人は傷ついた分、美しくなる
自分が傷つくのは嫌だし
大切な人が傷つくのも嫌
間違えてバカにされるのも嫌だから
ミスをするのも嫌
傷つかなくて良いなら傷つきたくないし
傷つく事に意味はない
以前の私が言っていた言葉たちです。
今でも、傷つくのは嫌です。
でも、大きく変わったことは
傷つくことに意味はあると考えていること。
人は自分と同じような人を救いたいと思います。
自分が傷つく経験して、
同じ目に遭う人をなくしたい、
減らしたいと思うのです。
だから、夢ができたり
努力という事を知ったり
夢中になる事を知ったりして
自分自身の成長に繋がる。
そして、周囲に影響していき
どんどん豊かになって行けるから。
日常的な小さなことでもそうです。
特に人間関係で傷つく人は多くいます。
人に傷つけられた人は
その分、人に寄り添える人になれます。
きっと、その人は『人』を救うために
人に寄り添う力を傷ついた経験から
学んでいるのかもしれません。
中には、傷ついた経験が反骨精神となり
立ち向かう勇気やエネルギーになることも
あるでしょう。
このように“傷つく”のには意味がある。
私たちが幸せになるために
必要な気づきを教えるためにある。
と私は考えています。
だから、しんどいし辛いけど
「傷つくことは悪いことではない」
と思えるようになったのです。
今までは、傷ついたら、
その傷を消すことを考えてました。
でも、師匠にその傷を無理に
消さなくて大丈夫と教わりました。
傷はその後、かさぶたになります。
そのかさぶたを無理やり取ると
また痛みは伴うし血が出て傷になります。
だから、取ろうとするのでなく
傷ごと受け入れるという事が大切。
その結果、自然にかさぶたが取れる。
それが自然で痛みが伴わない。
これを聞いた時、確かに!!と思いました。
私は無理やりにでも取って、
傷を綺麗にする事を
考えていたと気づいたのです。
日本でも『金継ぎ』という修復技法があります。
割れ・欠け・ヒビなどによって破損した陶磁器を
漆で接着し、金の粉で綺麗に装飾する技法です。
私は、金継ぎされた陶磁器が好きで
元の陶磁器にはない美しさを感じます✨
元に戻らないから諦めるわけでもなく
割れたことを受け入れ、活かすことで
金継ぎの作品は出来上がります。
これは師匠の教えと似ている部分があります。
傷やかさぶた部分が、金継ぎでいう割れ。
これらを受け入れた先にまだ見ぬ美しさがある。
自分自身の傷も、
『これも私の一部』と受け入れるから
まだ自分も知らない自分として、
輝き美しくなれる。
そこには、今までのような
無理やりする
我慢する
痛みを伴う
ことは一切必要ない。
むしろ、心地よさが伴い
さらに心地よくなるための方法だと感じます!
みなさんの傷も心地よさと共に
自然と癒されますように…🤍🤍
SUZUKA
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