だからお前はダメなんだ

せっかくの休日。

どこかに出かけてこの1日を善き思い出にせしめようと目論み家を飛びだしたはいいが、あまりの暑さに音を上げて近所のイトーヨーカドーにいっただけですぐさま家へと舞い戻ってきてしまった。
9月も半ばだというのに暑い。暑すぎる。
私は暑さには極端に弱くできている雑魚である。なおかつ雑魚すぎて冷房も苦手という、もはやこの酷暑の島国においては生存していくことさえ危ぶまれる小動物である。かわいそうに。毎年、夏になれば夏バテでいつもぐったりしているわけだが今年のぐったり具合は例年の比ではなく、眠れない食べられない性慾も出てこないという半死半生の体で激しくぐったりしている。
家へとたどり着いた私はすぐさま冷房を付けた。冷房が苦手とか甘ったれたことを言っている場合ではない。汗が身体中からバシャバシャ噴き出している。とにもかくにもこれを鎮めなければならない。汗が引いたころにはどうせ冷房で頭とかお腹とかが痛くなるに決まっているが、それはそれでなんとかするしかない。
もうイヤだ、と思う。すごく思う。うんざりである。
汗が引きはじめて一息ついた頃、なんとなくスマホを取り出しなんとなくTwitterなんぞをチラ見してみた。するとそこには見知らぬ誰かが「暑くてなんにもやる気出ない」みたいなことを書いていた。「わかるわかるうんうんわかるわかる!!」と首をガクガクブンブンさせながらそいつのプロフィールを見、そいつの他のツイートもチェックしてみた。これだけ私が共感できる内容を書いているお方なのだ。きっと善き親友になれる、そんな希望を抱いたからだ。だがそいつのツイートを見てみると、ほぼ毎日カラスに襲われたことを報告するツイートとカラスへの呪詛を吐露するツイートで埋めつくされていて善き親友になれそうな要素は皆無、というか普通に怖かった。なんでそんなにカラスに襲撃されまくるのかは知らないが、それは暑かろうと寒かろうとやる気なんか出ないだろうよと同情した。
ここでふと考えてみる。「暑くてなんにもやる気出ない」と洩らすこのカラス被害者は、暑くなくなってやる気が出てきたら何をするのだろう。それはやっぱり、カラスへの報復とかになるのだろうか。なんだかあまり建設的な感じはしない。完全に他人事だから適当なことを言うわけだが、ケンカしないで仲良くなさいよと思ってる。
そして我が身を振り返ってみる。私はカラス被害者に激しく共感した。「暑くてなんにもやる気が出ない」は私の叫びでもあるのだ。では私は暑くなくなってやる気が出てきたら何をするのか…?


先ほどイトーヨーカドーに行った私が何をしていたのかと言うと、店内にある「お客様の声」の掲示板を盗撮していた。カラスへの報復と同様、何一つとして建設的な要素のない営みである。何も暑さのあまり発狂してそんなことをしていたわけではない。私はもう十年近く、この「お客様の声」の盗撮という営みを趣味として続けている。たとえめでたく涼しい季節が訪れてもこの行動を私は取る。
「暑くてなんにもやる気が出ない」には共感したが、もしやる気が出たとしてもろくなことはしないのだ。こんな体たらくならやる気を出そうが出すまいが結局は世のため人のためにならないのは変わらないわけで、やる気が出ないことを嘆くのは筋違いなのではないかという気さえする。
さて、この「お客様の声」というものは基本的にやる気に満ちあふれている。わざわざ店に文句をつけたい、という奇特な方が書いていらっしゃるのだ。やる気が充満していると言って過言ではない。
「そんな負のやる気なら…それこそ出さない方がいいんじゃね?」
という感想を抱く方もいるだろう。それについては私もまったくの同意見である。だが彼らもそんな負のやる気を出したくて出してるわけではなく、なんか出ちゃっただけだ。そしてそれをわざわざ発散するためにいそいそと「お客様の声」に投書している。ご苦労なことである。店の人はあんなもんはどうせ適当に流し見ているだけだろう。熱心に見ているのは、やる気の出ない私だけだ。



