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麗しき毒蛇の復讐 第3章

第3章 悪夢  

「唯~。由真と連絡ついた~?」
結花が台所で食事の支度をしながら大声で尋ねた。
「ダメ~。携帯は何度かけても繋がら~ん。メールも返信は来な~い。一応家の留守電にはメッセージ入れといたけど~」
人参の皮むき器を手に持ったまま居間に戻ってきた結花が、あきれたように大きく口を開いた。
「まーったく、あの子はどーこほっつき歩いてるんだろ。またジャングルかどっかの山に遊びに行いってんのかね~」

ここは昼間、優子を助けてくれた主婦の家だ。
彼女から簡単な傷の手当てを受けた後、優子は居間のソファーに座り右手で左腕をマッサージしながら、二人の会話を聞いている。
彼女達は三人姉妹だという。結花の電話ですぐに駆けつけて来てくれた、唯という末っ子の女性は、顔のちっちゃな、やや小柄の、優子の目にもずいぶんと可愛らしい女性だった。

「あっ、思い出した! そー言えば、一週間ぐらい前に、今度夫婦でなんとかって山へ行くって言ってたような」
唯があっけらかんとした明るい声で話し出した。
「もー、それを早く言いなさいよ。で、どこ?」
「何だっけ。マッケンジーとかマッカーサーとか……」
「ん? マッキンリーじゃないの?」
「ああ! そうそう! それ!」
結花が盛大にため息をついた。
「だとしたら二、三週間、下手すりゃ一か月は山から降りてこられないわよ」
「大丈夫! 由真姉ちゃんなんかいなくったって、うちらだけでなんとかなるよ!」
「簡単に言うねぇ」
「だって相手はただの人間でしょう? 陰(かげ)のような忍者でもないし、果心居士みたいな化け物でもないし」
「何言ってんの。青少年治安局にも散々苦戦した癖に。大体あんた今の自分達の立場わかってんの? 私はもちろん、あんたももうスケバン刑事でもなんでもないの。なんの権限も持たないただの主婦なのよ?」
「わかってるわよー」
唯が大きくふくれっ面をする。

そう彼女こそ、あの伝説のコードネームを引き継いだ三代目麻宮サキこと、風間唯なのだ。
今は結婚し松岡唯という。
姉が長女の風間結花だ。現在の名は関口結花。
どちらも一見すると中年にさしかかった、ただの主婦にしか見えない。
次女の由真は今、アメリカに住んでいるという。結花も次女の由真も、暗闇指令の下で、妹の唯とともに学生刑事として活動していたと聞いた。
結花の夫は今、北海道に長期出張中だそうだ。

「それに、私達もう若くないのよ。いくらお寺で多少の訓練続けてるといったって、あんなもの半分ダイエット目的みたいなもんじゃない。大体あんたヨーヨー何年も触ってないし、持ってさえもいないでしょう? 武器も持たずに銃で武装した連中に勝てると思ってんの?」
「結花姉ちゃんだって、昼間敵を何人も倒したんでしょう?」
「相手が油断してただけよ」
「結花さん、唯さん」
ここで優子が口を開く。
「これは私達、現役の学生刑事と暗闇機関の問題です。私達自身で解決すべきです。元学生刑事だったとしても、すでに一般の人となった人達を巻き込む訳にはいきません」
「でも優子さんは、これからどうやって敵と戦うつもりなの? 敵の正体は? 敵のことどこまでわかってんの? エージェントとちゃんと連絡ついてんの?」
唯が身を乗り出しながら、矢継ぎ早に優子に質問を繰り出す。

言うべきか言わざるべきか、ここまで迷いに迷っていた優子だったが、ついに意を決し、おもむろに話を始めた。
「私を襲ってきた連中の名は、R機関。Rとは、ある人物の名前の、頭文字から取ったと言われています」
「ちょっと待った! その話は夕食を終えてからにしましょう。唯! それから悪いけど優子さんも、ちょっと手伝って!」

久しぶりに味わう、手の込んだ温かい料理とにぎやかな食卓が、優子の冷え切った心を少しずつ温め、ほぐしていく。
(結花さんと唯さんの会話は聞いていて本当に可笑しい。それにしても、なんてあったかい食卓なんだろう)
ふと子供の頃、両親も妹もまだ生きていて、一緒に暮らしていた頃を思い出しそうになり、優子は必死に涙をこらえる。結花と唯はそれを静かに温かく見守っていた。

