放り投げて夜は明ける
「夜だけは私のもののような気がする」
そうSNSで投稿して、実際にそういう感覚を持ったまま、わたしは今膝を抱えている。
人と話している時はあんなに気持ちが乱れてどうしたらいいかわからなったのに、1人になった瞬間すっと冷えていく。この心と頭は、どうして人といる時間と自分だけの時間の働き方を逆にしてくれないのだろうと苦笑する。
人に気持ちを伝えなければ否定的な感情が蓄積し、伝えれば後悔して嫌われただろうかと怯えることを繰り返し、自分はつくづく人との付き合いに向いていないなと思うのは何度目か。
数えることにも飽きるくらいなのは間違いない。
突然ぶっちゃけていうと、
わたしはかなり”コミュニケーション”というものが苦手だ
(宣言はもちろん、何の救いにも言い訳にもならない)。
わたしは多分幼少期から「こどもづきあい」というのが不得手なこどもだったのかもしれない。
幼い頃他の子供と遊んだ記憶もあるものの、よく考えればそれはたまたまわたしに適任なキャラクターをあてがわれていただけだった。放っておいても1人で遊ぶのが得意だったことは当時良さでもあったけれど、その違和感やある種の欠如はだんだんと自覚できるものになっていった。
幼いこどもの根拠のない万能感が効果を切らす頃、それは特に如実になってきた。自分の特徴を書きましょうというお題を出された際に、クラスメイトに言われた「わたしの印象」は、何人ものこどもに共通し明らかにネガティブな単語だった分今でも強烈に記憶に残っている。
大きくなるにつれてその場その場だけの付き合いが必要なことも学んだし、大人にどう見られるかがこども社会の中で未だもつ影響力の大きさにも気がついて、盾にしたこともある。
もがきながら何とかその瞬間は防げたとしても、常に感じがよく実際いい人の友人の元には後輩先輩同期など人が多く集まって、わたしはそれを横目に仕方なく他のポジションを探っては挫折して来た。
結局、わたしには友人もほとんどいないし、
友人の中でどれほどの人が付き合いでなく自分を友人と思ってくれているだろうと思い続けて生きている。
中学生の頃に気がついた「自分とわざわざ付き合ってくれるなんてよほどのいい人に違いない」という感覚は正しかったなと思うし、そういう意味では優秀なフィルターに恵まれてきたけれど
わたしは本当は、気の置けない友人を持って、
相手が困った時には一番に相談したいなと思われるような存在になってみたかった。
親友だよねと言い合える関係を持ち、他者から信用され愛される可能性があるのだと感じることのできるような明るい人間になってみたかった。
こんな本音は、(当然)言う相手がいないけれど。
実際に出来上がって来たのは、卑屈さを曖昧な笑みと強めの立場で誤魔化そうとし、自分が嫌いなまま他者にどう思われるかに常に怯える中途半端なわたしだ。
ここまでこんな感じで少しずつ自分を理解し、諦めながら作られて来た結果がこうなのだから、これからも急激に変わる可能性は低いのだろう。
昔より自分の外見は気にしていないし(鏡を見なければ見えない)、卑屈さだって「そういう人の感覚を理解することができる」なんて肯定的な意味づけができるようになった。
それでも、わたしは幼い頃わたしが憧れた正義のヒーローとはかけ離れすぎた人間になってしまった。
幼い頃のわたしへ、手紙を書くとしたら謝罪の嵐になる予感しかしない。
「光に溢れた、美人でみんなに好かれるヒーローに憧れていた()のにごめんなさい。自分自身を客観視するのが辛いくらい嫌いでさりとて変わろうという努力もせず(いやほんとに反省はしてるんだけど)、友人は少なくむしろ一回限りの初対面の相手の方が愛想がよくできるタイプで能力もないのにプライドが高くコミュニケーション不全な大人にこれからもなっていきそうですすみません本当に。
あまりにも憧れと真逆で落ち込んでいるところに申し訳ないのだけど、さらにいうと1人が好きすぎて今や1人でいて特にコンテンツもないのに自分の行動にゲラゲラと爆笑し、怒り、ポロポロ泣くような、1人の時が最も人間らしいという完成形になってしまう予感しかしませんし、幼い頃から何をやり直したらいいかわからないので、恐れ入りますがタイムマシンがあってもお力になれそうにありません。誠に申し訳ございません(土下座スタンプ)……」
こんなメッセージを送ったら、幼い彼女は怒るだろうか。
彼女の夢を壊したことをむしろ怒る気もする……
理想通りになれるなんて考えはとっくの昔に捨てたけれど、自分があまりにも自分すぎて人生低空飛行だなといつも思う。
そんなことにも慣れきってしまって、きっと今から1時間もしないうちに、布団にたどり着けないまま大口を開けて寝ている(この予想が当たる気しかしない)。
そんな人生はどうなんだろう。答えは出そうにない。
おやすみわたしの夜。明日もしんどいわたしを抱えていきていくことも、答えの出ない問いも、一旦放り投げておくことにしよう。