沈黙の箱
50歳をすぎたら選ぶ時が来る。あれもこれもやってみよう!って全てを実践していると、経験から許容量オーバーの表示が見えるのだ。
… … 悪いことじゃない。若いころならまだしも、この年なら、自分の選ぶ基準は、すべからく、自分を幸せにしようという、大いなる野望を満たせるものだからである。
私は欲張りで、自信がない。だから、何でもやってみて、そこから選ぶようにしている。
夏からいろんな事を試した。YouTube動画(非公開)を作ったり、3年目のシナリオ修行からコンクール(6本)に挑戦したり。シナリオ仕事を得るために営業したり、継続案件を受けたり、突発案件のトラブルに悩んだり。事務のお仕事は正社員の穴埋めにされたり、悩まされていた人間関係を思い切って解決したりね。
体調が悪くなると、ルーティンしかこなせなくなる。そういう時は、ルーティンしかこなせない。
私のルーティンは、家事(娘の送迎・食事・洗濯の最低限)・会社(定時のみ最低時間)・定期案件のシナリオ(1社)とわかった。突発のシナリオ仕事は受けた以上、きっちり書いて提出したけど、自分の許容量を計る経験になった。
コンクールのシナリオはお楽しみであるので、体調回復して最初に書こう。
シナリオセンターの課題は、どうかな?研修科もあと6本(全過程で60本)になった。
50歳を過ぎると、体調が悪い時、黙ってじっとしている事に時間を使えるようになる。焦燥感はない。なるようにしかならないと、理解しているからである。
元気な時は、追い立てられるように、あれもこれもやっているので、たまの体調不良の時に、あれを捨てよう、これを持っていこうと、選ぶことができるのである。
拾うのは簡単だけど、捨てるのは本当に難しい。
1年前の私にはなかった事、今はある事なくなっている事、1年後にはある事なくなる事。
予測の出来ない人生を、精一杯、わがままに生きている。