物語が壊されたあとに。
その後「甘い幸せな生活」と改題される「はっぴいさんば」を書き始めた1990年代当時の所謂「(日本)近代文学」の状況は、惨憺たるものでした。「ほんとう」がどうであれ、そういう認識をもって書き始めた小説が「甘い幸せな生活」でした。
あの、真夏のテレビでおなじみの映像、B29の爆撃にさらされた帝都の惨状のごときであると感じていました。
「語るべき物語」などもう存在しない。
という前提なくして「純文学」は存在し得ないといった風であったと記憶しています。
確かに。
確かに、一面に於いてそうであることは否定できません。プロップに訊かずとも、物語には類型があり、何人たりとてそこから「外」へは逃げられないということは、歴史にあたって振り返れば思い知らされる実際のところであるように感じます。
(ですが、
であるから、
「外部」へ逃走しないといけない。そういう言説がまかり通っていました)
しかし、だとしても「総て物語は破壊すべき無価値な存在」である、という結論には強烈な不同意を感じていました。
忘れることを前提として、または、新たな読者の登場を前提としなければ、少なくとも「物語(オハナシ)」は「商品としての価値」を持てません。
DXとは、非忘却という習性を人類が獲得したことを意味し、それは顕著な市場経済主義的な問題に、その後、なっていくという認識は当時ありませんでしたが、いまではそれが明かです。
事実、令和の今現在、例えば「映画」や「小説」の「ストーリー(物語)」を事前に知ることはその「商品価値の棄損」にあたるということになっています。
「どう語るか」についての興味を市場が失ってしまったことばかりを「文学産業」界隈が嘆いていた印象があります。
しかしながらそれは今始まった事ではなく「草枕」の時代から何も変わっていません。上に記したDXの問題と併せて市場の規模や流通形態、流通速度が変化したのだとは言えそうですが。
「物語(話)」を「どう語るか(話法)」と二分し、
(「物」と「語」)
「物」を破壊して、つまり無化して「語」り方だけ取り出さなければならぬ、という文壇世相を感じていました。
いま、こうしてあらためて我が初動を振り返ると、そういった「物言い」に対する強い違和感が「あおいのきせき」へと繋がったのだ、ということに気付きます。
このあたりのことはいずれ整理したいと思いますが、
「語るべき物語をきちんと語る」
というテーマを自覚して書いたのが「甘い幸せな生活」でした。
「価値相対主義」の世にあって「語るべき」事を主張することは「冒険」で「挑戦」です。「絶対」を言うのは「ファシスト」ということで抹殺されかねませんので。
その危険を冒してまで語るべき物(語)こそ「普遍」であるということも感覚としての自覚としてありました。
続く作品も、つまりは「普遍への旅路」だとも言えると思います。
それからほぼ四半世紀。
物語を破壊尽くしたあとに残った「物(語)」はなんだったでしょうか?
「物語」の本質とは「人が依って立つ価値」そのものです。
"グレート・リセット"という意味では、すでにリセット・ボタンは押されています。
押されてしまいました。
いま指を放して「物語」を語る時がきています。
皆で共有できる普遍に依った物語を、です。
まずその「普遍」についてを語る、語ろうとしているのが「あおいのきせき」なのです。