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vol.091「『わかってたつもり』の粗さ、不確かさに気づかされた:政近準子さんラジオ出演。」

私の学びの師匠のひとりである政近準子さんが、ラジオに出演されました。「渋谷のラジオ」の『シブヤファッションエクスプレス』というコーナーで、ナビゲーターは早川千秋さん。そこに政近さんがゲストとしてインタビューを受けるというものです。

※スマホ用noteアプリからアクセスすると、30秒早送り巻き戻しもできます。聴き直しにおすすめ。

放送を聴いて考えたことをシェアしてみます。


◆「何をしている人か」を一言で説明できない問題。

政近さんは日本で最初にパーソナルスタイリストという概念を生み出した人で、単に表面的な「似合う・似合わない」ではなく、クライアントの内面に向き合う。政近さんが"正解"を教えるのではなく、クライアント自身に考えていただく気づいていただく、というお仕事をされています。顧客には政治家や企業の経営トップ、いわゆる社会的ステータスの高い方々。だけでなく"ふつうの"老若男女いろいろな方が訪ねてこられるのだそうです。(政近さんnote記事 でも何度かご紹介されています)

「箱から外に出る」、また箱を形どる境界線の存在をまず自分で発見する。服を装うことは最終的なゴールに過ぎず、または通過点でしかなく、その前の「自分らしさを自分で定義する(※)プロセス」を提供している、と言えばいいでしょうか。しいていえば「コンサルタント」「コーチ」「カウンセラー」に似た部分もあるけれど、そのどれとも違う。
トッププロの共通点「行っていることが重層的で複合的で、一言でうまく説明ができない」にやはり当てはまる。

※「自分らしさを定義する」・・・単に「私らしく生きよう」「他者との差異化戦略」でもなくて、これも表現をお借りすると「This is me」(映画『グレイテスト・ショーマン』)を発見する、だろうか。

◆「ファッションのプロ」の前に、教育者。

政近さんのもう一つの側面が「教育者」。ファッションの学校(メタファッションジャパン、MFJ)を運営されてて、私はその授業を受けて、圧倒的なエネルギー量、広さと深さ、複雑性に魅了され、何度か受講しています。いわゆるリピーター、コアファンです(コアファンだと思っていました)。
完全オンラインで開催される全4回の授業では、もっとも広い意味での「ファッション」、その歴史、意味、もたらす力について教えています。特に日本人がいかにファッションを学ぶ機会が少ないか、世界の装いと比べて特有の文化、暗黙のルールを作り出しているか(入学式入社式、パーティーや園遊会)などは、非常に勉強になり、そして衝撃も受けます。

※各回とも「2時間半」と予告されてはいるものの延長することも多く、数時間に及ぶこともある(もちろん途中退出自由、後日録画公開のフォローあり。)。一流のトッププロたちのもうひとつの共通点「受講料に合わせた加減をしない。このくらいにしとこう、というブレーキがない」の、代表例の中の代表例の人だ。

この「分野の専門家の前に、教育者」は、私がその先生に師事してリピートする最大のドライバーになっています。(と、あらためて気づきました)

今回、特に響いた点を、2つ挙げてみます。

◆「マイナスをゼロにする」という数式。

1つ目は、政近さんがファッションレスキューという会社を立ち上げることになったきっかけの話です。
若い頃に難病を患い、その時に自身がファッションに救われたことで、他の人を同じように助けることができるかもしれないと気づいた。ファッションといえば華やかな印象がある。ゼロから加点していく、足し算どころか掛け算の、華やかなイメージがある。だけど、まずはマイナスをゼロまで戻すような使われ方があってもいいのではないか。それが「私、ファッションレスキューやるわ」とパートナー(ご夫君、シンセカイ氏)に伝えた。なぜあのときその言葉が口をついて出たのか、今でもよくわからないけど、降ってきた感覚があった、というお話でした。(山下の解釈含みます)

