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先生と呼ばせてください

先生と呼ばせてください

 2024年4月6日、僕は47歳になりました。友人からささやかな誕生日のお祝いをしてもらい、48歳になるまでの今後1年間の自分自身の歩みをどうすべきかと考え始めたその2日後の同年4月8日、耳を疑うような信じ難い訃報に触れました。その訃報は速報として流れたのですが、僕はその速報を疑い、翌朝の朝刊で訃報を報じる記事を読むまで信じられませんでした。

 貴台の訃報が間違いなく事実であると受け止めたとき、ひとつの時代が終わったんだな、と痛感したと同時に、心に大きな穴が開いたような喪失感に見舞われたのを覚えています。

 突然ではありますが、先ほど貴台と呼ばせていただきましたが、貴台ではなく先生と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか。僕は小説家の中で先生と呼ばせていただいているのは、貴台ひとりだけだからです。

 先生の書かれた小説で初めて手にして読ませていただいたのは『ぼくらの天使ゲーム』です。のちに多くの十代の若者たちが愛読した『ぼくらシリーズ』の2作目でした。記憶が定かではありませんが、『ぼくらの天使ゲーム』を読んだのは小学5年生か6年生、遅くとも中学1年生の頃だったと思います。
 話が逸れますが、そのシリーズの1作目は1988年に映画化された『ぼくらの七日間戦争』でした。本来なら、1作目となる『ぼくらの七日間戦争』から読むべきだったのでしょうが、僕は順不同を選択してしまう星の下に生まれたのか、最初に2作目を読み、それから1作目を読みました。
 同じようなことをドラゴンクエストシリーズでもしており、最初に2作目のFC版『ドラゴンクエストⅡ』を、その後に1作目のFC版『ドラゴンクエストⅠ』をプレイしました。そう言えば、現コーエーテクモの『信長の野望シリーズ』も『三國志シリーズ』もそうでした。

 話を戻させていただきますが、2作目から読み始めた『ぼくらシリーズ』は10代だった頃の僕に影響を与え、その影響は50歳前になった今でも消えてはいません。

 僕が小説を初めて執筆したのは12歳のころですが、当時の僕に活字主体の読書習慣はありませんでした。活字主体の読書が嫌いだったわけではなく、それ以外に楽しそうなこと、それは漫画であったり、アニメであったり、テレビゲームであったりとそちらに時間を費やすことを優先していました。
 それが2作目から読み始めた『ぼくらシリーズ』が、僕に活字主体の読者習慣を身に付けてくれました。『ぼくらシリーズ』の新作が出ると本屋に買いに行き、菊池英治や中山ひとみたちの活躍する描写に胸が躍り、読み終えると次の新作が出るのが待ち遠しく、新作が発売されると本屋に買いに行き……の繰り返しでした。
 小説を含めた活字主体の読書習慣が今でも続いているのは、読書する楽しさを教えてくれた『ぼくらシリーズ』のおかげです。

 また、小説を含めた活字主体の創作活動を今なお続けられているのも、元を辿れば『ぼくらシリーズ』のおかげです。
 小説を執筆し始めるきっかけではありませんが、12歳の頃から『なんとなく面白いな』と感じながら小説を執筆していましたが、『ぼくらシリーズ』を読み続けるうちに、『菊池や中山たちと同じように、仲間同士で協力し合う小説を書きたい』と現実では埋めるのが不可能な空白を埋めるように、仲間同士が協力し合う小説を執筆するようになりました。
 つまり、現実では叶えられそうにない願望というものを小説を書くことによって叶えたつもりになろうとしていたのです。そのために自然と『執筆する』ことは習慣となりました。
 小説を書き始めたきっかけや書き続けた個人的な動機はどうであれ、今なお続く小説やブログを書くといった活字主体の創作活動の土台とその習慣を作ってくれたのは、『ぼくらシリーズ』に登場する『ぼくらメンバー』への憧れでした。

 先生は本当に『子どもたちの気持ちを優しく知る大人』でした。子どもたちが悪い大人を退治する小説を発表し続けただけではなく、実際にファンレターを送ってきた障がいを持たれている十代の読者、難病に苦しむ同世代の読者に会いに行って交流を持たれたことも存じております。
 その一方で、しかし、『ぼくらシリーズ』の何作目かのあとがきに於いて、若い読者に疑問を投げかける文章を書かれたのも存じております。『お金を使った遊びに没頭するということは、大人やビジネスに利用されているだけなのに、どうしてそれに気が付かないのか。なぜ、お金を使わない遊びにもっと目を向けないのか』と。
 先生は『子どもたちの気持ちを優しく知る大人』でしたが、決して『子どもたちを甘やかす大人』『子どもたちの味方のふりをする大人』ではありませんでした。天国にいらっしゃっても今を生きる若い人たちに優しい眼差しを注がれ、また、若くして天国に旅立った若い人たちと交流を持ち、時に励まし、時に慰められておられることでしょう。

 先生、最後になりますが、僕のちっぽけな誓いを聞いてください。
 僕の去年2024年の日々は『活字を書く』…………この『活字を書く』というのは日本語として不適切な言葉かもしれませんが……よりも『活字を読む』ほうが圧倒的に多い日々でした。
 しかし、ある目標をいつか必ず達成するため、2025年は活字を『読む』だけに偏るのではなく、『書くこと』の比率を上げることを自分自身の誓いとしました。小説を書く、ブログを書く、日記を書く、韻踏みの文章を書く、などの『書くこと』をそれぞれの媒体で続けていきます。

 先生。
 どうか、これからも今までと同じように『先生』と呼ばせてください。
 生前の先生に近づけるように『教え子』になったつもりで書き続けて参ります。

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