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僕が柔道整復師を目指したわけ

この記事は

・これから柔道整復師を目指そうと思っている方

・今まさに学ばれている方

・免許を取って安易に開業してやっていけるの?と不安な方

・他人の人生の岐路について覗いてみたい方

向けに書いていこうと思います。


僕が柔道整復師を目指した訳は単純に、

『一番簡単にビジネスを起こせそう』

だからでした。

皆さん​初めまして。この記事がnote初投稿になります。

一生懸命書き書きしますので今後とも宜しくお願いします。

プロフィールを見てくれていると思うので

自己紹介は割愛します。気になった方はプロフィールまで。

・・・さて本文に戻り・・・

今考えても正にその通りで、接骨院以外思い当たりません。

(鍼灸、マッサージ、整体、カイロ等類似行為は省く)

接骨院に惹かれた理由

・学力がそんなにいらない

・通っていた接骨院の先生が若くしてベンツに乗っていた

・仕入れがない

・経費もそんなに掛からなさそう

・保険請求できる

以上が理由です。

接骨院の先生になってからは

『治療のよろこびや、やりがい』

患者さんの『ありがとう』を貰う嬉しさ

その日、その月、その年の達成感

を知ることができました。それまでは

この職業を目指した理由に、痛めた人を治したいとか、

人を救うなんてことは、全然考えていませんでした。

善人でも聖人ないんで只々、自己実現のためでした。


『なぜビジネスを起こしたかったか?』

・人に使われたくなかった

・可能な限り、自由気ままが良かった

・自分が頑張っただけ収入になりそう

以上が主な理由です。

サラリーマン時代は毎日が平凡で、月曜から土曜勤務

第2土曜日と好きな日を月1休みを取り(有給?)

8時30から5時30まで働き、29歳時で月の給料は手取り23万円

(残業平均15時間位かな。)込みで。そもそも週40時間

超えれば残業加算があるに土曜日出勤は手当なしの平日。

ボーナスは年2回の月の基本給20万円位でした。

社会保険は完備でした。

労働基準法なんてない、今で言う少々ブラック企業でしたが、

勤めていて、明るい未来なんて見出せませんでした。

休みの日や仕事が終わってからは、釣り、パチスロ、ゲーム、

飲み会で暇をもてあそび、退屈な人生でした。

友達と遊ぶのは楽しかったですが、

『なんかしっくりこない、遊ぶならもっと自由に』

みたいな感覚が常にありました。

明日の仕事に支障がないようにとか、

お金がもったいないからやめとこっとか、

生きていて、精神的な自由さが足りなかったです。

本当に幼稚な理由かもしれませんが、性分が楽が大好きなので

楽するために苦労するのは大好きです。

結局柔道整復師を目指したきっかけは、

3年の月日と450万円の専門学校の学費が投資に見合う

リターンとなって返ってくる自信がありました。

結果もその通りになり、この30歳から40歳を

収入でざっと計算してみると、サラリーマンをしていたら

昇給も入れ、約3250万円が手取りになったと思われます。

この10年を振り返ってみると、

借り入れの返済額、学費、金融商品、預金残高を見ても楽に

突破しているので今の所、柔道整復師を目指して良かったと思います。

職を変え、稼ぐのに必要な技術、知識を習得するために、10年間

確かに苦労はしました。でも稼ぐ為の必要量は現在は確保できました。

働く以上、労働はサラリーマンだろうが自営業者だろうが

働く苦労は付きまとうのでここはイーブンで。

今現在はこれまでに比べて楽にはなりましたが、苦労はたくさんあります。

ですが今は12年先の55歳で経済的自由(FIRA)を手に入れるための苦労?

努力?をしています。


皆さんここまで読んで頂きありがとうございました。

今回は脱サラして柔道整復師になったきっかけを書き、

簡単にその後どうなったのかを記して行きましたが、

次回からはもっと深く書けたらと思います。

僕は嘘やつくり話など性に合わないので『真実で』書きます。

間違いや勘違いはあるかもしれませんが、どうかご了承ください。

次回の記事で会いましょうw











  

   

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