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【第1回】43歳男性が、新卒から20年勤務した大手企業を退社し、コンサルタントに転身したときの話

英語の論文を読み、シンプルにわかりやすくまとめる、という趣旨でnoteを始めましたが、それだけというのもどうかなと思い、気分転換に自分語りします。

私は新卒入社した大手自動車関連メーカーから日系のコンサルティングファームに人事コンサルタントとして転職しました。43歳で初めての転職、そして人事コンサルタントという職種も未経験でした。
初対面の方にこの話をすると、まず間違いなく、どうしてですか? 何があったんですか? どうやったんですか? と質問されまくります。皆さん、こういう話が好きなのか、飢えているのか、転職したくてもできないからなのか。。。その都度、転職の背景や理由のすべてを説明することはできないので、ここ(note)にまとめておくことにしました。


始まりは一本のメール

42歳、夏のある日、会社アドレスに社外からメールが届きました。差出人に心当たりはありません。何だろな、と思いながら開いてみると「石黒さんの今後のキャリアについて一度お話をうかがいたいです。今度、名古屋に行く機会があるのですが、ご都合はいかがでしょうか」的な内容。差出人は、とあるエグゼクティブサーチファームの方、いわゆるヘッドハンターでした。

新卒入社まで

私は1973年2月生まれ、第二次ベビーブームど真ん中世代の人間です。愛知県・三河地方の伸び伸びとした田舎環境で育ち、県立高校を卒業して1年浪人の後、関東六大学の私大に進学しました。
大学時代は、当時の御多分にもれず、サークル・アルバイト・麻雀に明け暮れる毎日を過ごしたので、もっと勉強すればよかったという後悔しています。なので、「最近の学生は・・・」などとは微塵も思ったことがありません。むしろ最近の学生はちゃんと勉強していて、偉いなぁと尊敬しています。
で、就職活動は1995年の超氷河期。しかし、今でいう情弱だった私は、新卒就職戦線が異常に厳しいことすら気付いていませんでした。当時、インターネットはまだ普及しておらず、資料請求ハガキの送付がエントリーの始まり。業種を問わずにいくつかの会社にハガキを送り、たまたま選考に進み、たまたま内々定が出た愛知県の自動車関連メーカーへの入社を決めました。

自動車関連メーカーでのキャリア

3か月の新入社員導入研修の後、私は本社人事部に配属となりました。そしてその後、2年から5年の間隔でジョブローテーションを重ね、以下の部署で職務経験を積んでいきました。
  23~26歳:本社・人事部 人事室 ・・・ 賃金制度企画
  26~31歳:本社・人事部国際人事室 ・・・ グローバル人事制度企画
  31~35歳:メキシコ現法 人事・総務部門長
  35~37歳:本社・人事部採用室 ・・・ 総合職新卒採用係長
  37~39歳:本社・人事部人材育成室 ・・・ 人材開発課長
  39歳~    :本社・情報通信企画部 ・・・ 原価企画課長
通算すると人事関連だけで17年の経験になります。一般的なキャリアではないかもしれませんが、大企業においては珍しくもないと思います。大手企業であればどの会社にも何人かはいるのではないでしょうか。
それぞれの職場で色々な経験(主にはツラい経験…)をし、語ろうと思えばエピソードは多々あるのですが、ここでは割愛します。一つだけ補足しておくと、40歳を過ぎた時点で、私に転職する気持ちはまったくありませんでした。確かに若い頃は大学院に進学したいと思っていましたし、転職も意識していました。しかし、海外駐在のために35歳を過ぎてしまい、「35歳転職限界説」を信じていたので、あぁこれでもう転職はできないんだな、と思い込んでいました。

なぜ、ヘッドハンターからメールが届いたのか

これは今も謎です。ヘッドハンターの方にも確認したのですが、「とある方からのご紹介で・・・」と情報ソースは教えてくれませんでした。しかし、あくまで想像ですが、キッカケは人材開発課長時代に参加した社外研修プログラムだったのでは、と考えています。一年間で何度か集まる感じのプログラムであり、色々な企業の人事部門の管理職の方が参加し、ワイワイガヤガヤやってました。中にはベンチャー企業の人事部長の方もおられ、そういった参加者と交換した名刺の情報が、ヘッドハンターの方に伝わったのだと思います。

ちょっと長くなってしまったので、今回はここで終えたいと思います。この後、私はヘッドハンターの方に会うのですが、その話はまた気が向いたら、ということで。

続きを書きました ↓


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