サングラスしている理由
私は普段、外出する際サングラスを着用しております。
「なんでサングラスをかけてるの?」と言われますが正直に答えると空気が重くなるため微妙に濁して生きてきております。
あまりにサングラスをかけているので「変な人」だと思われているかもしれません。
しかし、それはむしろとてもありがたいことだと思っております。
ただ「変人を装っているから」という理由だけじゃなく他にも理由があるのです。
この際なので万が一、気になってる人のためにサングラスをかけている理由について書いていきたいと思います。
あれは中学校の頃でした。
何故か左目に暗順応した時のような見えにくさが現れました。
でも周りの人に話しても「いつもの冗談だろ」と思われて笑われて終わってました。
そうです、私は当時から冗談ばかり言っていましたので。
でもまぁ、近々眼科検診があるから異常があればその時何かしら言われるでしょう、と楽観的に考えておりました。
眼科検診、スルー
その眼科検診は右から左への超スピードの流れ作業で「異常なし」と言われました。
当時の私は「適当だなぁ」とは思わず、むしろプロの医師のなせる技だと思い関心しました。
そこで「見えにくいけど異常ではないんだなぁ。安心した。」と楽観的に考えておりました。
しかし日常に支障が出始めました。
当時の私は卓球部だったのですがボールの遠近感が取れなくなり空振りすることが増えてました。
授業中は黒板も見えなくなってまいりました。
ただ黒板は見えなくても黒板とチョークのぶつかる音や教科書の内容から書いている事は推測でき、特に不便はなく成績も落ちませんでした。
成績が落ちないので見えていない事は周りにも気づかれませんでした。
私があまりにも賢すぎることが仇となりました。なんちゃって。
メガネ作りに出かけました
とはいえ視力が良くないことはわかっておりましたので、矯正のためメガネ屋さんに出かけました。
そこで視力検査をされたのですが、どんなレンズに変えても結局見えませんでした。
なのでずっと「みえませーん」とか明るい調子で言っていました。
しかし、それが良くなかったのです。
メガネ屋さんにしてみたら「ふざけている子供」とか「大人をからかっている子供」という風に映ったのかもしれません。(眼鏡屋さんのメガネにはそう映ったのでしょう。)
最終的に「オメェにかけさせるメガネはねぇ!」と半ギレ状態で店から追い出されました。
というわけで結局メガネは作れなかったのですね。
高校生になって授業が高速化
中学校までは見えなくても苦労はしませんでしたが高校生になってその状況が一変します。
まず授業の高速化です。
「普通科」だと思って入った高校が実は「進学校」だったのです。
進学校とは大学に合格させる事に特化した学校みたいなとこがありまして授業の進み具合がめっちゃ早いのです。
(「普通科」とか名乗らず「進学科」とか書いとけよって気がしますが。)
授業のスピードが早くて中学校の時に使っていた「心眼()」では追いつかなくなりました。
言ってしまった。「見えません」
とある授業で先生に回答を指名された際、答えに窮して言ってしまいました。
「黒板が見えません」と。
そしたらめちゃめちゃ怒鳴られました。
「バッカモーン!見えないんだったらメガネ作ったら良いじゃねぇか!」と。
ごもっともですよね。
でも先ほど書いたように私はメガネを作れなかったんです。
メガネを作れないのは何かしらの病気なのだろうか?ということで、次の日学校を休んで眼科に行く運びとなりました。
眼科へ行きました
翌日、近所の小さな眼科へ行き診察を受けたところ「これはうちじゃ無理だ」と言われました。
…ん?何やら重病フラグが立ちましたね。
そこでさらに翌日は、もっと大きな病院へ行きました。
しかしそこでも「うちじゃ無理だ、県病へ行ってください。」と言われました。
県病は当時ここらへんでは一番大きな設備を備えた病院でした。
なのでさらに翌日に県病へ行くこととなりました。
(ここまでで3日連続学校を休んでます。)
県病で検査したら…
県病で検査したところ「網膜剥離」という診察結果でした。
即入院です。
「何故ここまで放置したのか!」とめっちゃ怒られました。
私としては眼科検診も受けてたし(結果異常なし)周りに相談もしましたし(冗談だと思われた)放置した覚えはございませんでしたが「すみません。」と謝るばかりでした。
結局先生に怒鳴られた次の日から1ヶ月連続で学校を休む
網膜剥離の検査やら手術やらリハビリ?でトータル1ヶ月間、学校を休んで入院してました。
同級生には「怒鳴られて登校拒否になった」と思われてたようです。
あいにくそれは全然気にしておりませんでした。
手術では目の中にガスを入れて網膜を固定したらしく入院中は常に下を向いてなければいけませんでした。
そうなると視力を使う作業ができませんよね。
「上を向いてガスが抜けると再手術だよ」と言われてました。
手術は全身麻酔でめちゃくちゃハードで二度と受けたくありませんでした。
絶対に手術は避けたいと思い、なるべく目を閉じて下を向きじっと安静にしておりました。
1ヶ月後、無事に?退院したわけですが、授業にはついていけなくなっちゃいました。(体力が落ちて体育の授業すら最下位でした。)
しかし当時の私には志望校とかがございませんでしたので、あまり気にはしませんでした。
頑張って留年だけは避けました。
全身麻酔でハードな手術だったわけですが、ぶっちゃけると視力が戻ったわけではなく、単に失明を食い止める程度のものだったそうです。
なので今の私は右目にしかコンタクトレンズを入れておりません。
左目は結局矯正が効かず、現在もほぼ見えておりません。
網膜剥離になった原因
網膜剥離というと強い衝撃を受けたとかが主な原因だそうです。
しかし当時の私は強い衝撃を受けた記憶がございませんでした。
誰かから殴られて、その人を庇っているとかではなく。笑
本当に強い衝撃を受けた記憶がないのです。
だから当時のカルテ?には「原因不明」みたいに書かれたのではないでしょうか。
日光網膜症から網膜剥離になるというニュース?を見た
20歳くらいの頃でしょうか。
ニュースか何かで「日光網膜症から網膜剥離になる」みたいな記事を偶然見かけました。
それを見た時、ハッと思い出したのです。
中学生の頃、見えにくくなったあの日、太陽がギラギラしている炎天下にいたことを。
「そうか、私は日光網膜症から網膜剥離になったのだ」と腑に落ちました。
日光網膜症の予防
ぶっちゃけ片目が見えない事に大した不便は感じておりません。
遠近感が必要な球技や格闘技を行うのは難しいですが、筋トレはできますし。
スマホやパソコンなどを長時間やるのはキツイですがこの点に関しては眼の関係はない気もします。
視野検査をパスして運転免許も持っております。
(まぁ、あまり運転はしたくないですが…笑)
片目が見えないからといってそんなに不便はございません。
むしろ筋肉がない方がコンプレックスだったりします。
でも両目が見えないとなるとちょっと不便になりそうな気がします。
なのでさらなる日光網膜症予防のため屋外ではサングラスを着用するようにしております。
ビーチで仰向けにベンチプレスをすることも避けたいと思っております。
以上です。
特にオチのない話で本当に申し訳ございません…!