「先生」という言葉の再定義~「先生」の「先」って?~
僕は私立高校で教員をしています。結構、楽しい教員生活をしています。
ここ数日はコロナの影響もあり、在宅勤務をしています。理解のある学校で感謝しています。
しかし、数日間、誰とも話さない環境というのは慣れないものですね。自分の中のエネルギーが少しずつ目減りしている感じがします。
「やはり人前で話すことは僕にとってエネルギー源だったのだな」と実感し「先生」という仕事は僕にとって、思ってたよりもずっと大きな存在だと気が付きました。
さて、今日はその「先生」という言葉について考えていきます。
この文章は2018年の夏に僕が出席した教員研修で感じたお話です。
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今日は東京駅の真横のビルで研修。ICTに関するアプリなどの実例報告会。未来の学校や教育について考えてきた。
こういう研修に参加するたびに、
「先生」
という言葉について考え込んでしまう。
先生とは文字どうり、「先に生きる」という意味だけど、この場合の「先」って何だろう?
「この仕事、先にやっておいたよ」は「この仕事、君より前にやっておいたよ」と言い換えられる。つまりこの場合の「先」は過去を表している。
これに対して、「もっと先のことを考えろ」は「もっと未来のことを考えろ」と言い換えられる。つまりこの場合の「先」は未来のことを表している。
つまり「先」という言葉は過去も未来も表すことができる。
僕たち「先生」は生徒よりも「先」に生まれている。だから生徒よりも「過去」の経験が豊富だ。そしてその経験から得られた教訓を使って生徒を指導している。
でも僕たち教員は新しいテクノロジーに弱かったりする。生徒の方がアプリやSNSの使い方が上手だ。
「新しいテクノロジー」=「未来」だとすると、実はテクノロジーに強い生徒の方が「先=未来」を生きているとも言える。
こう考えると生徒は僕たちから見ると「先生」である。
僕は色んな意味で生徒にとって「先生」でいれたらいいな。過去の経験という意味でも生徒の「先」を生きる。そしてテクノロジーという意味でも生徒の「先」を生きられたら良い。だから新しいアプリや、新しいテクノロジーにミーハーでいたい。
研修会の最後に、研修に参加した教員・業者300人くらいの前で「今日のまとめを発表したい人いますか?」と聞かれたので手を挙げて上記の内容を発表。薄い拍手をもらった‥笑
ウケはともかく、「発言をしなさい」と生徒にいつも言っているので有言実行できたのは良かった。
でも悔しかったのは一番に手を挙げなかったこと。一番尊いのはクオリティーが低くても最初に発言すること。何だか萎縮してしまった。
何事も「先逹はあらまほしきこと」ではない、と2018年の夏、強く思う。
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今日はこんな文章です。
オンライン授業の検討をしている先生たちもこの時期多いと思います。我々、教員がテクノロジーとガッツリ向き合う時が来ました。
僕も色んな意味で、生徒たちの「先生」でいられるように頑張っていきたいな、と思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。