夕食後、結花がそれぞれに温かいコーヒーを用意したところで、優子がことの始まりから話を始める。
結花と唯は真剣な面持ちで、優子の話を待っていた。

話の冒頭から驚きに満ちた結花と唯の顔が、話が進んでいくにつれ、表情を一層険しくしていく。始めのうちは打っていた二人の相槌も、いつしかなくなっていた。

やがて、最後の仲間達を失った作戦の話になり、優子は言葉が詰まり、しばし涙を流すままになってしまう。結花と唯は何も言わず、ただ黙って優子を見つめていた。
「……ごめんなさい……」
優子が涙を手で拭いながら謝った。
「大丈夫よ」
優しく声をかけ、唯はそっとハンカチを差し出した。
結花がまだ半分も減っていない優子のカップにコーヒーを注ぐ。
優子が全てを話し終えたのは、話を開始してから一時間半以上経った頃だった。

「そういう……ことだったのね」
話を聞き終えた結花が、ぽつりとつぶやく。
「これは思っていた以上に、一筋縄ではいきそうにないわね」と、唯はいつになく固い表情だ。
優子の口から語られた話は、二人の想像をはるかに超えた悲惨なものだった。
「それにしても、私達の頃より遥かに強大になった暗闇機関が、たった一か月ちょっとで壊滅状態に陥るなんて、にわかには信じがたいわね……。しかも相手はR機関という名前以外、首謀者も目的もわかんないなんて」
結花の顔は、未だに驚きを隠せないといった面持ちである。

唯が下を向き、ぽつりとさびしそうにつぶやいた。
「暗闇さん、死んじゃったんだね」
「厳しかった人だけど、どこか憎めない人だった……。いつかお寺でも聞いたわ。うちらがやめた後も、ずっと私達のこと、気にかけてくれてたって」
そう結花が話した後は、しばらく沈黙だけが続いた。

「けど、優子さん。左腕痛そうにしてるけど、その腕でヨーヨーちゃんと扱えるの?」
暗くなった場の雰囲気を変えようと結花が笑顔で尋ねた。
優子はゆっくりとセーラー服のポケットからヨーヨーを取り出し、見つめながら静かにつぶやいた。
「でもこれが今の私の、たったひとつの武器だから。偶然拾ったものだけど、何度も私の命を助けてくれたし……」と、優子が話し終える直前。
「あああああああああ!」
唯の叫ぶ声が響く。
「もう、なに大声出してんの! 唯!」
「それ! 二代目の!」
「えっ?」と、優子と結花が思わず唯に聞き返したのは、ほぼ同時だった。
「それ! 二代目が地獄城で使ってた! 究極のヨーヨー!」
優子と結花は声も出せず、ただただ驚くばかりだった。

その日の深夜。
夜半前から降りだした雨がやがて勢いを増し、激しく窓を叩きつけている。
「……ょ子ぉぉ、佳代子ぉぉ、由美ぃぃ、みずきぃぃ、純子ぉ、純子おお!」
顔中にびっしょりと大汗をかきながら、優子がうなされている。

夢の中。
突如、一発の銃声が大きく鳴り響く。
ヨーヨーを右手に持ったまま、その場に倒れるみずき。
(話が違うじゃないのおお!)
敵に向け純子が絶叫する。
(なぜなの純子! どうしてあなたが!)
(ごめんなさい。でもこうしないと弟が……義男が)
敵のリーダーを後ろ手にし、佳代子が問い詰める。
(言え! 純子の弟はどこだ!)
(今頃、海の藻屑だろう。そもそも顔を見られた時点で無事に返すはずないのだけどね)と、敵のリーダーがにやりとほくそ笑む。
純子の顔から血の気が失せた。
(こんなところは、とっと脱出するよ!)
そう皆に呼びかけた直後、盾にした敵のリーダーごと撃たれる佳代子。
(優子! 純子! 逃げろ!)
由美が叫び、ヨーヨーを敵に投げ放つ。だが敵の銃弾を受け、ゆっくりとその場に倒れていく。
(あたしは、もう駄目だ。優子、早く純子を連れて逃げな)
そう言い残し、敵に突っ込んでゆく、血まみれのみずき。

