奇妙な好奇心と人の死。
私がまだ小学生だった頃、【人体の不思議展】が開催されていた。
人体の不思議展とは、本物の人間の死体を樹脂加工を施してスライスしたものや血管網だけの標本や妊婦、胎児の標本などを展示。「脳みそを持ってみよう!」なんてコーナーもあったような気がする。
理科室に置いてある人体模型が本物の人間の死体という感じだ。
子供ながらに少し怖いなと思っていたような気がするが、それよりも好奇心が勝っていたのは覚えている。
私は昔からミステリーや未知なる世界やミイラ、深海魚が好きで人が気持ち悪がるようなものに対して少し高揚感を抱いてしまう部分がある。
この人体の不思議展も人間の尊厳を守られない理由から中止になったなんていう話を大人になってから聞いて少し残念な気持ちになった。
と同時に、人体の不思議展に展示されている人達を私は人と思えていないのではないかという気づきがあった。
人は死ぬと魂が抜けて身体が軽くなるという話を聞いたことがある。
家族(祖父母)の死に直面した時に、魂が宿っているであろう死の間際が一番怖くて泣いていた。
しかし、死化粧を纏い棺桶の中で眠っているのを見た時によく聞く「まるで眠っているみたいだ。」とは思えなかった。
まるで蝋人形のようだ。
魂が抜けているからなのか空っぽの入れ物が棺に入れられている。そんな感覚だ。
人体の不思議展に展示されている模型と同じような感覚だった。
これは人間というより、【人間が入っていたもの】
だから見ることにそこまで抵抗もなく触れることも躊躇いなく出来たのだろうと思う。
人間だと思ったら私はきっとそんな事は出来ないだろう。
勿論、触れられるように特殊加工されているからもある。
しかし、生前、死後展示に使われる事に同意した方々への敬意を忘れてはならない。
人の死が好きとかそういう事では全くなくて、人の死は嫌いだ。
家族やペットの死に直面する時はものすごく怖い。
いなくなってしまう、実態がそこにあったとしてももう二度と会うことは出来ないんだと分かると思い出と共に寂しさと悲しさも迫ってくる。
誰の死も決して喜ばしいものではない。
綺麗事のように聞こえるかもしれないが、誰しもが健康で幸せである事を心から願う。
毎日誰かの命が消えていく。
【人が死ぬ】という出来事はとても大きな出来事であり、毎日起きているにも関わらずそれが自分にとって身近な存在でない限り深く悲しみに落ちると言うことはなかなかない。
私もそうであるけれど、なんだか不思議だなといつも思う。
今日も誰かの命が消えていったこの世界で、どこかの国と国で戦争が起きて多くの命が奪われているこの世界で、私は今日もコーヒーを飲み、友人と笑い合っているのだから。