vol.032「学んで役に立ったこと:一つ所に全体重を預けない、「めんどくささ」の価値、「聴く技術」はお金になる、フィードバックには投資せよ」
本を読むか、有償のセミナーか、仕事(いわゆる会社)以外のコミュニティに参加するかして得たことで、特に役に立っているものを書き出してみます。
1.アウトプットはインプットである
◆話すこと。
話しているうちに、考えが整理される。オートクリンという脳の機能だと聞いたことがある。誰しも経験があると思う。
たとえば、人に(いわゆる部下や新人メンバーに)早く覚えさせたかったら、とにかく本人に話してもらう。身内のミーティングの場でもいいし、会議(本番)で説明、でもいい。
「伝わること優先→理解している人間(古株)が話す」だと、いつまでたっても後発が育たないし、ダブルキャスト化できない。前提として「一度で複数の目的を追う」よう設計する。だいたい、古株(自分)が、新しい彼ら彼女らよりも説明が上手い保証などないのだ。
「社内の会議」で練習する。「身内の上司」で練習する。練習台の場はだんだん大規模に、練習台の上司はだんだん上の役に標的を変える。
◆書くこと。
紙に書くか、パソコンか、スマホに打ち込むかは人による。とにかく書き出す。
箇条書きにするのなら、先頭に通し番号をつけたほうが認識しやすい。脳内の記憶をあてにしてはダメだ、というのは、何度も失敗して、理解した。「これを話すぞ」というつもりでいても、その場になったら記憶は簡単に飛ぶ。原稿の場合、書き出しておいて、話したら別の色のペン(または違う太さ・質感のペン)で条線で消し込んでいく。話す項目のタイトルを箇条書きでもいい。滑り出しの一段落ぐらいはセリフそのままを書いてもいい。「思いつきで喋らない」「無計画に喋りはじめない」。
ToDoリストの場合、残った項目を新しい紙に書きうつして、通し番号を振りなおす。これを終わるまでやればいい。※現実にはToDoがコンプリートすることはないし、毎回最適行動を取れるわけでもない。つい先送りにし、後に痛い目に遭うこともしょっちゅうある。
私の場合、ToDoと消込みは紙にボールペン(=アナログ)がしっくり来るが、「コピー・再利用できない」という欠点もある。デジタルと併用するのがベター。
2.習慣化の価値と再開する意味
◆「再開」できるかどうか。
いちど習慣化すれば、やらないと気持ち悪くなる、と言われる。半分事実で半分ちがう。一定の期間サボると気持ち悪さが消滅する。
ポイントは「途切れても再開すればいい」だ。日記もブログも運動もダイエットも誰も、「前回の続き」からはじめる。私やあなたのことを、誰もさほど気に留めてない。
特に、ブログのように「書きためる=情報を取り扱う」場合、書いたものがなくなることはない。つまり、進んだ道のりを後戻りすることはない。ダイエットや何かとの大きな違いだ。しばらくサボっても、再開すれば貯まる。足し算で効く。
ブログ(SNS)は、「友達登録をして閲覧された瞬間に、一定のボリュームがあること(寒々しくないこと)のために書く」、という側面があるから、中断しても足して増えていくことは意味がある。「最後の記事の日付が古い」ことは目につくが、「途中、中断していた」ことはさほど気にならない。
◆「めんどくさいこと」の価値。
そうすると、どうやってボリュームを増やすか=書くネタを確保するかが重要になる。「成功したときの結果」だけだとなかなか数が稼げない。答えはもちろん「過程も書く」「失敗も書く」だ。4象限のうち1つだけ→4つとも使う、だからずいぶん楽になる。
経験上も、「成功か失敗か」よりも「読みたかったことかどうか」の要素が大きい。読むのは(読んでもらえるのは)「知りたかったことが書かれてる」または「言いたかったことを書いてくれた」だ。ほかの人があまり書いてないことを言語化すると、響きやすい。
なにか行動を起こしたら、「試したことそれ自体が人に話す元ネタになる」という視点を持っておく。成功したらシェアする。失敗してもシェアする。
書き続けているとそのうち目にとまって、声をかけられることがある。「文章を定期的に投稿し続けることの面倒くささ」を彼ら彼女らは知り尽くしているからだ。「誰それ先生の大ファンです」と連呼するよりも、その行動「めんどうくさいこと」は説得力を持つ。
3.一つのコミュニティに全体重を預けない
◆「サードプレイス」は複数持ち、入れ替え戦をする。
