疲れた人を救いたい

いつだって肩や腰、膝が痛い。何をしていても何もしていなくても痛い。これが我慢できないほどの激痛ならば思いきって仕事を止めにして治療に専念することも考えるのだろう。だがそうでもない。痛いのは痛いけれども我慢はできるし日常生活に支障をきたしているわけでもない。それが逆にたちが悪いのだ。なまじ我慢ができてしまうので、四六時中痛みに顔をしかめながらもお金や時間をかけて抜本的な対策を講じようという気にはならない。そうして僕は今日も身体のあちこちの痛みをこらえつつ息も絶え絶えに生きている。

身体の痛みだけでなく、最近は目のかすみ方も著しい。ちゃんと物を視ることができるのはもってせいぜい1時間。その後は目薬を差してしばらく目を休ませる工程を経ないと格段に物が見えなくなる。僕の仕事は目を酷使するもので、そういう仕事の疲れが蓄積されてこんな事態になってしまったのではないかと思っている。寝る直前までスマホをいじっているのもきっと良くないのだろう。目がダメになった原因がどんなものであれそれは構わないのだが、兎にも角にもなかなか不便なものだ。

もうすこし身体の不調を書き連ねるが、最近は全然眠れない。僕の場合、昔から不眠の時期というのが定期的に訪れるので今困っているのもそれなのだが、ただでさえ身体がボロボロなのに満足に休むこともできない、というのはひどくしんどいものだ。不眠に関してはだいたい季節の変わり目あたりにやってくるのでしばらく辛抱していればまたいつでもどこでも眠りこけることができるようになるのだろうが、その時が訪れるまでは常に調子の悪い状態でぐったり生きていくことになる。これもやっぱりしんどいものだ。

調子が悪いのは仕方がないにせよ、少しでも改善するなら嬉しいと思う。そう思ってまた寝る直前までスマホでいろいろ調べているわけだが、なかなかこれといった方策も見つけられないでいる。
道を歩けばあちこちにマッサージ屋や整体の看板を見かける。もちろんスマホの中でもそういった店の宣伝はかしましく展開されている。さっきから僕ばかり我が身の不幸を嘆いてしまっているが、だいたいみんなおんなじようなものなのだと思う。
どうにかこうにかごまかして、どうにかこうにかやっていく。そうやって誰もが生きているのだろう。その中でマッサージ屋やら整体に行く、という行動に出る人もたくさんいる。その気持ちはわからないでもない。
「お仕事の疲れ、家事の疲れなど、疲れは人により様々ですが、様々な身体の疲れに対応できる、おススメメニューを複数ご用意しておりますので、お気軽にお問合せください」
スマホで検索していて見つけた、とあるマッサージサロンのホームページに出てきた文言だ。
下にスクロールしていくと、マッサージサロンの経営者の紹介が載っている。経営と言っても1人でやってるプライベートサロンなので実際に施術もする方である。そこには微笑みながら腕を組む男性の顔写真とともにその簡単な経歴などが記されている。少し長いが引用してみよう。個人が特定できないようにある程度文面は修正を施した。

ーー高校卒業後、IT企業に就職したが、残業も多いハードワークで身体の調子を崩し、30年ほど各地のリラクサロンを歩きまわるもどこか物足りなく、それなら「自分で満足できる店を作ってしまえ。」という思いで骨の矯正を習得。のちにストレッチを習得、骨をならす整体とストレッチを掛け合わせた"他にはない施術"「整体ストレッチ」を考案しました。疲れも性格も人それぞれです。お客様一人ひとりの身体と疲れに真剣に向き合います。

スマホをいじっていたら偶然このサロンのホームページにたどり着いたわけだが、これを見てはじめに抱いた感想、それは「本当にまだ辞めてないんだ」だった。僕はこの男性を知っている。さらにホームページを詳しく見てみる。「きちんと注意事項やルールを決めて、ホームページにもそれを記載します」、あの時言った約束は守られていないようだ。そんな記載はどこにも見当たらない。「ルールさえ決めたらいいって思ってる?」、そう訊かれた際には「いや、そんなことは思ってません」と気色ばんで答えていたものだが、ルールを決めたかどうかさえ疑わしくなってしまう。


