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弱いからこそ持てる優しさがある
諸々のことに疲れたり、多くの心配事から一旦距離を置きたい時は、時間を気にせずに外をふらついたりする。
何週間か前にもそんな気分になって、その時は本屋へ行った。いつも本屋では、並べられた背表紙をざーっと見ていくだけなのだが、その日は時間を気にしなくていいので一冊一冊じっくりと見た。
その中で、綺麗な装丁で目を引いたのが『エレナの炬火』という漫画だった。本屋に行くと、新書などは中身が読めるので内容を読んでから買うかどうかを決めるが、漫画は中身を開けないので選ぶのが難しい。だからたいてい、知ってる著者や知ってるレーベルの本しか買わなくなり、どうしても似たジャンルの本を読むことになる。私の場合はまんがタイムきららや楽園コミックス、フィールコミックスが多い。また、漫画趣味の友人がいるわけでもないので漫画に対する見識もそこまで広くない。
そういうわけで、そのとき手に取った『エレナの炬火』に関しても1ミリも知らなかったわけだが、親切なことに、表紙の帯に丁寧なあらすじや、舞台とその時代背景が書かれていた。それを読むと、これがまた小さい文字を敷き詰めるようにして多くの情報を伝えようとしているのだが、ちょうど私の好みにあっていそうな物語だし、一冊に対する力の入れようが半端では無いなと感じたので買うことにした。
今、ネットで検索すると、確かにその表紙や帯を見ることは出来るのだが、是非これは本屋に立ち寄ったときに実物を見てもらいたい。
読み終わってから本作を調べているとこんなツイートがあった。
青騎士コミックス『エレナの炬火2』(小板玲音)ができあがりました。
— 青騎士 (@aokishimanga) February 16, 2024
清らかな印象を作るためにカバー、帯、本体表紙、別丁、本文用紙のすべてを種類の違う白い紙から選んでいます。絶妙な白の階調が心地いい1冊となりました。
いずれ福祉国家を作り上げることとなる猫耳少女エレナの伝記譚です。 pic.twitter.com/oal72CUH8Y
「だから手に取るだけでこんなにわくわくするのか!」と納得できることが書かれている。
清らかな印象を作るためにカバー、帯、本体表紙、別丁、本文用紙のすべてを種類の違う白い紙から選んでいます。絶妙な白の階調が心地いい1冊となりました。
なんだそれは。白って何色あるんだよ。
それはさておき、本を買ってから数日かけて1巻2巻と読むと、これがま〜〜〜〜〜〜〜〜おもしろい。ここで私が物語のあらすじを語るのはかったるいし、「物語自体の良さ」を話すのも得意じゃないのでそれは他に任せるとして、まあいつも通り私が好きだと思った箇所を話したい。
まず(私の)時系列的にどうしても第1話を読んだときの感想から話してしまうんだけれど、この第1話を読み終えたあと、私は「この本は続けて2話と読めない作品だ……」と天井を仰ぎながら思った。1話1話読み終えたあとの余韻が気持ち良い。読み終わっても読み終わらず、話は終わったが私はまだ物語の世界に残留してじんわりと噛み締めているような感じ。映画館で良い映画を見たあとに、映画館から家までの帰り道のことをあんまり覚えていないときのような感じ。頭の中でそれしか考えられなくなるような重厚さがある。
ところで主人公のエレナについてだが、私ははじめアークナイツのアーミヤのような強さと優しさを持つ子だなと思った。
私はアークナイツを見たときから常々アーミヤのようになりたいと思っていた。アークナイツを知らない方は、それを単純に「エレナのようになりたい」と置き換えたら分かりやすい。そしてまた『エレナの炬火』またはアークナイツを見た方は分かる通り、その思いはなかなか難しいものだ。まずエレナやアーミヤのような、多様な人間に対する慈愛の心や、大きな力に恐れず立ち向かう性格は、生まれ育った環境や生まれ持った性質によるものが多く、私みたいに口癖が「ぶち殺すぞ」な人間が、いきなり変われるはずがない。あるいは徐々にでも変わることは難しいだろう。だから具体的にどうするかを考えるのではなく、生きる上での指針として、アーミヤのように強く生きようと漠然と思っていた。
そこに今回、エレナのようになりたいという思いが加わったわけだが、その曖昧な思いは数日で崩れることになる。
第9話を読んでいただきたい。ネタバレというか、読んだ時の新鮮さを失わせるような事はなるべく書かないようにするけれど、出来ればまずは第9話を読んでいただきたく思う。もしネタバレして良いんだったら先に第8話の好きなところをどんどん言っていきたいところだが(犬が好きなので)、今回は我慢する。((追記:書いてるうちに長々と内容を話してしまったので見る人によってはネタバレと思うかもしれないです。でも別に内容を知ってつまらなくなる作品ではない。))
第9話は、無邪気でかわいい双子の孤児がメインの回で、一コマ一コマひたすら癒される話になっているのだが、双子といっても性格や好みまで似ているわけでは無い。具体的に言うと、双子はそれぞれスオラとソケリという名前で、ソケリのほうは計算も出来たり物覚えも良かったりで頭が良い。それに対してスオラは、人懐っこい愛らしさは双子で変わらないのだが、いわゆる「普通の女の子」らしい好みや考え方を持っている。将来はお医者さんになりたいからいっぱい勉強する、と言うソケリに対して、双子であるスオラはことある毎に自分と比べざるを得ない。
『エレナの炬火』2巻を持っている方は194ページの2コマ目のスオラを見て欲しい。ここ好き。