私がヨーカドーで撮ってきた「お客様の声」だ。
曰く、「セルフレジが開いているのに、レジの案内立っているだけ。ちゃんと案内しろよと言いました。 だからヨーカドーは低迷していると思いました。」だそうだ。
このような文面だけを見てどんな人が書いているか想像する、それが「お客様の声」の醍醐味だ。
こういうやつ、私は幾度となく出会ってきた。
まず相手に対して「〇〇だよね」と批難する。ここまではわからなくない。だがこいつはそこから続けるのだ、「だからお前は〜〜なんだ」と。
往々にして、最初の段階の批難とそれに続く決めつけ(だいたいの場合はただの人格攻撃)の間には何の因果関係もない。「だから」という接続詞を使っている以上は何か因果関係があるのではないかと言われた当初は思うものの、よく考えてみてもまったくないのが常だ。だから本来は「だから」ではなく「ところで」とかそういう話題を転換するための接続詞を使うのが正しい。上記の「お客様の声」の「だから」の部分を「ところで」に差し替えて読んで見てほしい。立派なヤバい人が誕生するわけだが、差し替える前だって完全に論理の破綻している立派なヤバい人なのだ。実は何も変わらない。そしてこの手の論理的思考の欠如した残念ちゃんというのは世の中には溢れている。
もし目の前でおっさんが「お前は〇〇だ。だからお前は〜〜だ」論を展開してきたらどう対処すべきなのか。私も若いころはヘラヘラしながら「おっしゃる通りですエヘヘへ」とか言っていた。だがこの対処は間違っていたと確信している。ではそんなおっさんが出没したならどうしたらいいのか。まあ、即座にぶん殴って黙らせるのが一番手っ取り早くていいわけだが、冷静にド詰めしていくのが正解なのだろう。
このおっさんはいつもこういう余計な一言を言いながら暮らしているのだろうか。だとするとそれはそれはひどく難儀な人生だったに違いない。周りの人間全員から疎まれ避けられているに決まっている。そんなおっさんだからこそヨーカドーの店員も「うわうわ、あいつに案内したくねえ、くさっ」と思ったのかもしれない。無理もないことだ。そして彼を嫌うのは人間ばかりでもない。どうせカラスにだって嫌われまくって日常的に襲撃されまくっている。こうして考えると、私がTwitterで見かけたカラス被害者とおっさん、同一人物なんじゃねえかという説まで浮上してきてしまう始末だ。
しかしおっさんは論理的思考能力が欠如しているので、我が身に降りかかる不幸の原因が100%自身にあることには気が付かない。そして今日も明日も、誰か自分に対して文句を言ってこなさそうなやつを選んでごちゃごちゃ言い続けるのだ。
「お前は〇〇だ、だからお前は〜〜」


毎日毎日、暑い日が続く。
こうも続けば体調も崩す。体調が崩れればやる気だって出ない。仕方のないことだ。
だが、やる気なんてのは出せばいいというものでもない。やる気に満ちあふれて書いた「お客様の声」はいつだってバカにされる。ていうか、バカにしている。やる気があるからこそ人様に余計な一言も言ってしまうというものだ。口を利く元気もないくらいに憔悴しきっていれば、少なくとも誰かに嫌な思いをさせることもない。
やる気なんてのは一長一短だ。やる気があるからいいわけではないし、やる気がないからダメなわけでもない。
だから私にお金をください。あ、間違えた。ところで私にお金をください。
暑い日ばかり、冷房代だってかかる。アイスだって食べたくなる。暑いとお金がいっぱいかかってしまうのだ。ですからどうか皆様、私にお金を恵んでください。下のサポートというところからお金をください。よろしくお願いします。

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