何処で馬は水を浴びたのか?
軽井沢という言葉は、なぜか、まったく使われることがなかった「甘い幸せな生活」ですが、沓掛、という古い地名は使われていますから、物語が中軽井沢、広く軽井沢を舞台にしていることは間違いないように思われます。
そこが明らかに軽井沢であるにもかかわらず、なにゆえに名前は書かれることがなかったのか。
理由はいくらでも見つかりそうですが、一つあえて挙げてみます。みますと、おそらく、の域を出ませんが、作者が現実の軽井沢に不案内であったからではないでしょうか。
今なら、GoogleMapがあります。が、25年前は違います。当時は新幹線もありません。個人的な話では、自動車も持ち合わせていませんでした。
全て、二度かそこらの模糊とした旅の記憶と、読書を含めたメディアでの総合的イメージを、避暑地というフィルターを通して、おそらくはこうであろう「軽井沢」へと言葉にして並べていったのと併せて、「三日月姫」という松本隆さんの小説の強い印象に透かされたのだと、最近になり思い出しました。
「軽井沢」は、ほんとうに遠い場所でした。おそらくはいまも。
しかし、故に、書かれた「軽井沢」は現実の軽井沢と地理的な齟齬をきたします。
三人の登場人物が、水浴びをする馬を目撃した場所について、現実の軽井沢の地理を知った作者は、のちに考えてしまうことになってしまいました。
馬は何処にいたのか。
軽井沢から北へ向かうと群馬県の北軽井沢に行けますし、そこにはそれらしい牧場もあります。
なら、そこへ自転車で行ったのでしょうか。
「むりじゃね?」
いま風に言えば。
では馬のいる牧場は何処にあるのでしょう。
ようやく最近になってわかりました。何処、を探していては、らちが開くわけがありません。何時、を探すべきだったのです。
軽井沢観光協会のホームページにあった文章を引用します。
いやはや驚きました。
主人公たちは空間だけでなく、時間も移動していたんですね。
それでハッと気がつくのですが、そもそも「沓掛」はじまりじゃないですか。
作者の鈍感には呆れるばかりです。