【日記】R050320 シリアスに関する覚え書き
「死」というのが人間がシリアスになるために必要な虚構であり、その典型的なものが葬儀。そして、葬儀で扱われているのは「死者」にすぎず「死」そのものではないことや、「死者」と「死」そのものの区別を詳らかにすることで、葬儀のシリアスさの偽善性を暴いていくことが一見可能なようだが、実は不可能で、その暴露によってなされているのはより手が込んだ(という意味でより悪い)偽善にすぎず、それがシリアスであることがその証拠となる。
「死」というのが人間がシリアスになるために必要な虚構であり、その典型的なものが葬儀。そして、葬儀で扱われているのは「死者」にすぎず「死」そのものではないことや、「死者」と「死」そのものの区別を詳らかにすることで、葬儀のシリアスさの偽善性を暴いていくことが一見可能なようだが、実は不可能で、その暴露によってなされているのはより手が込んだ(という意味でより悪い)偽善にすぎず、それがシリアスであることがその証拠となる。