手伝ったごほうびに何か買ってくれるという「おばーちゃん(館長)」に、スオラはいかにも年相応な可愛いぬいぐるみを頼もうとするが、先に勉強熱心なソケリが図鑑をお願いする。それを見たスオラは自分ばかり子供っぽいお願いじゃないかと思うように手に持っていたぬいぐるみのカタログを隠し、自分も本が欲しいのだと言った。なんともいじらしい。まだ小さいのに欲しいものを我慢して、煮え切らない表情のまま「私も本が欲しい……」と言う姿が健気で可愛い。最終的には、スオラの本心に気付いたエレナ(その場にいた)に促されて、スオラ自身がおばーちゃん(館長)に「本当は私 ぬいぐるみが欲しい……」と涙ぐんだ顔で抱きつきながら言う。素直に話せなかった理由を問うおばーちゃんに対してスオラは「ソケリみたいに自信満々にできないもん」「がんばって同じお手伝いしてるのに」「ソケリだけじゃなくて 私ももっと皆に認めてほしいもん」と本心を吐露する。おばーちゃん(館長)は「つらかったのですね」とスオラを包み込み、お手伝いの中で何を感じたかスオラに訊ねる。以下、セリフを引用します。会話に出てくる「ヘンリッカ様」という人は病によってエレナ達の世話が必要になった方。
館長
「エレナと一緒にお世話をしてましたね」
「何が感じましたか」
スオラ
「ヘンリッカ様 切ないの」
「本当はきっといっぱいつらいのに でも心配しないよう くじけないよう我慢してて」
「なのに優しかったの」
館長
「そこを感じられたのはすごいことです」
「それはスオラが痛みを知るからこそ」
「相手の見る世界から感情と意味を想像することは 当たり前なようで中々できないことです」
「だめな子じゃありません とびきり優しい子」
「あなたはちゃんとすごい子です」
スオラ自身、つらい思いを我慢しながら普通に振舞おうとする所があるので、同じようにつらさを我慢しながら相手に優しさを向ける人の気持ちを感じることが出来る。それは、弱い部分があるからこそ持てる優しさで、その優しさから素直にヘンリッカ様の思いを汲み取れるスオラは館長の言うように「とびきり優しい子」。ずっと同じように育ってきた双子なのに自分より頭が良いソケリを見て焦りを感じたり自分を卑下してしまうが、スオラはそういう劣等感を抱いてきたからこその他人を理解する強さがある。
長々と話して申し訳ないがここでようやく先の話に戻すと、私のアーミヤやエレナのようになりたいという漠然とした思いに対する答えが、ここにある。
つまり、アーミヤやエレナになることは難しいが、その難しさを理解出来る分だけ、優しさを持つことが出来る。
少しだけ話を逸らしますと、私は昔から勉強が苦手だったのだが、一年ほどかけて基礎から分からないところを一つずつ理解していったことで、そこそこ苦手を克服出来た。またそれによって、数学などで基礎の基礎から全然理解出来ない人の気持ちも手に取るように分かるので、実際に人に教えたこともあるのだが、十分に教えることが出来たと思う。
話を戻す。そのようにして、何かを出来ない人の気持ちを直感的に理解することは、同じく出来なかった境遇を持つ人の特権だと言ってもいい。エレナにはなれないが、肩越しにエレナの見る景色を見ようとすることは出来る。そして、その過程で自分の弱さに直面することもあり、それが誰かの弱さを理解することに繋がる。
あんなに幼いスオラから大切なことを学ばされる私は今まで何して生きてきた? とか言うのはさておき、それぞれの人がそれぞれ背負えるものがあって、それをもって、例えば優しさを強さにしていくなどしたら、いつかは頭の良い双子にも劣等感を抱くようなことはなくなるんじゃないだろうか。
などと良い感じのことを言って締めとします。
『エレナの炬火』すご〜〜〜〜〜〜〜く良いです。よければ紙の本で読んで下さい。では。
ここからはちょっとだけ蛇足。
私はいつかのVTuberが好きだよというnoteで書いた通り、ときどきVTuberを見るのですが、中でも良いなと思う箱(企業)がありまして、その箱の配信者らはVなんだけどこてこてなRPやキャラ作りなんかが無く、割と自然体でいることが多いように見える。その自然さはヴェールのような「ガワ」があるからこそ出せるものだという話をしました。
ところで配信者、活動者には昼夜逆転していたりUberEATSを利用してほぼ引きこもり状態だったり部屋が汚かったりする印象がつきものですが、私の好きな配信者もだいたいそんなイメージで、漢字もろくに書けなかったり、私が常識だと思っていたことがその人にとっては「全然知らん」ことだったりする人もいる。それでも気遣いとかトーク力があり、なにより配信によって私を元気づけているのだから、総合的に面白い。
そういう人らを見ていると、例えば何もかも上手くいかなくて心が弱っている我々を、下から掬い上げるような優しさが、ここにはあるんじゃないかと思える。先の話に繋げると、「出来ない人の気持ちが分かる人」というのがまさしく私の好きな汚部屋の配信者らで、もはや「汚部屋」というのが「出来ない」を象徴しているようですごく良い。片付けなんか出来ねーよ!という気持ちはすごく分かる。ごめん本当は私は掃除が好きだから分からないけど、そういう周りは出来てるのに自分は苦手なことってあるよね、って共感出来る。
だから、汚部屋配信者というのは、共感力のある「とびきり優しい」人なんじゃないかと思います。
蛇足でしたね。
2月になっちった。読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい。