暴かれた秘密
不正に入手したカギで女性宅に無断で侵入、下着などを撮影していたとして住居侵入罪で起訴された32歳男性の被告人。
この犯行態様を聞いて、被告人に対してどのような感想を抱くだろうか。
女性の方であればまず嫌悪感を抱くと思う。男性でもそれは同じだろう。被害者のことを性慾を充たすための手段としか考えない良心の欠如した男性が性衝動に突き動かされて犯した短絡的な犯行、そんなイメージが頭に浮かぶのではないだろうか。
被害者となった女性は被告人のことをそのように見なし、被告人に対して厳罰を希望していた。事件当時、彼女は被告人と同じ会社に勤務していた。部署が違っていたためあまり接点はなかったが悪い印象もなく、まさかそんなことをする人だとは思っていなかったそうだ。それだけに事件のショックは大きく「男性が信じられなくなった」と取り調べで供述している。
被告人は何のために被害者宅に侵入したのか。
犯行態様を聞いて真っ先に思い浮かぶような、性的欲求を充たすための犯行ではなかった。たしかに被害者の下着を撮影してもいる。この点を考えれば性的な動機による犯行に違いないように思える。しかし、法廷で被告人が語っていた動機はまったく別のものだった。まずは情状証人として出廷していた被告人の妻の供述から書き起こしていく。
ーー夫が逮捕されたと聞いたとき、どう思いましたか?
「とてもショックでした。犯罪を犯すような人とは思ってなかった」
ーーはじめの容疑は、女性の下着を盗もうとしたという窃盗未遂でしたよね?
「それも驚きました。女性に対して性的な執着があるように思えなくて、どちらかというと男性の方に興味があるバイセクシュアルなのではないかと思っていました」
ーー家庭内で被告人から性的指向について聞いたことはありましたか?
「ありません」
ーーあなたからそういう話をしたことはありますか?
「ありません」
ーーではなぜ被告人がバイセクシュアルだと思っていたのですか?
「一緒に生活してる中でだんだんそう思うようになりました。テレビを観ていても男性のアイドルグループを好んで観ていたり、他の場面でも女性より男性に反応していたり…。そういうささいなことが積み重なってそう思うようになりました」
ーーどうしてこんなことをしたのかについて聞きましたか?
「はい。職場の先輩のサイトウさんに恋愛感情があって、サイトウさんと被害者が交際してるのではないかと気になってチェックするために入った、と話していました」
ーーそれを聞いてどう思いましたか?
「妻としてはショックでした。夫のことを理解できていなかったこともショックでした」
ーー今後、夫婦としてどのようにしていきますか?
「まずは、きちんと夫のことを理解するためにたくさん話し合いたいと思ってます。絶対にゼロというわけではないですが…これをもって離婚とは考えていません」
ーー今、被告人がなにか隠し事をしていると思ったりすることはありますか?
「ありません」
被告人は被害者宅に侵入し家の中を撮影してまわっていた。その画像の中には被害者の下着が映っているものもある。だが、その画像には男性用下着も映っていた。そして他の画像に収められていたのは、被害者とサイトウが2人で映っている写真を撮ったものだった。
被害者宅を物色している途中、インターホンが鳴った。帰宅した被害者が、間違いなく電気を消して家を出たはずなのに電気が点いていることを不審に思って鳴らしたのだ。このとき、捕まることを恐れた被告人がしたことはまずトイレにこもり携帯電話内の画像を消すことだった。裁判所に証拠として提出された画像はすべて、被告人が逮捕された後に捜査機関が復元したものだ。
もし捕まったとしても動機の部分を知られたくなかった。絶対に知られたくなかった。それは彼にとっては、配偶者にさえずっと打ちあけられずにいた秘密だった。絶対に守らなければならないものだった。逮捕されてから彼は警察の取り調べでこんなことを話している。
「自分の性的な部分は…気持ち悪がられるだろうし、絶対に理解されないと思っていました」
その後、被告人はトイレから出て逃走を図ったが被害者宅の外で110番通報をしていた被害者と鉢合わせた。被害者は被告人の顔も知っている。言い逃れはできない。犯行を認め謝罪をしている最中、通報を受けて臨場した警察官によって現行犯逮捕となった。
ーーなんでこんなことをしたんですか?
「私が好きな男性と被害者が交際していると噂がありました。それを確かめたくて侵入してしまいました」
ーー侵入なんてしなくても直接聞いたらいいんじゃないですか?
