未来は何がステータスとなるのか
我々の未来において何がステータスになっていくのかを書きます。
根拠のない戯言だと思ってくれた方が助かります。
私が子供の頃は大人に「勉強しろ」と言われておりました。
勉強をして良い大学、良い会社に入れば人生が上手くいくから、みたいな感じだと思います。
学歴社会=頭脳がステータス
当時の私の周りにいた大人はなぜ良い大学・会社に入れば人生がうまくいくと考えていたのでしょうか?
それは恐らく学歴社会だったからです。
学歴社会とはざっくり言うと「ペーパーテストなどで自分の成績を示す=頭脳を示す」という行為かと思われます。
ペーパーテストで本当に賢さが測れるのかは別問題として、当時は頭脳こそがステータスだったのです。
知識の豊富さが社会から求められてステータスとなったのかもしれません。
ネット検索の登場
しかし21世紀になりネットの時代になると、それは無意味に近づきました。
ネット検索したら誰にでもある程度の知識は手に入るからです。
つまり知識の貴重さは減り、知識の有無は前ほど評価されなくなっていきました。
知識を如何に使えるか=知能の時代
その代わり、ここ最近は知恵や工夫などの「知能」が評価されてきたような気がします。
知識を使いこなせるかどうかが評価対象になってきました。
しかしながらそんな「知能」が評価される時代も近々終わりを告げるでしょう。
AI(人工知能)の時代になってきたからです。
AIがあればある程度の知能は手に入り、知能の貴重さは減っていくかもしれません。
評価対象の歴史
では逆に私が生まれる以前は何がステータスとされていたのでしょうか?
そう、財産です。
「財産の有無」がステータスとされておりましたそうな。
資本主義経済が発展してきた18世紀頃からは財産持っている人が世に幅を利かせていたんだそうです。
財産の有無がステータスになっていたのかもしれませんね。
その前は身分制度というものだったそうです。
王様や貴族が権力をもっていた時代です。
産まれた家柄によって将来が決まっていたのかもしれません。
家柄がステータスの時代だったのでしょう。
(私はその時代に生まれていないのでわかりかねますが。)
さらに、それ以前は何が評価されていたか、わかりますか?
人間が身分制度を作る以前の時代です。
原始時代というべきでしょうか?
そう、身体能力です。
社会を作る以前の人類は身体能力がステータスとされておりました。
その証左として我々が子供の頃人気があった人は足が早い人ではありませんでしたか?笑
身体能力の評価が高かった時代(原始時代)の名残だと思っております。
つまり人類が価値を重んじているもの(ステータス)は時代によって移り変わってきているのです。
身体能力→家柄→財産→知識→知能
原始時代は身体能力の高い人がモテて、
社会を形成すると社会的身分の高い人がモテて、
資本主義経済が発展してきたらお金持ちがモテて、
近代では頭脳が持て囃されてきました。
では身体能力の高さはなぜそれほど評価されなくなっていったのでしょうか?
それは人間が社会を形成するようになり、集団で生活していくことになったからでしょう。
個の身体能力(武力)よりも集団の武力が優っていたからです。
つまり社会的身分の高い人(他者を多く従える人)には、いくら身体能力が高くても敵わなくなったからでしょう。
では社会的身分の高さはなぜ資本主義に取って代わられたのでしょうか?
(ルソーとかの本でも読んでくれたら良いかと思います。)
武力がお金で買えるようになったからではないでしょうか。
集団兵よりも、大砲を買った方が武力として勝っちゃう、ということかもしれません。
そしてお金よりも頭脳が評価される時代にはなぜなったのでしょうか?
いや、正確に言うと頭脳があればお金を稼げるようになったということかもしれません。
まず武力が飽和して平和な時代がやってきました。
平和な時代では頭脳や工夫があれば事業を立ち上げ、財産を築けるようになりました。
つまり頭脳があればお金持ちになれるようになったのでしょう。
結局お金の評価は落ちてないのかもしれませんね。
ところで昨今の頭脳で財産作りに成功した人たちは、あまり派手な生活を好まないそうです。
質素で健康的な生活と社会貢献をしているそうな。
では、これからは何が評価される時代になっていくのでしょうか?
ようやくここからが本題です。
身体能力が重宝されていたのは、身体能力(個の武力)が貴重だったからです。
社会的身分が重宝されていたのは、集団の武力が貴重だったからです。
お金持ちが重宝されているのは、お金が貴重だからです。
知識が重宝されていたのは、知識が貴重だったからです。
知能が重宝されていたのは、知能が貴重だったからです。
つまり貴重なものが大衆化され、貴重ではなくなって価値を落とす。
そして人々の価値観が変わり、魅力のあるステータスが変わっていく流れなのかもしれません。
昨今のAIの普及で頭脳の貴重さがなくなると仮定します。(完全になくなりはしないんでしょうが)
すると人は何もしなくても良くなるんじゃないかと思います。
今のようにあくせく働かなくても良い時代がくるのではないでしょうか?
AIが機械を動かして、人類の食糧を生産するのではないでしょうか?
週休3日制が議論されたり徐々にそうなりつつありますよね。
ではこれからは何がステータスになっていくのでしょうか?
未だに貴重だと思われているものは何でしょうか?
それは「健康と優しさ」だと思います。
社会が高齢化になっていくことで健康はより価値が高まっていくことでしょう。
そしてAIが普及し一人で何でもやれる時代になっていくと「誰かと過ごしたい」という根本的欲求が満たされなくなっていきます。
一緒に過ごしたい人はどういう人でしょうか?
そうです、優しい人ですよね。
つまりは「健康さと優しさ」がステータスになっていくのではないかと思います。
健康で優しいことが何より評価されていく時代になっていくかと思います。
我々が子供の頃「勉強しなさい」と言われたのは頭脳がステータスだったからです。
言い換えるならば「頭脳に投資せよ」と言われたようなものですね。
ですのでこれからは「健康と優しさに投資せよ」と言われる時代になっていくかと思います。
「健康に投資する」とは、どういうことか。
そうです。
筋トレをするということです。
「優しさに投資する」とはどういうことでしょうか。
優しさとは寛容さなんだと思います。
様々な哲学書を読み寛容さを理解しましょう。
そしてたくさんの人に笑顔を振りまきましょう。
これが未来のステータスになっていくと思っております。
適度に運動してあとは優しく穏やかにいましょう、と。
異論は受け付けますよ。(優しいので)
拙い文章ですが以上。