vol.150「遊びをその場で編み出す。参加者を対等にあつかい、難易度を調節すること。」
山口周さんがvoicyのどの回かで「僕は人が集まったときにその場で即興で遊びを考え出すの得意なんです」という話をされていた。
それで思い出した話。
祖母が亡くなったという知らせがあり、葬儀のために帰省したときのこと。
2009年だから、もう十五年ほど前だ。享年、たしか満98歳と聞いてたから 1911年生まれ(明治44年生まれ)だと思う。
◆晩年のばあちゃん。
達者で、頭の回転が早い。野球のルールを、ちゃんとは知らないのに巨人戦を熱心に応援し、口が悪い。口は悪いが、陰湿な誹謗やいじめということでもなく、ユーモラスに茶化して、舌をぺろっと出す感じだった。
亡くなる2,3年前。帰省のついでに入院先にお見舞いにいった。
入室して「ばあちゃん、誰かわかる?」と聞くと、「それがね、最近は誰がだれか分からんとよ。ごめんね」との返事だった。聞いてはいたけど、認知症が進んでいるらしい。でも妙にしっかりした返答だな。
その直後、同行した父(祖母からみると長男)に向かって「●●ちゃん、何々が何々で...」(※父が子どもの頃からの呼び名)と普通に話しかけた。
「ばあちゃん、父さんのことは分かると?」びっくりして質問する。
と、父を指し、「この人のことを忘れたら、これになるよ」。自分の首に手を当てるまね(会社をクビになる、みたいな仕草)をした。
「・・・?!」
自分が認知症、物忘れになってるということを理解している。父のことは覚えていて、その距離感、重要度も理解している。孫(わからない誰か)と息子(父)の差異を認識して、かつそのことを孫(誰か)に的確に説明している。そのことを、言語で正しく説明、ができている。
一瞬、「認知症になってるフリをしてるのでは?」と思ったできごとだった。
その次に帰省した際には、すでに相手を認識することが難しくなっていた。
車椅子に座らせて、ロビーへ連れ出しても無反応。目をつむって険しい表情のまま。あの元気でやんちゃな、ユーモラスなばあちゃんにもついにこの時がきたとわかり、悲しさやら虚しさやらで、早々に切り上げて辞去しようとした記憶がある。
弟はそれでもそばにしゃがみ込んで一生懸命大声で話しかけて、人間としての優しさ、性根(しょうね)の違いが出た。
◆火葬場での「問題を発見」。
そんなことも思い起こした、葬儀当日。
告別式を終え、火葬場へと移動した。比較的あたらしい、立派な葬儀場で、大人たちは遺族待ち合い室へ入って茶話などはじめる。
チビっ子たち(従兄弟妹の子どもたち。祖母のひ孫世代)は館内を探索。中庭を見つけて皆集まる。さいしょは思い思いに遊んでたのが、いつのまにか鬼ごっこが始まった。
ここで問題を発見する。
ひとつめ。
中庭の真ん中に御影石、と言ったらいいのか、石でできた大きな台座のようなモチーフが据え付けられていた。切り出して磨きあげたようなつくりで、四辺、四つ角とも鋭利にとがっている。
誰かが転んだり、エキサイトして押し合いへし合いで頭でもぶつけたら、けっこうな怪我をする。
打ちどころが悪ければ、それ以上の事態もありえる。
ばあちゃんの葬式に来ておいて、ひ孫の中から葬儀を出すことは何としても避けなければ。
ふたつめ。
当時、ひ孫世代の上は小学校低学年~幼稚園年長。下は年少~3歳ぐらい。鬼ごっこをしたら、上の世代と下の世代では勝負にならない。
恐れていたとおり、いくらもしないうちに、上の世代の圧勝で鬼ごっこにならない。上の世代どうしで真剣にやり、下の世代にはタッチに行かない。いわゆるミソ扱い。
→下世代が「なんで自分たちにはタッチしない(鬼に交替しない・ゲームに参加できない)の!」と怒り出す。
だんだん皆がヒートアップし、喧(やかま)しくなり、全体として変なテンションになってきた。こういうとき、事故は起こりやすいものだ。とにかくクールダウンさせる必要がある。
なにしろ葬式のおかわりは出せない。大人たちは全員控え室にいる。引率責任は重大である―。
というわけで、鬼ごっこ・駆けっこに代わる別の、安全な、それでいて盛り上がるゲームを急いで考えた。
◆即興で考えた「新しい遊び」。
クリアすべき条件は2つだ。
① 年齢による有利不利がつきにくく、全員が参加できること。
② とにかくペースダウン。走ったり飛んだりしなくていいこと。
考案したのは、「変則・チーム対抗陣取りゲーム」。
対決する場面は「じゃんけん」のみ。立ったままできる。かつ、腕力や脚力に依存しない動作だ。
移動は、靴の幅を右左継ぎながら、所定の歩数ぶんだけすすむ。必ずスローになる。走らない。
チーム制にすることで、年上組1人vs年下組2人、のような戦力均衡も図れる。
さっそく、彼らに声をかける。新しいゲームの誕生だ。
「よーし、いったんストップ!全員集合~! 今から新しいゲームをやりまーす。イチローとタケシは一人チーム。ハナコとモモエはペア。ゲームは、真ん中の石から、じゃんけんをして勝ったほうが外に向かって進める。
じゃんけんはわかりやすいよう、はっきりゆっくり出して。最初はグーね。
外側の塀にたどり着いたらゴール。わかった?
わかったらチームにわかれて、やってみようか!」
なにか人を動かすときのカギは、「自信をもって堂々と」+「自分も手を動かす」だ。
◆新しい鍵を握るのは
結果は、全員が真剣に参加。上の世代も下の世代も勝負に勝つつもりでやっている。もちろんゆっくりと測りながらのスロー移動。まず怪我の心配はなくなった。
それでも想定外は起こる。
じゃんけんは、同時に出した(つもり)としても、なお年上に有利だ。年下組は偏った手を出しがちだし、手を形にするのも遅い。年上組からすれば(ことさらズルしなくても)相手の手を察知しやすい。
そして、ゲームが進行して、離れていくと、じゃんけんが互いに見えなくなる。特に背の低い年下組。
「じゃんけんの手を挙げて、見えるように!はい、ハナコはグー。ジロウとタケシが勝ち!」
「なに、もう外塀にたどり着いた?じゃあ次のミッションを与えます。そこから右に曲がって、今度は塀を制覇して」
細かく手を打って軌道修正していく【トビラの図参照】。
大事なことは、あくまで公平にやること。そして子ども向けと侮らず、一人前扱いすること(目線は年齢別に変える)。「ハナコは鬼にならなくていいよ」とか、じゃんけんにわざと負けてあげる(年上組を負けさせる)などは間違ってもやらない。
とにもかくにもゲームチェンジは成功したのだ。
いろいろ話題にことかかない、ちょっと口の悪い、お転婆ばあちゃんだったけど、僕は好きだった。孫たちもたぶん皆そうだったと思う。
このときにつかんだ、「全員が参加できること。参加者全員に勝つチャンスがあること」「ルールは無ければつくればいいし、見直せばいい」みたいな感覚は、のちのち仕事やなにかで役立っています。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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