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そうだ、刑務所に行こう

仕事に行きたくない。

そう思ったことがある人はたくさんいると思う。ていうか、思ったことがない人っているのだろうか。
僕はもちろんいつでも仕事に行きたくない。朝、目覚めてすぐに頭に浮かぶのは「仕事に行きたくない」、その後朝食を食べているときも歯をみがいているときも服を着るときも常に頭の片隅には「仕事に行きたくない」が鎮座している。家を出て電車は乗ってもそれは消えないし、なんなら職場に着いてからだって消えない。常に僕は「仕事に行きたくない」と嘆いている。僕に限らず世の中の人はだいたいこんな感じだと思う。
ああ、それにしても仕事に行きたくない。
この圧倒的なまでの仕事に行きたくなさはなんとか解決できないものなのだろうか。休日、酒に飲まれてアホな下ネタとかをゲラゲラ笑いながら話している時でさえ、ふとした瞬間に仕事のことが頭をかすめてしまう。そうなればさっきまでの元気はすっかりどこかへ消え失せて下ネタにも笑えなくなり、唐突に「生きる意味ってあるのかな…」みたいな話をはじめて周囲の空気を壊してしまう。
ああ、マジで仕事に行きたくねえ。
「そんなに嫌なら転職でもしたらいいじゃん」と人は言う。じゃあってことで転職をしたとしても別に何も変わらない。相変わらず仕事には行きたくない。仕事の内容を変えたところで解決はしないのだ。

どこかに答えはないものか。
そう考えて僕は部屋の片隅に積んである裁判傍聴ノートに手を伸ばした。そこで答えが見つかるわけもないのだが、僕は何かを考えようとする時にはとりあえず傍聴ノートをパラパラめくってみるのが習い性になっている。
ずいぶん前、令和2年のはじめあたりに傍聴したものを読んでいたときだ。
「仕事に行きたくなくてやりました」
という文字列が飛び込んできた。
おやおや、とページをめくる手を止める。罪名は詐欺、被告人は47歳の男性だった。
仕事に行きたくない。ではどこへ行こう。そう考えた被告人が出した答えは明快かつ斬新なものだった。
そうだ、刑務所に行こう。

高校卒業後、北海道から上京してきた彼はタクシー運転手、ラーメン店従業員などの職を転々としていた。
働くのが嫌いだった。仕事に行きたくなかった。どんな職に就いてもそれは同じだった。
そんなこと言ったって働かないと食べていかれない。わかってる。もちろんわかってる。わかっちゃいるけどそれはそれとして、とにかく仕事に行きたくなかった。
彼は職場の人間関係で揉めて仕事がイヤになることが多かったようだ。気持ちはよくわかる。僕も今まで勤めてきただいたいの職場は人間関係がイヤになって辞めている。
彼は仕事に行きたくなさがピークに達すると犯罪を犯すタイプの人だった。どんなタイプなんだよ、とは思うが実際にそういうタイプなんだからそう書く他はない。
どんな犯罪を犯すのかと言うと、金を持たずに飲食店に行って好きなだけ飲み食いしちゃうという、いわゆる「食い逃げ」だ。食い逃げは罪名としては詐欺罪になる。彼は食い逃げばかりで前科6犯を今までに積み上げ、そして7回目で僕に傍聴されるに至った。


犯行現場は大塚のネットカフェ。夜の10時過ぎ、彼はナイトパックで入店した。前払いのナイトパック料金2400円を払い個室に入った時点で彼の財布の中に入っていた現金は「28円」。電子マネーの類はなかった。
時間内に店を出てまっすぐ家に帰れば(家はときわ台だから徒歩でも1時間くらい)何の問題もない。考える時間はたっぷりある。
でも、彼はどうしても仕事に行きたくなかった。
「仕事には行きたくない。仕事に行くぐらいなら刑務所に行きたい」
どれだけ仕事に行きたくなかったというんだろう。彼の決意はまったく揺るがなかった。一晩も考える時間があるというのに一秒も考えなかった。彼はネカフェの個室に入るなりすぐ部屋に設置してある電話を手に取った。
「すいません、ラーメンお願いします」
彼は1年前に出所してきたばかり。出所後、5年以内に同種の犯行を重ねて起訴されると執行猶予はつかない(ついでに言うと「累犯」は刑期が倍になる)。この1杯のラーメンで彼の刑務所行きはほぼ確定した。


彼がネカフェに入店したのは5月28日。彼が捕まったのは5月30日、夜の10時すぎのことだった。ナイトパックで入店して丸2日ネカフェに滞在していたことになる。その間に注文した飲食物の代金は5340円、延長料金は11400円、合計で16740円。先ほども書いたが彼の財布に入っていたのは28円。言うまでもないがどう計算しても足りない。
警察に通報したのは被告人自身だ。ネカフェ生活にも飽きてきたのだろう。
「はじめから払うつもりはない。早く警察署に行きたい」
と店内から110番にかけていた。清々しいとさえ思えるほど潔い自首だ。完全に自分の都合なのに警察を急かしてるのもなかなかポイントが高い。
110番通報を受けて臨場した警察官によって彼は逮捕された。

「仕事に行きたくなくて、もう刑務所に行こうと思いました。辞めて別の仕事を探す気はありませんでした」
警察、検察の取り調べでも公判の場でも彼の供述はまったく同じだった。今回の犯行も今までと同様、「職場の人間関係」に悩んだ末の犯行だった。
だが、彼が逮捕・拘束されて裁判を待っている間に今までと違う出来事が起きた。
「こんなことで刑務所に行くことなんかない」
と、彼が人間関係に悩んでいたという職場の人たちがカンパをして被害店との示談交渉をするためのお金を集めてくれたのだ。いつもムカついて嫌っていた連中だが、実はけっこういい人たちだった。結局、示談は拒否されて起訴されることが決まったわけだが、彼は職場の人たちの行動にひどく動揺してしまっていた。
「今はどうですか? 今も刑務所に行きたいと思っていますか?」
という検察官の質問に彼は泣きじゃくりながら答えた。
「やっぱり刑務所になんか行きたくないです。たくさんの人に助けてもらってたことに気がつきました」
後の祭りではあるが、人の優しさに触れて人の優しさに気づけたことは彼にとっては収獲だったのかもしれない。少しだけ気がつくのが遅すぎたが。
「1人で生きてきたわけじゃない、とわかりました。困った時、もっとみんなに頼ればよかった…今は後悔してます」


傍聴ノートを閉じる。
彼は求刑が2年6ヶ月だった。判決もそう変わらないだろうから2年半は当初の希望通りに刑務所に行けることになる。
誰と会ってもわかりあえない、どこに行ってもここじゃない、何をしていても虚しい…そういう思考に陥りやすい傾向にあった人なのだろうと思う。さぞかししんどかったことだろう。そうして苦しむくらいなら刑務所にいた方がマシ、そう結論づけてしまう安易さを僕は咎めようとは思えない。なんとなくその気持ちがわかる自分が確かにいるからだ。
裁判所に通っているとこのように刑務所に行くために犯罪を犯す人も時々見かける。「志願兵」なんて呼ばれたりしているが、彼らにとっては自由のない刑務所内での生活の方が外よりずっと快適なのだ。

そうだ、刑務所に行こう。
そんな想いを胸に抱きながら食べるネカフェのラーメン。それはどんな味なんだろう。
すごく味気ないような気もする。でも、すごく美味しく感じるような気もする。

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