「被害に遭って、尊厳を踏みにじられ傷つけられました。今さら謝りたいと言われても受け入れられません。示談は拒否しました。私の名前や住所なども知られていて怖いですけど、厳重に処罰してほしいです」
検察官が読み上げる被害者の供述を彼はどんな気持ちで聞いていたのだろう。「準強制わいせつ」の罪名で被告人として法廷にいた彼の表情はホームページに載っていた写真とはまるで違う沈鬱なものだった。
はじめに「準強制わいせつ」という罪について説明する。「準」と付いているから強制わいせつに比べて軽微な犯罪と思われる方もいるかもしれないがそんなことはない。むしろ準強制わいせつの方が悪質な事件が多い印象さえある。準強制わいせつとは、抗拒不能な状態にある相手に猥褻な行為を行うという犯罪である。 強制わいせつと違う点は罪の重さでなく、暴行や脅迫を用いないという手段の違いでしかない。
公訴事実は次の通り。被害者は事件当時28歳の女性。マッサージの施術中であり抗拒不能な状態にある被害者に対して、施術を行っていた被告人が胸を覆っているタオルの中に両手を差し入れその胸部を揉む、という犯行態様だった。

 

「以前は会社のサーバーの管理をしてました。腱鞘炎の治療でマッサージに通ったのがきっかけで5年くらい前にマッサージに興味を持って、学校に通って資格も取ってマッサージサロンを開業しました。コロナで疲れた人を救いたい、と思ってました」
これが被告人が供述したマッサージサロンの開業までの経緯である。ホームページでは30年も各地のサロンを渡り歩いたということだったが、どちらが本当なんだろう。
「施術が終わったあとにやりました。女性に触りたくてやりました。1年かけて築いた信頼関係があったので、多少胸を触っても大丈夫だと思ってしまいました」
被害者は事件の1年前からこのサロンに通っていて、一度だけ一緒に食事にも行ったことがあるという。お客様一人ひとりの身体と疲れに真剣に向き合います、ホームページにはそう書いてあった。真剣に向き合った結果が「大丈夫だと思ってしまいました」であり「厳重に処罰してほしいです」である。
その時、被害者は笑顔を浮かべながら身体をよじったりしていたそうだ。明確に「やめてください」と言ったりもしていない。この「笑顔」をどう受け取るのも自由だ。だが、その時自分を守りそして抵抗するためにできたのは「笑う」という行為だけだった。そのことだけは踏まえておきたい。

「親しかったら触っていい、そう思ってますか?」
ーーいや、そんなことはないです。
「じゃあ親しいとか関係なく触ったんですか?」
ーー食事も行ったしラインもしてたし、コミュニケーションが取れてると思ってました。
「食事行ってラインしてたら触っていいの?」
ーーそういうことじゃないです。
「じゃあ何でやったんですか?」
ーータオルから見えてて…つい触ってしまいました。コミュニケーションの一環というか、ちょっと触っても平気かなって…。
「施術でいきなり触られて喜ぶ女性なんかいるわけないですよね? コミュニケーションの一環なわけないですよね? でもやったんですよね?」
ーーやってしまいました…。
「サロン、また営業始めたんですね。辞めることとか考えなかったですか?」
ーー考えませんでした。もう一度、心を改めて反省して始めていきます。きちんと注意事項やルール決めて、ホームページにもそれを載せます。
「ルール作ればいいと思ってる?」
ーーいや、そんなこと思ってません!
「もうそのルールはホームページに載ってますか?」
ーーもう載せてます。

被告人質問の一部を書き出してみた。コロナで疲れた人を救いたい、その理念を感じるのはなかなか難しい。関係を勘違いしてしまうこと、僕にも経験があるから偉そうなことは言えないが、それにしたって「自分で満足できる店を作ってしまえ」と作った店の中でやることではない。これでは自分が満足できる店でしかない。
この事件の求刑は「懲役1年6ヶ月」だった。ホームページを見るかぎり、裁判終了後も普通に営業しているので執行猶予付き判決だったようだ。
営業をやめない。犯行自体よりも、被告人のこの判断の方が僕は恐ろしい。

僕も身体中に痛みの抱えている身である。お手頃な価格で少しでも身体が楽になる手段を探している。一旦傍聴ノートを閉じてまたマッサージ屋さんなどを検索してみる。この、準強制わいせつの罪に問われたマッサージサロンは口コミを読んでも、付いてる星の数字を見ても、今現在はすごく評判がいいようだ。
「コロナで疲れた人を救いたい」、そう彼は書いていた。誰かを救うということ、それは一体どういうことなのか、彼に聞いてみたいところだ。だけどこの店に行こうという気には僕はなれないでいる。

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