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決断するということ

前までは自分の決断に自信が持てなかったり、決めた後これでよかったのか?と悩んでいたけど、最近はそういうことがあまりなくなった(まだ少し気を抜いたら、悩んでしまうけど)。

そんなに悩まなくなった理由としては、決断した答え自体には意味がないんじゃないかと考えるようになったからだ。

決断した時点では、その結果どうなるかなんて分からない。
自分が「これだ」と決めていたならば、それがどんな結果になったとしても、決断自体が間違えていた訳ではないはずだ。

何か間違えていたとするとしたら、過程か決断後の自分の行動だと思う。

決断するまでの過程に関して、しっかりと根拠を持って決断すべき、という話ではない。
未来は必ずこうなるなんて根拠はどこにも存在しないのではないか。

大切なのは、決断者が自分かどうかだと思う。
周りに相談することやアドバイスをもらうことはものすごく重要だとは思う。ただ、周りの"根拠のある"意見に耳を傾けすぎてしまうと、結果を周りや根拠のせいにしたくなる。
どこかで被害者の気持ちになってしまう。

「うるせーおれはこれがいいんだ」くらいの決断をすると、後悔をすることはないような気がする。

この場合、それが"自分にとって"正しい決断になる。

"自分にとって"正しいかどうか、これがとても大切じゃないだろうか。

そして、自分なりにその決断に対して何かしらをすると思う。

これで痛い目にあったら、決断に対する自分の行動に不甲斐なさを感じることがあっても、決断自体を嘆くことはないと思う。
それまでの過程や決断後がナンセンスだったのに、決断自体を後悔するのは「そこじゃないぞー」って思う(自分への戒め)。

自分で決断することと、決断してからの自分。
どの決断をするのかということには、あまり意味はないんじゃないかな。

それくらいの気持ちで決断する。

それでいいんじゃないかな。

#コラム #エッセイ #それでいいんじゃないかな


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