私は前述のとおり、授業を何度も受けている、いわばコアファンです。だけど、授業で同じ概念の話をおそらく何度も聞いているにもかかわらず、「まずはマイナスをゼロに戻す」という切り口を、初めて聞いたような感覚を受けた。
言われてみると、ある技術や知恵が人を救ったり押し上げるとき、プラス方向に向かうのだから、マイナスからゼロ、ゼロからプラスの2つがある(2つしかない)に決まっている。複雑な話ではない。
けれども新鮮な、聴いていて軽い衝撃を受けた くだりです。

◆「天才タイプ」を定義してみる。

2つ目は、政近さんがデザイナーからスタイリストに方向を転換したときのお話です。
ファッションの学校を卒業し、アパレルブランドの会社に入った。いま求められている(売れる)服は何か、それをビジネスとして成り立たせることも得意なほうだった。だけど、このままやっていっても、自分が山本耀司(ヨウジヤマモトの山本氏)になれるわけではない、と気づいた。ゼロからイチを創出する才能よりも、世の中にある服を組み合わせ、そこに価値(意味)をのせて提案する仕事のほうが自分には向いている。活かせる、人に貢献できる、と感じた。だからスタイリストへと舵をきった。

このくだりを聴いて、「あ、自分は非常に粗い解像度で物事を見ていたな」と気づきました。
この世を単純化して、すべての人間を「天才タイプ」と「普通(または秀才)タイプ」の二種類に分けるとしたら、政近さんは明らかに天才タイプです。ここでいう「天才」は、「万能である」とか「素晴らしい人格者である」ということを意味しない。賞賛やお世辞の話ではありません。
車に、フェラーリもあればカローラもクラウンもある。フェラーリは世界中から注文され、順番待ちで、誰もが知ってて格好いい。
では毎日の通勤カーに使えるかといえばクエスチョンです。オフロードも走れない。燃費は悪いし、故障したらパーツを取り寄せる。渋滞をさけて裏道を通ったり、夜遅くなって静かな住宅街に帰ってきて車庫に入れるには、まるで向いていない。
一方、カローラは、燃費、小回り、運転のしやすさ、カーナビ、後方カメラ、環境への配慮。これらの評価軸ではフェラーリに完勝する。機能性、合理性、経済性、エコ。すべて高得点がつく。
「天才タイプか秀才タイプか」はそういった意味で用いています。

◆人間の「わかってたつもり」は粗く、浅い。

それまでなんとなく、「天才タイプ」イコール「クリエイター(創出者)タイプ」と思っていた。「天才・クリエイター」と「普通(秀才)・編集者」の2値で捉えていた。話を聞いて、人間の「タイプ」と、「才能の種類」は別の問題で、少なくとも4つの象限に分類される(というか象限は無数に近い多数ある)ことを理解した。
私は典型的な模倣・加工・再利用型の能力、「編集者タイプ」ですが、「才能の種類」軸でいえば、政近さんも私も同じ側に入る。創出者か編集者は、適性が異なるというだけで、優劣の問題ではないことに今ごろ気がづいた、という話でした。

※ちょっと考えれば当たり前の話で、たとえばカラヤンは音楽史上に残る天才タイプだと思うけど、「指揮者」という分野が、作曲者との対比でいえば「編集者タイプ」だ。

2つの気づきに共通するのは「人間の理解度というものは極めて粗いものだ」ということ。「自分は誰それさんのコアファンだじ」「彼の/彼女のことを語らせたら長くなるぜ~?」と思っていても、実はかなり不確かで、過信しがちであること。
同時に、新しい情報や視点が加わることで、補助線が惹かれて、理解が深まるということでもあります。

25分はあっという間にすぎて、まだまだこれからが本題、というところで終了時刻を迎えた感もあり。締めで触れられていた「また何度か登場していただきましょう」の機会に期待!!
政近さん、早川さん、素敵な時間と多くの刺激を、ありがとうございました。



勉強しようと思ったら、同時並行する数はいくつかに絞る。リソース投下対象を集中する。深堀りすること、インプット源をすこし変えながら何度も復習することで、自分の定義を補強することができる。
そういったことが重要なのだな、と思い返したできごとでした。

最後までお読みくださりありがとうございます。


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