一人っ子サイコー!
うちの子は一人っ子である。
子どもが一人っ子であると、親族や道行く人なんかに必ず一回はこんな感じの質問を投げかけられる。
「きょうだいつくる予定ないの?一人っ子じゃあかわいそうでしょうに」
私の場合はたいていこう答える。
「私も一人っ子ですけど、かわいそうですかね?」
こう答えると相手は大体黙る。
そう、私も一人っ子である。
これが本当にもわんとする。一人っ子を抱えた親が一人っ子である可能性を、なぜ想像できないのだろうか。
それだけではない。事情があって産みたかったのに一人しか産めなかった場合、もともと子どもは一人と決めていた場合、もしかしたら本当は二人いたかもしれない場合だってある。もっと色々な場面や事情がある可能性を想像すれば、こんな質問、つまり「なぜ子どもが一人しかいないのか?」「一人しか産まないのか?」という趣旨の質問などできるはずがない。
そして、こんな質問に事実そのままをもって答えられるはずがない。まして道行く見ず知らずの赤の他人に。彼等は一体どんな答えを期待してこんな質問をしているのだろうか。
いや、質問はしていないのかもしれない。ただただ、“ありえない”と思っているのかもしれない。一人っ子という存在は”ありえない”。おそらく彼等は「兄弟姉妹サイコー!」という経験と、その経験に裏付けられた絶対的な価値観があって、だから一人っ子の子どもをみると、「なぜ一人しかいないのか?兄弟姉妹サイコーなのに!?おかしい!」と無邪気に思って、いかに兄弟姉妹がサイコー!なのか、ご教示しようとしているのかもしれない。
当然、親が一人っ子という可能性も考えられないだろう。一人っ子は”ありえない”のだから。
そこで私の回答である。
私は一人っ子であることを不幸だと思ったことはない。……いや寂しいと思ったことはあるから断言するとウソになるが(笑)、大人になった今ではむしろ、一人っ子サイコー!とすら思っている。だから自分の子どもが一人っ子であることに何も感じていない。かわいそうだと思ったこともない。
兄弟姉妹サイコー!の方々はそんなことはありえないと思っている。だから「かわいそうですか?」と返されると驚き、困惑し、黙るのだろう。かわいそうでないことが”ありえない”という思い込みと、「かわいそう」と言ったことの気まずさと、そしてなによりも、親も一人っ子という衝撃の事実に(笑)。
こんな意地悪な返し方は、一人っ子でないとできない。
やはり、一人っ子サイコー!である。