(死ね!)
工作員が優子に向け銃を撃ってくる。
優子が逃げ回り、やがて追い詰められた。
目の前に突き出される銃口。
(死ね!)
突然純子が目の前に現れる、と同時に銃声が鳴り響く。崩れ落ちる純子。
(純子! 純子おお!)
純子の胸がみるみる真っ赤な血で染まっていく。
(ごめんね優子、わたし、やっぱり……)
また銃声が轟く。
仰向けに吹き飛ぶ目の前の工作員。
(優子! 早く逃げろ! 裏にモーターボートがある。それに乗って逃げろ!)
突然現れ、ボートの鍵を優子に押し付けながら東が叫ぶ。
(でも純子がぁ!)
(早くしろ!)
その時また轟く銃声。銃声。銃声。
走りながら後ろを振り向くと、血だまりの中に倒れている少女達。

「みんなごめん、ごめん、ごめん、ごめ…… …… … 」

それを隣の部屋で聞いている結花と唯。
「結花姉ちゃん」
「うん」

翌日の朝。
昨夜の雨が嘘のように晴れ渡った空には、真夏の太陽が明るく輝いていた。数羽のすずめが「チュンチュン」と鳴きながら、辺りを飛び回っている。
「結花さん。唯さん。大変お世話になりました」
門前の路上で、結花から貰ったちょっとシックな服を着て、一気に大人びた雰囲気を纏った優子がペコリと頭を下げる。
血やほこりで薄汚れたセーラー服は、昨夜のうちに結花に洗濯してもらい乾燥機で乾かされ、今は背中に背負ったリュックの中に入っている。銃やナイフでほころびた部分は、今では裁縫を得意とする唯が、糸できれいに縫ってくれていた。
結花から貰ったリュックの中には、他にも結花に貰った他の衣類や洗面道具が入っていて、優子にも黙ったまま、多少の現金も入れられていた。
結花から貰ったそれらの服は、今の自分にはかなり大人っぽ過ぎると感じた優子だったが、結花のセンスは決して悪くなかった。それどころか、自分もいずれこういう服が似合う、大人の女性になりたいと思った。
果たして、自分にそんな日が訪れるのかは、優子にはわからなかったが。
始めは固辞した優子だったが、結花はこれらの服はもう自分が着ることはないからと、半ば強引に持たせてくれた。
しばらくは自分の部屋に戻れそうにない優子にとって、結花に貰った服は本当にありがたいものだった。いったい、どうしたら彼女達の優しさに報いることができるのだろうかと、明日の自分の命さえ定かではない優子は、ただ途方に暮れるばかりだった。

「ことが済んだらまたこの家、いつでも遊びにおいでよ」と、結花が明るい笑顔で優子に話しかけた。
「はい、必ず」
「優子、死ぬんじゃないよ」
真剣な表情の唯がそれに続く。
「はい」
優子は再び頭を下げ、ひとしずくの涙を頬にこぼすと静かに去っていった。

そして目配せをし、静かに頷く結花と唯。

氷川麗奈の執務室に部下の太田が現れる。
「麗奈様、ご報告申し上げます。現在暗闇機関での生存者は、エージェント二名、エンジニア一名、学生刑事五名となります。学生刑事五名のうち四名は重体で活動不能です。またエージェントのうち一名は元々片足が不自由であり、残りの片足も銃で撃たれ負傷しておりますので、これ以上大した動きはできないと考えます」
「だったら簡単に始末できるでしょう。なぜやらないの」
「はっ。現在行方を捜索中ですが未だ発見できていないようです」
「もういいわ」
「大変申し訳ございません」
(実質的に残るは学生刑事一人とエージェント一人か。しぶとく生き残っていた五人の学生刑事は、私のちょっとしたアイデアでほとんどが始末できたし。まあ、全滅させるのも時間の問題ね)
「で、C計画の進捗状況は?」と麗奈が太田に尋ねた。
「順調に進んでおります。CSOは現在フェイズ1の最終段階に来ています。アメリカのラボからも、かねての懸案事項であった兵器化について、最後まで残っていた問題は無事解決したとの報告がありました。ただ『コラープス』自体の完成までは、まだ一か月ほど時間がかかるとのことです」
「そう。でもまあ予想通りね。楽しみに待つことにするわ」

