残飯を漁る
解体現場、とりわけ一戸建て家屋を取り壊している現場を見るのが好きだ。それが木造であればなおいい。壊されているのはもちろん自分には縁もゆかりもない建物ではあるが、そこになんだか郷愁めいたものを感じてしまうのだ。
何十年もの年月、この家はそこに住む人たちの生活をものも言わずじっと見守っていた。どんな人たちかはもちろん知らない。三世代が同居する大家族だったかもしれない。子どものない夫婦だったかもしれない。もしくは単身で暮らす人だったかもしれない。今まさにブルドーザーでバラされているその部屋でもいろんな会話があったはずだ。それはひょっとしたら喧嘩だったかもしれないし、何か深刻な話し合いがもたれていたかもしれない。他愛もない会話だってたくさん交わされただろう。誰かの思い出が、記憶が、人生がそこかしこに刻みつけられている。それが見る見るうちに破壊されていく様はいつ見ても心を打たれてしまう。
ふとブルドーザーを操縦してる人を見ると、どうも海外にルーツを持つ人のようだった。よくはわからないが中東か東南アジアか、そのあたりの人に見える。ここ何年か、解体や建築の現場で外国の人を見るのは珍しいことではなくなった。僕も学生のころは何度かその手の現場仕事をしたものだが、そのころは日本人ばかりだったように思う。
言葉も習慣も違う異国にやってきてブルドーザーを操縦している彼にも、今までにいろんなことがあったのだろう。楽しいことばかりだったとは思わない。苦しいこともしんどいこともたくさんあったはずだ。彼が動かすブルドーザーの爪は器用に家の外壁を剥がしていく。土埃が舞わないようにそこかしこにホースで水をかけているのはもう70歳は過ぎているように思える高齢の作業員だった。
夕陽に照らされるかつて家だったものはひどく美しく見えた。もうすぐ今日の作業は終わりを迎えるはずだ。あと数日後にここに来ればそこはすっかり何もなくなっている。いつかこの跡地にまた家が建つのだろうか。そこでもまた誰かが人生を営む。そしていつの日か、その人たちもまたどこか別の場所取りへ往き、この場所はまた何もない空き地になるのだろう。そうやって誰かの人生が繰り返されていく。
僕が派遣されていた現場は日本人ばかりだったことは先ほど記した。なんとなく印象的な人が多かった気がする。
かつては大きな会社を経営していた、とよく話していたおじさんがいた。仕事中もよく冗談を言い、大きな声でよく笑う陽気な人だった。職場の誰かが話していたのだが、おじさんが会社を経営していたというのは全部ウソだったそうだ。おじさんはある日、急に無断欠勤をしそれからは一度もその姿を見ていない。
いつも寡黙で、ほとんど誰とも話さずいつも独りでいた人がいた。力仕事なんかはまるでせず、現場の入口を箒で掃いたり水を撒いたりといった仕事ばかりを割り振られていた。話さないだけでなく、常に俯いて人と目を合わせることすらしない彼はそのあんまりな暗さから職場での評価はさんざんだった。いつだって役立たず扱いをされ、ほとんどイジメじみた嫌がらせを受けたりもしていたが、この人は毎日毎日きっちりと遅刻もせず出勤をし言われるがままに残業もしていた。しかし給料日だけは別だ。給料日になると残業要請も断りそそくさと職場を後にしていた。あとで他の人に聞いた話だが、彼は給料日はいつも振り込まれたばかりの給料をフィリピンに住んでいるという奥さんに送金をしていたそうだ。そしてその奥さんとは一緒に生活していたことはないともっぱらの噂だった。
建築関係の現場ではないが、引っ越し会社でも働いたことがある。この会社は働きたい日の前日に電話をかけて仕事があれば翌日に印鑑だけ持って行けばいい、という日雇いの雇用だった。僕は時々ここで日雇い仕事をしていた。
そんな会社だから長期で働いている人は数人の社員だけで残りは日雇いの寄せ集めメンバーで現場に出るのが常だった。だがそのメンバーの中にも常連の、「ベテラン」といってもいいような人たちが数名いた。
そんなベテランさんたちはほとんどみんな帰る家がなかった。仕事が終わって戻ってくると彼らはぞろぞろと会社の外に出てそこかしこの段ボールハウスに戻っていった。通勤時間は1分だ。さすがベテランだけあって養生も荷物を運ぶのも熟れていて、僕みたいな体力しか取り柄のない若造とはまったく違う素晴らしく手際のいい仕事をしていた。彼らが受け取っていた日当は僕と同じ、8000円だった。
高校生の頃、清掃業者でバイトをしていた。バイトは禁止されていたのだが、家庭環境にトラブルを抱えていたので学校に申請を出してバイトが許可されていたのだ。
勤務先は赤坂にあった外資系企業の清掃だ。掃除機をかけ、ゴミ箱の中身を回収し、回収したゴミを分別する。それが毎日の仕事だ。
僕の所属していた企業の他にも何社か他の清掃業者が同じビルに入っていて、ゴミの分別の時には同じ場所で作業をするためみんな顔見知りになっていた。
いつも近くで作業をしているおじさんはいつもゴミの中から「獲物」を見つけていた。外資系企業、それも誰もが知っている有名企業の社員が出すゴミの中には、おじさんが言うところの「宝物」が入っていることがよくあるのだ。
それは未開封のチョコレート菓子だったり、もしくは少しだけ飲んで捨てられたペットボトルのジュースだったりした。その辺のコンビニやスーパーではまずお目にかかることのない、なんだか高そうなやつである。
おじさんはゴミの中から回収したそれらの「獲物」をよく食べたり飲んだりしていた。美味しそうに、顔をほころばせて。
「鈴木くんもこれ、食べてみなよ。美味しいからさ」
おじさんにそう誘われたことがある。差し出されたのは綺麗な彩りのマカロンだった。箱に入っていたもので、そのうちのいくつかだけ食べて捨てたのだろう。そして今は僕の目の前にある。
もちろん葛藤は感じた。でも疲れていた。お腹も空いていた。いつもゴミを漁るおじさんの姿を横目で見ていて感覚が麻痺していたというのもある。それになにより、自分がおじさんの好意を無下にすることでおじさんを傷つけてしまいそうで怖かった。おじさんを傷つけたという事実はこの先、自分の中の大切なもの、尊厳と呼ばれるような何かを壊してしまいそうで怖かった。
僕はお礼を言ってマカロンを口に入れた。あの味はなんだか今も忘れられずにいる。はじめて口にした残飯は、とても美味しかった。
解体現場を見ていたらなんだかいろいろなことを思い出していた。
今までに出会った名前すらもわからないのに忘れられないあの人たちは、今はどこでどんな生活をしているのだろう。みんな、貧しかった。みんな、生きていた。せめて健康で元気で、そしてできることなら少しでも幸せな暮らしをしていてほしい、そう祈るような気持ちで思う。だが知っている。その祈りはきっと届かない。
もうブルドーザーは動きを止めていた。作業員の男性はどこかへ行ってしまっていた。おじいちゃんはいまだに水を撒いている。もう陽は沈んでいた。おじいちゃんの撒く水に、虹がかかることはなかった。