「自分」を主語にして生きていきたい

何かを決めるとき、気をつけていることがある。
そのうちの1つが、タイトルにした「自分を主語にすること」だ。


誰かのために、とかこれが正しいから、みたいなことは、少なくとも自分に対しては一切言わないことに決めている。
なぜなら、自分以外の理由で決断をするとき、少なくともわたしはその分の見返りをどこかで求めているからだ。

「誰かのために」は美談のようだけど、その分責任をその人に背負わせる。
「ために」は「のに」を呼びうるから、「誰かのために選んだのに喜んでもらえなかった」というような感情が生まれ、そう思ってしまう自分自身にも苛まれる。


単純に、そうやって苦しむのが嫌だったのだ。



わたしにとっての自分中心主義は「自分が」今どうしたいかを考える。
誰かに喜んで欲しいと「自分が」思ったからその人のために行動する。その結果喜んでくれたら「自分が」嬉しいから。そんなふうに誰かのために行動できる「自分」が好きだから。

自分中心主義は、「誰か」の裏に隠された自分の願望を明らかにすることでもある。


自分で何かを決めることが怖くとも、結局自分のことしかわからないし、自分がどうしたいかが最も自分を裏切らない。
結局、決断や行動(すること、しないこと)全てが自分のためにあると気がついてしまえば、自分中心主義はそのことに意識的になろうとする1つのやり方に過ぎない。


自分の大事な人に笑顔でいてもらえると自分が嬉しいから。
その人のために行動している時間が楽しくて、そんな自分が好きだから。



こうしてわたしは自分中心主義を標榜しながら、誰かのためを願える自分を追い求めている。

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とくさ色
読んでくださってありがとうございます。もしもことばを通じて遊んでもらえたのならば、とても嬉しく思います。