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祖母と我が子
今年、父方の祖母が90代で亡くなりました。
心残りもあるので、少しだけ思い出話を。
祖母は、警察官だった祖父を早くに亡くしました。ちょうど長男である私の父が就職する年だったと聞いています。父が母と結婚する時には、当時当たり前だった姑と同居で、私は祖母と両親との3世代同居の家で育ちました。祖母は60歳まで老人ホームの喫茶室で短時間ですが仕事をしていたようです。
私が生まれた時にちょうど祖母がその仕事を定年退職することになり、母は私を祖母に見てもらって正社員で仕事を再開しました。なので私は祖母に面倒を見てもらいながら育ちました。幼稚園に行く年齢になるとバス登園の送り迎えも当然祖母。父も母も忙しく当時はそれが当たり前で、私はほぼ祖母に育ててもらいました。
育っていくにつれて祖母の価値観とあわないこともあったし、母としても思うところはいろいろあったと思いますが、いずれにせよ祖母がいなければ当時の生活は成り立たなかったと思います。それだけお世話になった祖母にも、私が大学進学で一人暮らしをし始めてからは年に何日かしか会わなくなりました。老いていく祖母に気づきながら何もできず、会うたびに結婚のことを言われるのは正直面倒でしたし、耳が遠くなってコミュニケーションが取りにくくなっていったことも大きかったです。ただ、面と向かって結婚の話をしてくるのは祖母だけでしたし、どれだけ期待しているかもわかっていたので、結果として花嫁姿を祖母に見せられたことは本当によかったと思います。
そして当然ひ孫もとても楽しみにしてくれていました。ただ、私が妊娠した時にはすでに認知機能が落ちてきていて、意思疎通が難しいことも出てきました。それがわかっていて里帰り出産に踏み切りましたが、私が帰る1週間前に骨折して救急搬送、そのまま入院してしまいました。
父も母もまだ仕事をしていて、日中祖母のそばにいられる人がいないため、祖母は自宅に戻らず施設に入ることになりました。その頃はまだコロナで面会制限があり、生まれた子どもに会わせることは難しい状況でした。
子どもがもう少し大きくなったら、面会規制が緩和されたら、と思っているうちに、祖母は亡くなりました。
たまたま検査で静脈瘤が見つかり、手術する体力がないため様子見だったのですが、脱腸で緊急手術したすぐ後に破裂してしまいました。もともと破裂したら命が危ないことはわかっていましたし、脱腸の手術で破裂のリスクが高まることもわかっていましたが、脱腸をそのままにしておくこともできず苦渋の決断でした。
写真でしかひ孫に会わせてあげられなかったことが、今でも心残りです。あの時無理をしてでも会わせていたらと思わずにはいられません。でも、それも私の選んだことで全ては私の責任なのでしょう。この気持ちをずっと抱えながら生きることが、祖母を忘れないことにもなるのかなと思います。
死後の世界がどうなっているのかわかりませんが、祖母と祖父が再会してひ孫を見守っていてくれたらいいなと思っています。