生まれる権利
もう何年も前のことになる。その日のことはよく覚えている。梅雨明けをしたというのになんだかいやに肌寒く、それでいてジメジメと体中にまとわりついてくる湿気はしっかりと夏の訪れを告げていた。僕は仕事が休みで、板橋本町にある「縁切り榎」という場所を訪れていた。
縁結びにご利益のある神社、というのは数多く存在する。浅草にある今戸神社のように有名なところであればそのご利益にあやかろうと日本全国から参拝者が訪れ、ちょっとした観光スポットのようになっている。だがその逆、「縁切り」というご利益を掲げているところはあまり多くない。有名なところを挙げるにしても京都の八坂神社くらいなもので「他にどこか挙げてみろ」と言われてもなかなか答えに窮してしまうのではないだろうか。実は探せばそこそこ数はあるのだが、あまり大々的に「縁切り」を打ち出してはいない。そういうこともあって縁切りスポットは知る人ぞ知るようなマイナーな場所になりがちだ。「縁切り榎」もそういった場所の1つで、何の変哲もない住宅街にポツンとたたずんでいるのだがあまり人がいるのを見かけたことはない。
僕が何のために縁切り榎に来たのかというと、そこに奉納されている絵馬を観るためだ。そのためだけに自宅から1時間もかかる板橋本町までやって来ていた。ふとしたことから「縁切り榎」の存在を知った僕は、実際に訪れてみたいと強烈に思ってしまったのだ。
そこに奉納されている絵馬。それはなかなか別れてくれない配偶者や交際相手だったり、近隣に住む迷惑な住民であったり、馬の合わない上司や同僚であったり…様々な人間との「縁切り」を願うものばかりだった。絵馬に込められていたのはやりきれない悲しみ、行きどころのない怒り…そこでは人間関係の中で生じるありとあらゆる怨嗟の声が溢れていた。これはなかなかおざなりに観ることもできない。好奇心に駆られて軽い気持ちでやってきた、が正直なところだが少し居住まいを正してその声の1つ1つを拾っていた。
そして僕は裏返しになっていて読めなかった絵馬の1枚をひっくり返して読んだ。読んですぐ、僕は逃げるようにして縁切り榎をあとにした。その絵馬を書いたのは1人の息子を持つ母親だった。そこに書かれていた文面、それは「障害を持つ息子との今生の縁をお切りください」だった。
縁切り榎にはその後も何度も通ったのだが、初めて行った時に観たあの絵馬のショックは忘れられない。あの日以来、学生時代に齧っていた倫理学の本などを引っ張り出して読むことが多くなった。学生時代にはわかったつもりでいた。だが、直に肉筆で書かれた絵馬に触れてどれだけ自分がわかっていなかったのかに気づかされてしまったのだ。
障害を持つ息子を産み、育てるということ。
その生活の中で「縁切り」を願ってしまうということ。
それがどういうことなのか、今だってわかってはいない。だから少しでもわかりたい。わかろうとすればするほどわからなくなるが、もうわからないままでいることはできない。
そもそも「障害」とは何なのだろう。それは不幸なことなのだろうか。
あの母親は間違いなく不幸だと感じていたはずだ。
では彼女の不幸にさせたものは何なのだろう。
障害がある、そのこと自体は不幸ではない。不幸が生じるのはその人が周りの人と人間関係を結ぼうとしたり、社会と関わろうとする段階だ。多くの人が指摘するように、今の社会は健常者に合わせてデザインされている。障害者の存在を考慮に入れて作られたものではない。当然、軋轢が起きる。たとえその存在を考慮されていないにしても、間違いなく障害者はそこに在るからだ。その存在を無視され、声を挙げようとも聞こえないふりをされる。そうして不幸が生じる。
この「不幸」を発生させたのは誰だろう。障害者が在るということ、それ自体からは不幸など生じない。障害が不幸なのではない。社会が障害者を不幸にさせているだけだ。
「出生前診断」というものがある。生まれる子どもの健康状態を誕生以前に調べる技術である。先ほどの絵馬の母親が過去に戻れるとしたら彼女は出生前診断を受けるだろうか。出生前診断であらかじめ生まれてくる子どもの障害が判明していたとするなら中絶という選択を考えただろうか。
出生前診断、そしてそれに伴う選択的人工妊娠中絶は人の生に優劣をつける優生学に繋がるとして批判されている。そのような批判を受けながらも、出生前診断を肯定する論理も存在する。幸福追求権の1つである自己決定権を根拠にした考え方だ。産むという選択も産まないという選択も、誰からも強制されることなくすべて自分自身で決める権利がある、そういう主張である。
自己決定権はもちろん否定されていいものではない。だがその「自己決定」を下す条件やプロセスは注視されないといけない。
今現在の社会が障害者を不幸にする社会であることは間違いがない。そんな社会の中で、障害を抱えていることがわかっている子どもを産むか産まないかの選択を個人に強いること、それを「自己決定」と呼んでしまっていいのか、という話だ。それはあまりにもフェアな条件ではないように思える。
