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日記について
この頃日記を書いている。
三日坊主を直すための努力が三日続かない三日坊主の私にとっては、かなり珍しいことだと知っている。
日記と言っても2、3文も書けば次には全く違う内容を書いている一貫性のなさで、適当にマス目を埋めるような感想文をこなす以外、書くという行為が得意なわけじゃない。
日記そのものを置いてきたりなくしたりするので、日記はスマホのメモ帳にあったりWordにあったり、よく散り散りになっている。
それでも時折日記を書いているのは私のためだ。
誰かが思い出してくれる時のため、私が思い出す時のために書いている。
影響されやすいと笑われるかもしれないけれど、しばらく前にテレビで亡くなったある方と、その日記を後から見つけたご家族のことを放送していた。
そのご家族についてはある日の日記にあった、配偶者を想う1遍の詩が有名になったのだけれど、私はその放送を見て泣きながら別のことを思った。
日記は、人に遺すことのできるものなんだなって。
それから、何度も三日坊主を繰り返しながらも日記を細々と書いている。
私には、(彼らにとってはわからないけれど)私にとってはひどく幸運なことに、私がいなくなったら悲しんでくれるだろうなという人がいる。
私のことを思い出してくれそうな人がいる。
だからもしもそんな時がきたら、日常私が見ていた世界を、こぼれ落ちていってしまう日常を残したくて、この日記を書いている。
それからすぐ忘れてしまう私のために、こんなにいろんな思いと出来事がある毎日を少しでも掬いとっておきたくて、日記を書き溜めている。
初めての誕生日、幼いころの運動会、たまに行く家族旅行の写真は残っていても、毎日の出来事はほとんど残っていない。
日々の何気ない映像ほど、覚えていたい姿ほど、時間が経てば思い出すのが難しくなってしまう。
心の中に持っていた感情なら尚更、いなくなったらもうわかりようがなくて伝えようがないことはこれまでたくさん見てきたことだ。
だからせめて、本当は必要がなければいいのになと願いながら、私は私が見た日常を残しておこうと思う。
いつか、必要になった時に、私の大事な大事な人たちに、この切れ端のような記録が役に立つことがもしもあればと思って。
祈るような気持ちで、忘れたくなくて、なくしたくなくて今日も記している。
これは私にとって唯一遺せる、
いつかさいごになるラブレターのような祈り。
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