってありがたくも怖くも感じる。
葬式が終わって49日を過ぎた今でも線香を上げにくる来客があるそうだ。納骨は希望通り祖父と寄り添うようにされ、これで一通りの儀式が終わった。
安心してよく眠ってほしい。期待に応えられるような大人になれたらまたお墓参りに行くことにする。
毎週日曜日、銀座WINSに馬券を買いに行く時は日比谷駅で降りて有楽町駅の高架下を通って向かう。その高架下にここ数ヶ月、ダンボールに貼り紙がたくさんあるホームレスの人がいた。最初は気にも止めなかったが徐々に移動していたり、張り紙が増えていくのを見ていたので目に留まるようになっていた。ここ数日は寒くなるにつれ「高架下なんか一番風通しよくて寒いんだから移動すればいいのに」とも思っていた。人型をした段ボールだけがその存在証明のように感じられた。
今日そこを通った時、昨日まであった段ボールがなくなっていた。少しばかりの布切れや袋のごみ、貼り紙の切れ端は残っていたがそのホームレスがいなくなったことはたしかだった。片付けられた様な。
おそらくだが間違いなく亡くなったのだろう。
どこの誰だかどうでもいいが少しだけ悼んだ。
祖母の時よりも人の死を実感できた気がしたから。
最後の景色はどんなものだろうか?
病院の天井だろうか。住み慣れた家の天井だろうか。死を惜しんでくれる家族や友人の顔だろうか。
それともどこかの高架線の下だろうか。
目を開けば蝿が止まり鼠に身体を抓まれ朽ちていく自分の姿だろうか。
それでも高架線の下は”あの時の仲通り”よりも良い景色だろうか。
最近寒くなってきたからこそ、そんなことを考えていた。
どんな最期だろうと良いものだったと思える人生を歩みたい。
この1年がその糧になっていることをもう少し願っておくことにする。