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妥協について

(自分の受験勉強にたいする気持ちをあれこれ。)


意識せずとも、いくつかの、何らかの作用により、ちょうど一年前に聴いた音楽やアニメのワンシーンを思い出すことがある。暖房の匂いとか、朝、家を出たときの風や光の感じとか、そういうものが、去年の記憶を運んでくる。

最近ようやく頑張るコツを見つけて、調子良く生活が出来ていると思ったら、2日前にとつぜん風邪をひいた。風邪をひいてからの生活は散々で、頭が痛い、喋れない、身体が痛い、起きれないなど重なって、ぼーっとするだけで一日が終わってしまう。
せっかく頑張り始めたのに出鼻を挫かれたのも酷いけれど、もっと嫌に思ったのは、風邪をひいたことを免罪符にして一日中だらだら過ごしてしまう自分だ。
確かに頭痛くて集中出来ないし何故か目まで死ぬほど痛いけど、それは一番酷いときの状態であって、体調の波が落ち着いている時は普段通り色々出来る。
身体が弱ったら心も弱るとか言うけど、その心の弱みにつけ込まれて、一日中youtubeを見てしまうのは愚かだと、結局その程度なのかと情けなく思う。


昔はあまり風邪になんてならなかった。去年のこの時期には寒い北風が吹く中で自転車をこぎながら学校へ行っていたはずだ。
ふと、去年聴いた音声作品を思い出したので、聴くことにした。しんどい時に聴く音声作品は良い。耳以外の五感が鈍っているので、目を閉じても良いのが有難い。

高い声は少し頭に響くな、と思う。
前にASMRで癒されたときは、本当に眠たくなるような声に誘われ、いつの間にか何も考えられなくなっていた。あの時は、あのような囁き声こそが幸せそのもののように思えた。
カーテンを開けたままの窓の外の空が、じわじわと濃い青に塗られていく。身体のすべてを、声の聞こえる元へゆだねていく。



ぼーっと音声作品を聞いていると、思いがけないことを言われた。

……その、どうしてもやらないくてはならないことって、あると思うんです。

自分のやりたいことのためだとか、生きていくためだとか、理由っていろいろあるんだと思います。そうやって頑張っている先輩は、やっぱり、カッコイイです。

でも……もし、本当に辛いと思ったら、休んでみることも必要だと思うんです。それは逃げているのとは違うと思います。風邪を引いたら、休むじゃないですか。心が疲れても、同じなんです。休まないと、壊れてしまいます。

せんぱい? 間違ってはだめですよ? 休んでも、いいんです。道は一つではありません。無理して、ボロボロになって……。本当はいろんな選択肢があるのに、それを考えられなくなってしまうことが一番だめなんです。

私は、先輩に教えてもらいました。何かあっても、またやり直せばいいんだって。せんぱい? 休むことは、逃げるわけでも、終わってしまうわけでもないと思います。また歩き始めるための、自分を見つめ直すための、充電時間なんです。ちょっとくらいハミダシたって、大丈夫なんです。何回だって、やり直せるんです。

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私は驚いた。ただただ、本当にそうだと思った。

休むことに罪悪感を持たなくていいんだよという優しさも勿論受け取ったが、それ以上に、「本当はいろんな選択肢があるのに、それを考えられなくなってしまうことが一番だめなんです」と言われて、言葉通り目を開かされた。閉じてたのに。


〇〇大学を目指している時は〇〇大学のことしか考えられなくて、△△大学を目指している時は△△大学のことしか考えられなかった。馬鹿なのにプライドが高いから、外面ばっかり気にして、人に馬鹿にされたくなくて、自分の将来とか考えずにただ視野を狭くしていった。

ただ、考えることから逃げずに、正面から自分を見てみると、分かることがある。
私は何かにつけて完璧を求めたり、自分の能力に対して自惚れがあったり、周りと同化するのが嫌だという思いがあって、それらの思いを保身するために、高い場所を目指しているような所作を自然と取っていた。
目標が達成出来る可能性を考慮することはなく、ただ、目指すことに意味があったのだろう。「高い目標を目指している自分」が、私を保っていた。

