ラブレター

なにから書こうかちょっと悩んだけれど、このノートを書くきっかけをくれた人から連想してタイトルはラブレターにしてみた。

と言ってもいわゆる恋愛としてのラブレターなんて書いたことはないし、なんなら本物を見たこともないままだいぶ大人になってしまった。
そういう時代でもなかったのかなぁ。うーん。

いわゆるそういうラブレターは見たことがない一方で、最近わたしはラブレターを書くような気持ちで人に言葉をおくりたいと特に強く思っている。
わたし自身は昔から言葉というものにややうるさい性質で、電車の車内広告の文字列や小説の一編を持ってきては言い回しの美しさや意味の伝達の正確さを矯めつ眇めつ吟味するのが好きだった。
けれど最近はそこに込められた感情の方に先に目がいくような気がしている、という意味での「ラブレター感」である。
相手に伝える手段や技術、また芸術における記号や表現のことばではなく、相手のことを思う自分の気持ちをのせることのできるものとしてのことばと、わたしは最近仲良くなろうとしてもがいている。
自分の贈る言葉が相手にとって良いものであればいいな、相手にとってより素敵と思えるようなことばを送るにはどうしたらいいだろうかとしばしば考える。

そもそもことばは多分、もともとそういうあたたかいものだったのだろうけれど、ことばにわたしが込めた拙い祈りや励ましに気がついてくれる人にわたしは幸運にも出会うことができた。
その人はわたしのことばに気がついて足を止め、いいねと一言声をかけてくれた。
それ以降、精一杯ことばを選んで精一杯その人を大切にしたい気持ちが伝わればいいなと、口を開き送信ボタンを押すようになった。
その気持ちがほかの人にも向けられるようになって、わたしの日常は今ラブレターの送信に彩られている。

ラブレターのような、いかにも気持ちがこもっていますという特別なものでなくても、わたしは1つ1つのことばに相手を想う気持ちを込めることができる。
今はそのことを改めて教えてくれた、ラブレターに気がついてくれたその人に感謝をしつつ、わたしは今日も尊敬や愛情や親しみや自分の持てるあたたかいものを詰め込んだラブレターとして、ことばを人におくりたい。

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とくさ色
読んでくださってありがとうございます。もしもことばを通じて遊んでもらえたのならば、とても嬉しく思います。