麗奈が部下の報告を受けていた頃、国家保安委員会近くのビルの一室では、委員会メンバーによる極秘の会議が開かれていた。

「間違いありません。R機関を裏で操っているのは、アメリカのバイオ系企業、3R&Mコーポレーションの会長夫人で実質的支配者といわれている、麗奈・氷川・アンダーソンです。しかし、彼女の本当の正体は、三十年前に死亡したはずの、あの海槌麗巳です」
会議の場が一瞬ざわめいた。
「まさか、海槌麗巳が生きていたとはな」
「麻宮サキの生存も、恐らく奴らはすでに承知していると思われます。ですが、今のところ所在までは把握できていないと考えられます。彼女の身の周りに特異な点は確認されていません」
「しかし当時、死体の身元は確認しなかったのか?」
「死体は黒焦げで損傷が激しく、ほぼ原形をとどめていなかったと聞いています。当時の科学技術では海槌麗巳本人かどうか、確認は難しかったのでしょう」
「まあ、あの大爆発でも麻宮サキは生きていたんだし、海槌麗巳が生きていたとしても不思議ではないとういうことか」
「ええ。ただ麻宮サキはその後、リハビリにかなりの時間を費やしたそうですが」
「海槌麗巳に誰か、協力者がいたということだな」
「そう言えば、暗闇の奴はずっと気にしてたな。本当にあれは麗巳だったのかと」
「R機関が暗闇機関のみを標的にする目的。つまりそういうことか」
「問題はこれからどう手を打つかだが……」
「いっそ、あの長老どもを始末するか」
「いくらなんでも、さすがにそれはできん」
「もちろん冗談だよ。だが本当に迷惑な爺さん達だ。しかし、奴らを怒らせると色々面倒では済まなくなるしな」
「私に案があります。そのためにはまず……」

優子が結花の家を去った、その日の夜。
唯が夫の隆志お気に入りの紅茶を淹れて、リビングルームに運んできた。一人娘の真美は明日の試験に向けて、自分の部屋で真面目に勉強をしている。

「隆志さん。私、明日から結花姉ちゃんと一緒に、由真姉ちゃんのとこに会いに行ってくるから。その間、真美のことお願い」
唯が手を合わせ、夫の隆志に頼み込む。
「ずいぶん急な話だな」
「ごめんなさい。由真姉ちゃん、急に体調悪くしたみたいで」
「そうか。で、何日ぐらい向こうに?」
「う~ん、一週間、……いや十日かな?」
「…………」
「ねえ、いいでしょ」
「……」
「ねえ」
「唯」
「?」
「本当はどこへ行くんだ?」
「……」
「俺もこう見えて、一応風魔の端くれだ。お前の目と口調で、お前が何か隠してるのはわかる。それも恐らく、かなりヤバいことをな」
「隆志さん……」
「大事な用なのか?」
「うん……。一人の私の大事な、後輩の命がかかってるの」
「後輩……。スケバン刑事か?」
「うん。いや、今はスケバン刑事とは呼ばない。学生刑事だけど」

唯と夫の隆志は、まだ唯が三代目スケバン刑事・麻宮サキを名乗り、陰と戦っている頃に顔見知りとなった。とはいえ、当時、隆志はまだ風魔としては駆け出しの下っ端に過ぎなかったのだが。
二人が付き合い始めるのは、それから十年程度の年月が経った頃からである。

「…………。そうか。だが無理はするなよ。お前は実戦から退いて長いんだからな」
「……うん」
「必ず帰ってこいよ。いいな」
「うん。隆志さん、ありがとう」
目に嬉し涙を溜めた唯は、隆志に向かって深々と頭を下げた。

「幸彦さん? うん私。元気?」
「ああ、結花お疲れ。こっちは元気してる。これから晩飯食うところ」
「何食べるの?」
「セイコーマートの弁当とやきとんとホッケ」
「ちゃーんと、野菜も食べなきゃだめよ」
「わかってるって。たまたま、たまたま」
「……」
「ん? どうかした?」
「私、明日から唯と一緒に、アメリカの由真んとこ行くことになったから。一週間ほど」
「ああそうか。由真さんによろしく」
「……」
「ん? なんか問題あんの?」
「ううん。なんでもない。じゃあ行ってくるね」
「ああ、気い付けてな」
「うん、じゃあ……………、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」

結花は、しばらくスマートフォンの画面を、じっと見つめ続けていた。

翌日、唯と結花は宮崎へ飛んだ。


つづく



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三日月 秋
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。