複数のコミュニティを持っておく。会社関係(仕事関係)以外の世界との接点を、【複数】持っておく。すこし前に「サードプレイス」という言葉が流行ったけど、「サード(一箇所)」ではなく、いくつか持っておく。一箇所では比較測定ができない。つまり評価と見直しができない。たとえばそこを"出入り禁止"になったらまた一から探すことになる。いくつか持っておくといい。
同質の、同じコミュニティ内でだけつるまない。同じメンバー・同じ話題の飲み会は、「参加できない理由とセリフ」を何パターンか準備しておいて、スムーズにことわる。平日の日中、一緒に過ごす顔ぶれと、夜も一緒にいることで得るものは(平均すると)少ない。場合によってはゼロではなくマイナスになり得る。その空気や文化や行動原理、使っている言葉に、ゆっくりと染まっていくからだ。布の染色や匂いとおなじで、長い時間かけて染まる/染みると、取れるのに時間がかかる。本人は気づかなくて周囲からはすぐわかる、気になる、という点でも同じ構造だ。
サードプレイスが1つだけだと(変な日本語だが)、同様のことが起こり得る。ファーストやセカンドプレイスに居場所がないとき、サードの居心地がいいとなおさらだ。浸かってないか、停滞してないか、染まってないか、は気にしたほうがいい。
所属するコミュニティをいくつか持っていて、定期的に入れ替え戦をおこなう、というのが今のところ一番いいように思う。別にそのコミュニティが悪いとかじゃなくて、タイミングがきたら移住する、という感覚。同じ畑から連続だと収穫量が逓減する→新しい土地へ移動する→最初は耕したりテントを張る場所を確保するのがストレスだけど、収穫のためにはやったほうがいい、みたいな感覚。
◆「肩書きが役に立たない」という練習をしておく。
外のコミュニティに参加する目的のひとつに「名刺を頼りにできない練習」がある。仕事と無関係の場では、所属する企業の名前や役職がまったく役に立たない。何を知ってるか・できるか、話してて面白いか、役に立つ能力を持っているか、勉強する習慣のある人物か、といったことを観察されている。名刺に印刷されている情報は、記号ほどの価値もない。
「肩書きが何の役にも立たないから、自分が何者であるかを説明できる必要がある」という練習を積んでいく。練習時間は長いほうがいい。退職してからでは遅い。
◆茶化す人間があなたの人生に貢献することはない。
勉強なり、試行錯誤なりしていると、そのことを茶化す人間がときどき現れる。情報発信したら、コメントで冷やかされることがある。結論からいうと、相手にしなくていい。
アウトプットしていれば意見や声は聞こえてくるもので、受け止め方は人それぞれのやり方がある。
私の場合、①肯定的な意見→お礼をいって参考になりそうな部分を気に留めるか、試しに実験してみる。結果を報告する。②否定的な(茶化す)意見→「この人は私の選択(人生)に結果責任を取ってくれる人だっけ?」と考えて、答えがのーなら全無視。またはコメントを書き込んでくれたことへのお礼を述べて、内容はスルーする。
結果責任を取らない相手の"評論"は聞かなくていい。逆もそうで、関わりのうすい他人に時間を使わない。批判を書き込んだりしない。
判断とは「選択肢の中から選ぶこと」で、言い換えると「選ばなかった可能性を捨てること」だ。人生で出会った人全員と仲良くはできないし、味方は常に少数でいい。
4.ITは能力を増幅する装置
調べる習慣は、得したことが多いように思う。知らない言葉はとりあえず検索する。こっそりでも、後からでもいいが、すぐ検索する場合(スマホをさわる)は「検索してみますね」と一言ことわる。
「自分で調べること」はつまり「そのまま受け取らず、疑うこと」だ。「疑うこと」は科学(哲学)のスタート地点だ。(※その反対が信じることで、信仰(宗教)のゴール地点だと考えている)
調べるときは、できれば原典にあたる。一次情報にあたる。見に行くか聞けたらいちばんいい。難しければ原典から引用している情報(人)を探す。
スマホの登場で、「1アクションで手に入る情報」(Wikipediaに書いてある内容)の価値はずいぶん下がった。標高ゼロメートル、という感覚。それでも、調べる能力は有効だ。Googleが類似の情報(好みそうな情報)を上位に表示するから、そのことを認識して検索できることには価値がある。ITは、人間の弱点を補う装置ではなく、強み(の差)を増幅する装置だと思っている。