今はそれに気づいて、ようやく縛りを解きつつあるけれど、別に私は今までの保身のための縛りを、弱さだとは思っていないし、完全に捨てた方がいいとも思っていない。だから、その縛りに気づいてから自分の過去を振り返ったとしても、過去に泥を塗るようなことをするつもりは無い。私は今、たった今、前向きな妥協を始めているのだと思う。
これは、目標のレベルを下げることに対して妥協という言葉を使っているのではない。私は度々、妥協という言葉のほんとうのところを探りながら、何をもって妥協とするのかを考えていた。
「凍りのくじら」で若尾が出来なかった妥協、PSYCHO-PASS劇場版で宜野座が使った「妥協」という言葉。
私は妥協が出来るのか。妥協はしていいものなのか。妥協でもって私の自惚れを破壊できるのか。
そのようなことを段々理解してきた気がする。
私は、自分の大切にしてきたものを折ることで、妥協とし、また別の方向へ進んでいく。前向きな妥協、自分のことを分かってあげて、全てが合理的だと思えた時に、一歩進むための、光明の妥協。
本当に、妥協というのは難しくて、だからこそこの言葉は自分に対してしか使うべきではない。決して、他人の決定に対して、それを妥協だと言うようなことはしてはいけないんだろうとも思う。
また、私の思う「妥協」という行為は、決してそれをする前よりも劣ってしまうようなものではない。方向を変えて進むこととも言えるから、かえって進歩しているし、明るいものだとも思う。
『違国日記』の笠町くんのセリフを思い出した。

さっき仰った…「男社会の洗礼」
おれはそこから降りる もうその土俵には乗らないと決めたら 急に色んなことが楽になった
より危ないことをしたやつが勝ち
より女の子をモノ扱いできるやつが勝ち
より楽をしていい目を見たやつが勝ち
その連鎖を断ち切らないでチキンレースやって冷笑してる 本当はプレッシャーで死にそうなのに

そこしか知らなくて そこから落ちたら終わりだと思って必死でしがみついてた
他にいくらでも「なっていい自分」はあったし そんなチキンレースで自分の価値を試す必要なんてなかったのに

そこから降りて 逃げて やっと人間・・になれて初めて余裕が出たってとこかな

違国日記 7


私は、休むために、受験勉強を休むために、△△大学に行くことを諦める必要があるのかもしれない。道は一つではない。耐えられない環境で無理をして、視野を狭めて、色んな選択肢を見失うのはだめだ。
休むことは、受験勉強を休むために妥当な大学に行くことは、逃げるわけでも終わってしまうわけでもない。ちょっとくらいハミダシたって大丈夫。何度でもやり直せる。

しかし浪人中に、いくらでも私は充電時間を取ったのではないかと、もう十分休憩して十分自分を見つめ直して、やり直せないほどハミダシたのではないかと言われるかもしれない。でもそれに関しては、受験期間内に私は何をしても本当に休まることなんて無かったし、浪人期間中はそれ自体有意義なものであって、次の段階への準備はその期間に出来たことではない、と言わせてもらおう。

次の段階に進まなきゃな、と思う。いつまでも不得意な受験勉強をして地団駄踏んでないで、早く終わらせて、次に進む。そんでどんどん出来ることを増やしてく。
すぐに諦めてはいけないが、視野を狭めてまで何年も粘り続けるのもよくない。自分の実力を見極めて、妥協点を定めて、一旦そこに身を置いて、次の機会に備える。
とか格好つけて言ってるけれど、まあ要は疲れたのにだらだらと続けるのではなく、ばっさりと終わらせて、はっきりと次に進みたい、という話。


風邪ひいてかなーりしんどいですが、てか風邪なのかインフルなのかコロナなのかはっきりして欲しいところですが、ちゃんと受験勉強に関して一歩考えを進められたのですっきりしました。ちょっと時期遅いか。いや遅いなんてことはない。

皆さんもケチらずに暖房つけて寝ましょう。風邪ひきますよ。
ありがとうございました。おやすみなさい。
ノシ
(一週間ほど前に書いた日記です)


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