以前、シングルマザーが産んだばかりの子どもを路上に遺棄して逮捕されたというニュースをSNSで見た。煽情的な筆致のまとめサイトである。そこのコメント欄には母親の資力がないことをことさらにあげつらい「なんでこんな女がガキなんて産むんだ」のような、見るに耐えない言葉が並んでいた。その女性の裁判を傍聴したのだが、彼女は経済的に困窮しながらも助けを求めることができる人は誰もいなかった。そして行政の十分な支援を得ることもできず、1人で悩みを抱えこんだ末に犯行に至った。
資力がないからと誰かに中絶を迫られる、もしこういうことが起きた際に争うための根拠が幸福追求権であり自己決定権だ。人の生命の話なのだ。余人がごちゃごちゃ言うことでないし、中絶を迫る言説などもってのほかである。もちろん、はっきり「中絶しろ」と言う人間はそうそういないだろう。だが、あれやこれやと理屈を並べ立てて暗に中絶を促す、こんな人間はいる。この乳児遺棄の話で誰かを責めるとすれば、資力がないシングルマザーを支える構造になっていなかった社会や行政のあり方であるはずだ。誰も犯行にいたるまで彼女に手を差し伸べなかった。もちろん彼女の犯した罪はなくならないし償わなければならないが、その責任を個人にすべて背負わせていいはずがない。
自己決定というのはあくまで自分自身での決定でなくてはいけない。もし産む(産まない)という選択をしたら社会的に批判をされたり不利益を被ったりするのではないか、そんな外的な懸念がある条件の下でくだされた「自己決定」は憲法で言うところの「幸福追求権」とはまったく異なる。
自己決定というものは仮言命法的になされるものであってはならない。すべからく定言命法的になされなければいけない性質のものだ。人は社会のために在るのではない。一方で、社会は人のためにあるのだ。
先日、ツイッターで次のような文章を見かけた。どこかのサイトに書いてあったものを挙げたらしい。
『出生前診断は、「命の選別」 を行う優生思想を助 長しかねないという観点から批判されている。しかし、そのような批判もまた「健常児を産んで、 幸せになりたい (幸福追求権)」 という思いと衝突するものだろう。事実、医師や当事者の中には憲法第13条に定められた幸福追求権をもとに、出生前診断を正当なものとする見解もあるようだ』
今まで僕が書いた文章を読んでもらえればこの一文のどこがどう間違えているかはわかると思う。「健常児を産んで、幸せになりたい」、この言葉を発信してはばからない者がいるという事実。裏返せば「障害者を産めば不幸になる」と決めつけているのと同じだ。これを見れば、障害者を不幸にしているのはこの社会だという言説にも納得していただけると信じている。
出生前診断にまつわる批判というのは障害者の出生に係る話だけではない。親などが望む特徴を有する子ども、すなわち「デザイナーベビー」を「造る」という目的での検査が行われる可能性だって懸念される。長くなるのでこのあたりは書籍の紹介に留めるが、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』やジョディ・ピコー『私の中のあなた』あたりを挙げておけば良いだろう。移植ツーリズムや代理母出産など、倫理的な問題をはらむことが世界で行われているのが現実だ。これらを「幸福追求権」だけで肯定などできるわけがない。
次に現行の母体保護法の人工妊娠中絶に係る条文を見てみよう。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
とある。人工妊娠中絶ができるのはあくまで「母体」の保護のためだ。胎児の状態に関しては条文では一切触れていない。実際には障害を持った胎児の中絶は行われているが、それは「一」を拡大解釈して行われている。「健常児を産んで、幸せになりたい(幸福追求権)」などという、短絡的かつ幼稚な言説などはここには存在しない。
出生前診断及び人工妊娠中絶に関しては数多くの論点があり、論点の数だけ考え方がある。僕が書いてきた文章などはその中のもっとも代表的なものの1つに過ぎない。これが全面的に正しいとは思っていないし、かといって全面的に間違えているとも思っていない。人間の生命について考える時に、安易な結論などは決して出してはいけないという最低限の自制心くらいは持ち合わせている。
だが、文中で挙げたどこかのサイトに載っていた文章のように、すべてが間違えている言説というものは存在する。
人の考えることだ。正しいこともある。間違えることだってもちろんある。だから間違えること自体をとやかく言うつもりはない。だが正しいことや間違えていることにどう関わっていくのか、そこにはその人の生きる姿勢が現れると思っている。誰かをあげつらい、冷笑的な姿勢を取りながら面白半分に人間の生命を語る人の生き様や態度を僕は軽蔑してやまない。そういう、ふざけた生き方をしている人の言葉は何もかもが間違えている。
何年も経ったというのに、あの絵馬を書いた母親のことは時折思い出す。今、あの母子はどこでどんな生を歩んでいるのだろう。どこかで幸せに生きていてくれていることを祈ることしかできない。
縁切り榎から逃げ出して地下鉄の入り口にたどり着いたとき、蝉の鳴き声がどこからか聞こえてきた。その年、初めて聞く蝉の鳴き声だった。その高らかに響くけたたましい鳴き声は、1つの生命がたしかにそこに在ることを告げていた。