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早起き習慣【基礎教養部】

先月はチームメンバーのあんまんさんに紹介された『サンショウウオの四十九日』を読んで記事を書いた。

今回の記事では、上の記事で少し触れた「天使と悪魔」について書いていこうと思う。

「天使と悪魔」の比喩は、人が重要な決断を迫られたときの内なる葛藤を表現したものである。天使の方が、長期的な視点でよりよい結果をもたらす選択を提案するのに対し、悪魔は即座の満足や利益を重視した選択を勧めてくる。理性 vs. 衝動。

朝目覚ましが鳴ったときにアラームを止めて即起きるか、二度寝に突入するか。寒い中外に出てランニングをするか、温い部屋でダラダラとYouTubeを視聴し続けるか。こういう選択を迫られる場面が生活の中で結構な回数あるだろう。もちろん天使の導きに従ったほうがよいことは頭では分かっているのだが、体が動かない。

いや、本当にそうだろうか。天使の言うことを聞いたほうが自分にとって良いのだろうか?悪魔の囁きにも一理あるということはないだろうか。(これは、天使の導きと悪魔の囁きのどっちを取るかという選択で、悪魔に唆されているシチュエーションであるように見せかけて、実はそうではない。これは「天使と悪魔」ではない。悪魔の囁きに分があると認めたところで私が即座に益を得ることはないので。)

起床シチュエーションでもランニングシチュエーションでも、どんな場合であっても悪魔が天使に先行する。天使が何かを言う前に悪魔が甘言をぶっ込んできて、それにつられそうになる。いや、甘言ではない。それに従ったとしても悪魔に唆されたと気づかないような、天使の導きのガワを被った言い回しである。起床の場合は、目覚ましが鳴って起きるかどうか迷っている私の頭の中で「昨日の疲れがまだ残っているのだから、もう少し寝て休息を取った方が自分の心身のためである」とか。これが自分の起床躊躇逡巡開始後わりとすぐに来る。その後に天使が何か言っていた気もするが、よく覚えていない。


というのが1,2ヶ月前の話だろうか。今では悪魔に振り回される回数は大分減った。方法は簡単である。選択の機会を発生させないのである。そうすれば天使と悪魔が登場することはない。簡単なことだ。

目覚ましが鳴って、起きるかどうか迷う。外に出て運動するか、このまま部屋でダラダラするか迷う。そういう迷う時間を作らずに、目覚ましが鳴ったら起きているし、気づいたら走っている。慣れればなんてことはない。というか、二択で迷ってキツイ方を選択しているわけではないので、負荷はない。

慣れを味方につけると強い。天使と悪魔の悪魔も、多くの場合、現在の状態を維持するように働きかけてくる。起き上がるではなくてそのまま二度寝、外に出て運動ではなくてそのままダラダラなど。それまでにやっていたことをそのまま続けるのが楽なのだ。新しいことを始めようとするときは心理的な障壁があるし、体もついてこない。

習慣は「天使と悪魔」のような個々の選択の場面における話よりは一段階上に位置するものではあるが、これもまた、それまでにやっていたことは続けやすいという人間の?性質を利用したものである。

この頃は朝の7時に目覚ましをセットし、起きている。音が鳴ったら起きている、もうそういう体になってしまった。二度寝をするかどうか迷う隙がない。もし悪魔にささやきの時間を与えてしまったとしても、今度はここ最近ずっと早起きしているという習慣の力によって、誘惑を断ち切ることができる。毎日起きているのだから、今日も起きよう。もう無敵だ。

悪魔に囁きの隙を与えなかったり、習慣の力を利用しようとしても、自分にとって苦でしかないことはそう続かないと思う。どうして続くかといえば、少しキツかったとしても、それ以上に大きなリターンがあるからである。早起きはいいものです。続けている人なら同意してくれると思う。そうでない人に早起きの良さを伝えようとしてもうまくいかない。

早起きするとどんな気持ちになるのか、体にどんな変化が起きるのか。それが気になる人は、早速明日から始めてみてください。

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