「何回か直接聞いてはみたんですが含みのある答え方をするばかりで…はっきりとは答えてくれませんでした」
ーーその男性とどうなりたかったんですか?
「自分を一番かわいがってほしかったです。深い関係になれたら、と思っていました」
ーーなんでその男性でなく女性の家の方に侵入したんですか?
「サイトウさんの家は遠くて…。何度か『行きたい』と言ってみたんですがその機会がありませんでした」
ーーそこがよくわからないんです。性的対象である人とそうでない人、侵入するにしても普通は男性の家に行きませんか?
「2人が付き合ってるかどうかを確かめたかっただけなので…どちらの家でもよかったです」
ーーサイトウさんに直接気持ちを伝えたりはしましたか?
「いいえ、していません。妻にも自分がバイセクシュアルであることを言えませんでした。サイトウさんにだって…とても言えません」
ーー犯罪を犯すくらいならきちんと話した方がよかったとは思いませんか?
「おっしゃる通りだと今は思います。もし話しても無碍にするような人じゃないし…」
ーー洗面所に歯ブラシが2つ置いてあるのを見たんですよね?
「はい」
ーー2人が一緒に映っている写真も見ましたよね?
「はい」
ーーもうその時点で2人が交際してることはわかったはずです。なんでわざわざ撮影までしてたんですか?
「2人がどれだけ深く付き合っているのか知りたくて…他の証拠はないかと探していました」
ーーその行為が、下着を撮るために入った、と思われても仕方がないのはわかりますよね?
「はい。でも、私が恋愛感情を抱いていたのはサイトウさんであって、被害者に性的な興味はないです」
ーー奥さんについて、今はどう思っていますか?
「私の性的指向を知ったあとでも2人の今後のことを考えてくれています。妻とは性的関係がほとんどなかったのもあって、仲のいい友達の延長のように考えていたところもありました。今は一緒に生きる大切なパートナーだと思っています。これからは自分の気持ちも考えていることもきちんと伝えていきたいと思っています」
ずっと誰にも打ち明けられなかった秘密。
それを抱えながら被告人は生きてきた。おそらくだが、彼が自分の性的指向を認め受け入れられるようになるまでにもたくさんの葛藤があったのだと思う。世間では「普通」とされる異性愛者として生きていきたい、同性に惹かれてしまう自分自身を否定したい…「自分の性的な部分は…気持ち悪がられるだろうし、絶対に理解されないと思っていました」という言葉にそんな想いが顕れている。他の誰よりも被告人本人が自分の性的指向を「気持ち悪い」と思い「理解されない」ものと認識していたようにさえ思える。そしてそのような考えは純粋に被告人の中から出てきたものではない。それは社会の中でずっと蔓延っていたものだ。実際に性的少数者が「気持ち悪い」と嘲られ「理解できない」と嗤われている場面を誰だって見たことがあるはずだ。そのような場面を目の当たりにした時に当事者が自分の当事者性を否認しようとする、当然の反応だ。だが、性的指向なんて否認しようとしたからといって否認できるものでもない。いつか無理がくる。その無理が社会を壊し自分を壊し家族を壊す結果となった、それが今回紹介した裁判の要点だと思う。自分を殺し、自分を抑圧しながら生きること。それは彼本人が選んで歩んできた道だ。だが、彼にその道を歩む選択をさせたのは誰なのか?
この文章を書いている9月23日は「バイセクシュアルの日」だ。LGBTQ+というフレーズが一般的なものになってからずいぶん経つが、その中で「バイセクシュアル」について触れられることは少ない。ただ性に対して奔放な人間、そんな偏見さえ未だにある。嘲笑の意味合いを込めた「両刀使い」なんて言葉を使う人もSNS上では散見される。
バイセクシュアルなら異性愛者として振る舞いながら生きていくこともできると思われている。そして他の属性と比較して「差別」や「偏見」にさらされることがなさそうな属性のようにも思われている。しかし、そう簡単なものでもない。なまじ「普通」を装えるだけに、自分に対しても他者に対しても偽りの姿だけを見せていられる。だがそれを続けたとき、いつしか本当の自分の姿を見失う。
LGBT関連の記事をよく書いているライターの松岡宗嗣さんによると、バイセクシュアルの人たちは「差別や偏見を感じる」「メンタルヘルス不調」を訴える割合がLGBTの中では高い傾向にあり、周囲にカミングアウトする割合ももっとも低いそうだ。