調べたら「行動した話」と同じように、書き留める。短い文章を書きためておけば、足してつなぐことで長文がつくれる。長文を分解して短文にすることもできる。再加工できる、編集できる、足す・間引きする、検索できる、がデジタルの特徴だ。天才タイプ/天然族の人たちは一筆書きで長文を書ける。われわれ凡人には真似できない。けれども、短い文を少しずつ書く→足して長くする→寝かせておいたものを取り出して書き直す、、、していると、それらしく出来上がっていく。
足し算であること(後戻りしないこと)、無限に再利用できること、が、SNS(等)で文章を書きためておくことの本質だと考えている。
5.聴く能力はお金に換えられる
話す能力、書く技術で、「お金を取れるか」というと、なかなか難しい。ブログがわかりやすい。その分野でかなりの著名人が、ためになる・読ませる文章を、無料公開している。そのなかで有料課金するというのは相当に難度が高い。
それらに比べると「聴く」能力は、お金になる可能性が(かなり)あると考えている。話す・書くとの最大の違いは、「コンテンツの源が自分にあるか相手にあるか」だ。「聴く力」を発揮するとき、コンテンツは相手側にある。相手が話して、こちらが聴く・反応する・確認することで、相手の考えが整理される。話す・書くが 発信 の機能なのに対して、聴くは 受信・反射・共鳴・増幅・一時保存 の機能だ。反射であり増幅の機能だから、仮に相手が時給10万円の人だったら、整理された考えの価値に時給10万円(以上)になる。自分の考えが整理されて、次の打ち手がまとまるのなら、その機能に報酬を払ってもいい、という人はいるだろう。
報酬まで行かなくとも、聴く力は重宝する。「傾聴の技術」と「反応の技術」だけで、信用を得ることがある。饒舌に語るよりも、リスクが少なく、生産性が高い。防御重視のシフトなのに得点につながりやすい、という感覚。
似た構造で、人の信頼を得る必要があるとき、「役に立つ」の前に「害をなさない」と示すほうが先だ。先生と生徒の関係でいうと、まず「面倒くさくない生徒」になる。次に「有益な生徒」になること。
中間管理職の立場なら、心理的に安全な場を用意すること。現に安全だよ、と何度か実例で証明してみせること。「安全な人物である」という証明書はとても貴重なのだ。
6.フィードバックは投資してでも確保せよ
自分を自覚するのはむずかしい。気づくチャンスは少ない。人はネガティブなことをわざわざ言ってくれない。いわゆる部下はもちろん、上司であっても連続的・定常的に指導、諭してくれたりはしない。
「人を指摘して言い続ける」ことは、かなりのスタミナ・労力を消耗するからだ。費やす時間、投入する根気、面倒くささ。数十年生きてきた他人を変えることの難しさ、伝わらない徒労感、予想される反発(遺恨)。自分も周囲からどう見られるか。それらを考えると、「圧倒的にめんどうくさい」からだ。
逆にいうと、「弱点、欠点を指摘してくれる人を、身近に持っておく」ことができたら、それはかなりの威力を持つ。人を雇ったり配置したりする権限を持っているなら、そういう性格、能力の人物を近くに置くのがいいと思う。そこまで行けなくとも、いま身の回りにいる人、チームメンバー、部下に、頼んでみる。面と向かって言いづらそうなら、匿名・無記名で教えてもらう仕組みを考える。
あるとき、自分のチームマネジメントに、どうにかして客観的チェックをもらいたいと考えて、当時のメンバーに「無記名での意見出し(要改善点の指摘」を頼んだことがある。面倒くさい依頼を受けてくれ、不在の日にブレスト的に洗い出してくれたそうで、まとめたものをフィードバックしてくれた。そのときの資料は一生の宝だ。(このエピソードはいわゆる鉄板ネタになり、同僚・友人たちからは感心しきり、特に上級上司たちには100%ウケた。こんなことをする管理職はほかにいないし、受けてくれるメンバーもいないからだ)
とにかく、どうにかしてフィードバックの仕組みをつくること。コスト(お金や手間や面倒)を注ぎ込むだけの価値がある。
実スキルの各パーツ群の一つ上のレイヤで、視点というのか捉え方を定義できていると、そのスキルに追加投資する、機会に挙手する、取捨する、が、やりやすくなると考えている。
この記事はまた定期的に棚卸し、再整理します。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?