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二人の言葉に同じ時が流れる(桜嵐記)
2021年の宝塚歌劇月組公演「桜嵐記」を忘れる日など来ないと思うけれど、とりわけ忘れえぬ瞬間がある。
「内侍様、お母上があなたを救われたのは、復讐に命なげうたせるためではございませんでしょう。あなたがいずれの日にか、また親しい人を持ち、心安らかに生きられることを、願われたはずです」
弁内侍が、自らの辛い記憶を、楠木正行に告白する場面。
内侍は、努めて過去と距離をおくように、静かな口調で語りながらも、過去の苦しみに襲われ、声は震えている。
やはり静かに耳を傾けていた正行は、きっぱりと彼女を諭す。
死んでいったあなたの肉親は、あなたがいつまでも過去に囚われることを望んではいないはずだ。きっと幸せを願ったのではないか、と。
「そのような日があるのだろうか」
と言う内侍は、どこかうわの空のようで、
「そうお考えなさいませ」
と穏やかに、しかし力強く励ます正行に、内侍は初めて、悲しみから顔を上げて、未来を思うのである。
正行と弁内侍の心が通う短いひとときで、私も特別好きな場面の一つなのだが、あるとき、二人を演じる珠城さんと美園さんの芝居の間が変わった。
正行の言葉をまだ信じられないような響きがあった「そのような日がくるのだろうか」だったが、ある日の公演で、
「そのような日が……」
口ごもった一瞬に、内侍がかすかに、未来をその目で見たように思えたのだ。
あるのだろうか、と零す内侍を、正行は力のこもった目で見つめる。
「そうお考えなさいませ」
さすれば、と一度言葉を切った正行と、
「……いずれ」
内侍の目の奥に、同じ光がともった。
私は、この二人の台詞に、確かに同じ時が流れたのを感じて、心が震えたのだ。
この後、僅かなひととき互いの命を確かめあって、二人の道は分かれ、片や未来のために命を賭し、片やその未来を歩み続ける。
「桜嵐記」という作品と、役の人生と、役者の勘がリンクした奇跡のような一瞬にめぐりあわせたことを、忘れることができない。