「特別展 鍋島侯爵家と松濤」展示会に行ってきた

・佐賀藩のトップ:鍋島
→佐賀県は九州の北西部。江戸時代になって佐賀藩が成立。鍋島は西洋文化を積極的に取り得てて、江戸末期には文化の先進地となっていった。



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・本展示会では、その鍋島と渋谷との関係について

・鍋島直大(なおひろ)は、岩倉使節団(アメリカとヨーロッパへの外交の使節団)の随行(他の人や物に寄り添って行動すること)学生
・岩倉使節団:岩倉具視(ともみ)がトップの欧米視察団。条約改正の準備交渉と欧米の様子を視察するための団体。


・色んな国に派遣された後、元老院議官(明治時代初期に存在した日本の立法機関・元老院(1875年 - 1890年)を組織した議員。)に任じられた


・華族令制定(華族令とは、明治17年(1884年)に制定された法令で、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵制を定めたものです。)により、侯爵(県知事の中でもトップの位)を授けられる


【直映(なおみつ)】

・直大の嫡子(ちゃくし、正妻の産んだ男子)

・鍋島農園を開いた

・1904年に外務省嘱託として韓国、満州に行った。39年に開墾(山林や原野を切り開いて農地や宅地、道路、水路などを整備するこ)のため、再び渡韓した。

・渋谷と松濤を開拓した

・直映の死去により、襲爵(しゅうしゃく、先代の爵位をうけつぐこと。)した直泰は最後の鍋島家侯爵となった。

【鍋島農園】

なんで埋め立てられて住宅地になった?そもそもなんで色んなところ埋め立てられるの?


→のとこが盛土で埋め立てられた。こうして平坦な土地になり、道路ができた


・松濤(しょうとう)
・この辺は江戸時代、紀州徳川家の下屋敷(江戸時代における大名屋敷のうち、郊外にある予備の屋敷)であった。

・下屋敷の払い下げ(売られた)を受けた鍋島ははここに狭山茶を栽培して松濤園という茶園を開いた
・鍋島松濤公園は松濤園にあった湧き水池の一画で、鍋島家から寄付されたもの

・富ヶ谷の名前の由来
・富ヶ谷一丁目から代々木公園にかけて、化石がいっぱいあって、昔、「留貝」と呼ばれてた。そこから派生して富ヶ谷と呼ばれるようになった

【学び】
・これめっちゃ調べなきゃつまらんから、行く必要ないや。事前に読む系のことは頭に入れて実際のものを見に来るっていうのを博物館でやるほうが楽しめそう。

・他の人と来るとその人に迷惑かかってないかとか気にしちゃうから、あんまり一緒にいかん方が良い。思う存分堪能できん。

・旅とかってすごい遠くに行きがち。でも、事前にリサーチして、そこの場所に行ってみるだけでも、十分面白い。なんでそれで旅しようとしなくて良い。ただお金と時間を遠くへの旅だと多く消費するだけなのでは?




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