育児に「めんどくさい」気持ちって大事かもという話
まだ自分で自分のことをできない乳児に対して、親は1から10まで面倒を見ることになる。それは仕方ない。至って仕方ない。
1~2年成長して、少しずつ自分でもできることが増える。嬉しい反面、危なっかしかったり、できるんだけどすごく時間がかかるとなると、どうしても手助けしてあげようと面倒を見てしまう。
すごくよく分かる……いや、めんどくさい。
私、すごくめんどくさがりやなんです!
あ~やらなくていなら何もしたくない!
好きにやってくれぃ!!
奉仕精神の欠落が甚だしい(笑)
一見してダメな母親ですよね。私もそう思います。
でも反面、私は、いっそそれが良いんじゃないかと思うときもあるのです。
たとえばお風呂に入る前、靴下を脱ぎたがったら。まだ難しそうなかかとまではしれっと脱がせ、「じゃあ脱いでごらん」とやらせてみます。
当然大人のように秒ではすみません。指を変え角度を変え、自分でうんうん唸りながら脱ごうとします。
その間私は何をするか?
視界の端に子どもの様子を捉えながら自分の服を脱いで化粧を落とします。
だいぶ時間に余裕がありますので、結構念入りに落とせます。
片方脱げれば、「おー!脱げたね!じゃあもう片方はどうかな?!」とテンション高めに声掛け。
ドヤ顔の子どもはいそいそともう片方に挑戦。しかし急に簡単にできるわけなく、同じくらい時間がかかります。
その間私は何をするか?
お風呂場のドアを開けて子どもの様子を見つつシャワーを出して温度を上げておきます。
無事に脱げれば激烈に褒めつつ洗濯カゴに靴下を入れるよう指示、できたら激烈に感謝を述べつつお風呂場に誘い入れる。
出来なければ子どもの傍に戻り、やり方を見せてあげる。努力したことを激烈に褒めつつ洗濯カゴに靴下を入れるよう指示し、激烈に感謝を述べつつ一緒にお風呂場に戻る。
その間にシャワーは温かい。お風呂場も(ドアは開いているものの多少は)ポカポカ。
なんという時短!
子どものやる気も削がず、親も自分のことができ、なおかつ無駄な動きがない!(なんという自賛)
そんな私の、やらなくていいなら見ているだけで手を出さない面倒臭がり精神のお蔭か否か、一日の中で子どもの介助をしなければと時間的精神的余裕が無くなるということが、今に至るまで、あまりないように思います。楽。とても楽です。
子どもも自分でやりたいことを良くも悪くも自由にやっているせいか、マイペースながら自分でできることを増やしていってます。
また、私がやりたくないばかりに「やってごらん」という口癖を聞き続けたせいか、何かつまづくことがあった場合、すぐ親に頼むのではなく、まずは自分で考えてやってみるという癖がついたように思います。
これぞ怪我の功名?
めんどくさがり屋な親に育てられると、自立が早いかも?!
……ただ、まだ本格的なイヤイヤ期も来てないし、これから修羅場を迎え、私もいよいよ鬼と化すのかもしれませんが(笑)
ちなみに最近はミカンの皮をむけるようになりました。
ただ何故か自分では食べず、ミカンをむいたら私に渡してくれます。
口を指差すジェスチャーで、「食べて」と。
……逆に奉仕精神がすごい(笑)