「旅行とは、生活という現実を一旦先延ばしにする行為だ」
施川ユウキ氏のマンガは「バーナード嬢曰く。」を読んでしばらく離れていたのだけど、改めて読んでみようと思い「鬱ごはん」を最新刊まで読んで驚いた。
「鬱ごはん」は、主人公・鬱野(就職浪人で、アルバイトをしながら生計を立てている)が、名前の通りネガティブなことを考えながら、ただ一人で何かを食べていくというマンガである。
鬱野はネガティブで卑屈、そしていわゆる「コミュ障」である。「人は必ず死ぬのに、なぜ食べるのか」などということを考えながら、ただ食べる。しかし、この「グルメ漫画」と銘打っていながら出てくる料理が全然美味しそうじゃないのだ。むしろまずそうなのだ。
グルメ漫画の見せ場である「食べるシーン」は、食べるという幸福であり官能であるはずなのだが、この「鬱ごはん」はその幸福や官能をかなぐり捨てて、ひたすら鬱野のネガティブで卑屈な部分を見せつけていく。
そして出てくる情景も、アリにたかられるセミの死骸だったり、つぶされたクモの死骸だったりと目を背けたくなるようなものばかり。圧巻は賞味期限切れのコーンスープや野菜ジュースをトイレに流すシーンだろう。
「あるある」と思う人もいるかもしれない。私は、食事中に店員の言葉や周囲の客の言葉が気になってしまうのだが、鬱野も同じことをやっていて、思わず頷いてしまった。私の場合こんな感じで、結構な勢いで自分の心が削がれていくというか、鬱野にもっていかれてしまうのである。
よくこれで連載が続けられるなあ、と思いながら2巻を読み3巻を読み始めると、今までと少し違う方向に漫画が進んでいることに気がついた。食事のシーンは以前とボリュームがほぼ同じだが、鬱野の自分語りが増えた気がするのだ。1巻では22歳だった鬱野は、3巻では就職しないまま三十路に突入している。このままでいいのかと思いつつも、何か諦めているような卑屈な描写が延々と描かれる。
中盤で鬱野は金沢に旅行に行くのだが、冒頭でいきなりぶっ飛ぶ。
思わず検索しちゃったじゃないか、フランスの小説家・ミシェル・ウエルベックの何という小説か。しかも、私も前から気にはなっていたのだけど、苦手なタイプなんだろうと思って見て見ぬ振りをしていたのだよ、ミシェル・ウエルベックは。
そして旅行の帰路につく新幹線の中、鬱野は生活圏手前の見知らぬ駅で降り、コンビニでおにぎりを買って、駅前の個室ビデオ屋で一夜を過ごすのである。そして独白するのだ。
このくだりは私も非常に共感してしまった(就職浪人ではないが)。そして、「あれ、これって私マンガじゃないのか?」とふっと思ってしまったのである。つげ義春の「退屈な部屋」や「日の戯れ」みたいな、ちょっとした主人公(に投影されている作者)の日常を淡々と書いていくような。施川ユウキ氏がどういう性格なのかは知らないけれど(読書家なのだろうというぐらい)、もしかしたら自分のことなのでは、という気がうっすらとしてしまう。
「旅行とは、生活という現実を一旦先延ばしにする行為だ」という言葉は、私もとりあえずノートに書き留めておこう。