見出し画像

vol.165「『自発的なムダ』だから遊びになる。『強制された効率』は仕事である。」

『トム・ソーヤーの冒険』で、トムが壁塗りの仕事をさせられる場面があります。

ポリーおばさんからの罰なのだけど、どうにかしてこの状況を脱却したい。
一計を案じたトムは、「大人にしか許されないことを、特別にやらせてもらってる」という演技をする。通りかかった友人たちが、最初はからかうのだけど、やがて羨ましくなり、手持ちのおもちゃや宝物を差し出して、順を争って手伝う(手伝わされる)。
こうしてトムは、「言いつけられた苦行から手を放し」かつ「大量のとっておきのお宝を手に入れる」ことに成功した―。

◆仕事が遊びになる条件。

一連の顛末を描いた後で、マーク・トゥウェインは、遊びと仕事について触れています。

1.トムは人間の行動をめぐる大きな法則を(我知らず)発見した。相手が子どもであれ大人であれ、何かを欲しがらせるには、それを手に入れるのを困難にすれば事足りる。

2.(トムは気づいていないが)「仕事」とは人間が【強いられる】ものであり「遊び」とは強いられないものである。モンブラン登頂は娯楽(遊び)である。

3.富裕層が夏のあいだ、馬車を仕立てて同じルートを走らせることは、遊びである。その特権を得るのに相当な金がかかるからである。もしこれに対して賃金の支払いを申し出られたなら、それは仕事となってしまい、たちまちやめてしまうだろう。

「強制されないもの、特権的なものが、遊びになる」
というのは、1世紀半ちかく経った現代でも通じる。本質的に変わらない。

応用を試みると、「特別な仕事を、自発的に取り組む」という条件が成立すれば、仕事も、遊びになり得る。

ここで「遊び」とは、「おふざけ半分でやる」「手抜きする」ということではなく、楽しく(ノリノリで)やれること。また「特別な仕事」とは、たとえば賞賛される/注目される/難易度が高い、といったこと。だけど、派手・華やか・大規模であることは必須ではない。大事なのは希少性だ。

「自分にしかできない(から呼ばれた・指名がかかった)」という高揚感、納得感が醸成されれば、なりたつ。
仕事は「規模・大きさ」よりも「希少性」の観点で評価する。

◆遊びにはムダがある。

似たような教訓話はたぶん世界中にある。

若い頃から休まず働いて金持ちになった男が、ようやく念願のバカンスに出かけ、ガイドを雇って釣りをしていた。「なぜそんなに働くのか」と聞かれ、「休暇を取って、のんびり釣りを楽しめる身分になるためさ」と答えた。
するとガイドが、「なんだ、そんなことですか。それなら5歳のころから毎日やってますよ」と言った―。

十分に満ち足りると、今度は不足、不便を求めるようになる。満ちると欠けさせたくなる、という心理。

ムダだから遊びになる。思い通りにならないから興奮する。不変の法則だ。

これを一歩すすめて、自分で自分に仕掛けられるようになると、「モチベーション」とか「愉しみ」を、自在にコントロールできるようになるはずだ。
自分自身に適用し、そのアプローチを誰かにも伝える。そうできたら全体の生産性、活気みたいなものが上がる。

...と思って、手探りで勉強したり、学びの場に参戦したりしています。


トム・ソーヤーの世界、つまり 河があって、中洲があって、魚釣りをして、秘密の基地があって、世の中(の遊び)を教えてくれる大人がいて、、、子どもの頃、わくわくと興奮し、本の中のできごとなのに、羨ましく思ったものです。
映画『レッド・オクトーバーを追え』の最後、潜水艦を隠すアメリカ内陸の河川上で、ラミウス艦長とライアンが子どものころの思い出(父・祖父と釣りをした)を語る場面がある。ひょっとすると、『トム・ソーヤー』をオマージュしたのでは、と想像しています。『トム・クランシーの冒険』というところでしょうか。

最後までお読みくださりありがとうございます。


◇お仕事のお手伝いメニューを試行提供中。※テスト段階のため無料です。
・形態:Zoom等を用いての遠隔ミーティングを主に想定。
・対象:個人事業主の方で心理的安全性の確保された壁打ち相手が欲しい方等。

「ご案内:個人事業で提供するメニューと、提供できる価値(2024.1版)」


いいなと思ったら応援しよう!