背後で支えてくれる人...その人の背後で支えていた人は?
(写真は2021年8月撮影したカリフォルニア州パサデナ市役所庁舎)
この記事を読もうと思ってくださったあなたに感謝します。
はじめに御礼を言いますね。ありがとうございます。
読んでくださるあなたがいなければ、この投稿を続けることは決してできないと思っています。
私のために読んであげよう、とこの投稿を読み始めたのではないと思いますが、私の方では読んでくださるあなたを想像しながら、noteに投稿しているのです。
そのような意味で、スキやフォローをしてくださっているあなたを含めたみなさんが、投稿を支えてくださっていると私は思っています。
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
この記事を読んでくださっているあなたが、「最高の自分」に向かって成長するために、少しでもお役に立ちたいと願いながら書いています。
あなたを今のあなたになるために、背後で支えてくれた人は、誰でしょう。きっと一人ではないので「人々」と複数形が良いかもしれません。
親、きょうだい、友達、同僚、上司...実に様々な人々に支えられて今日の私たちがあるのだと思います。
そんなことを考えながら思い出すのが、ヘレン・ケラーにまつわる話しです。
ヘレン・ケラーの背後に...
ヘレン・ケラーは視覚と聴覚に重複障がいを持ちながら、世界中で障がい者の教育と福祉に貢献した方です。見ることも聞くこともできなかったヘレン・ケラーに「話すこと」を教えたのは、ご存じの方も多いアン・サリバンです。
私の記憶が間違っていなければ、小学校の教科書を読んでヘレン・ケラーと彼女を教えたアン・サリバンのことを初めて知ったように思います。教科書や伝記にもアン・サリバンはヘレン・ケラーの家庭教師として登場します。
でも、アン・サリバンがどうしてヘレン・ケラーの家庭教師になったのかについては、知る人は少ないのではないでしょうか。
アン・サリバンは、幼い時に病気が原因で盲目になります。母、そして父と次々に亡くし、病気だった弟とアンの二人は施設に入れられます。施設に入所してまもなく、病気であった弟も亡くなります。家族全員を亡くしひとりぼっちで育つという悲劇の中で育ったのでした。
アン・サリバンの背後に...
アンはその後、手術を受けてある程度の視力を回復します。そして盲学校での学びをはじめます。この盲学校に関わっていたのが、なんと電話の発明をしたアレクサンダー・グラハム・ベルだったのです。
このベルが、ヘレン・ケラーの家庭教師としてアン・サリバンを紹介したのでした。
ところが、サリバンは重複障がいを持つヘレン・ケラーを教える忍耐も技能も持ち合わせてはいなかったようです。彼女は親戚に「子牛や子馬の方がお行儀が良い」と皮肉を言われるような荒々しい性格の持ち主だったようです。
しかし、そんなサリバンを後見人として背後で支え続けてのがベルだったようです。彼女のヘレン・ケラーに対する教育方法が批判された時にも、彼女を励まし続けたのでした。
後にサリバンはベルについてこう言っていたそうです。
「ベル博士は、巧みに人々に自信を持たせることができた。最も良い部分をその人から引き出すことのできるすばらしい才能の持ち主だった。私は、他の誰からよりも、彼から多くのことを学んだのだ。」
わたしの背後に...そして
私たちは皆、どこかで、だれかに助けられて「今」があるのだと思います。
あなたを「今」のあなたになるように助けてくれた人は誰だったでしょうか。
ヘレン・ケラーを支えたアン・サリバン、そしてその背後には、アレクサンダー・グラハム・ベルがいた様に、あなたを支えてくれた人も、きっと誰かに支えられて、あなたを支える様になったに違いありません。
その人々への感謝を表したいと思います。
そして、
私が支えられながら、支えることができるように、
そして、この支援の連鎖が続いていくように願うのです。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
それでは、また。