貴方が生まれた日、世界は歓喜の涙を流した――川島如恵留30歳によせる祝辞
のえるくん。
ようこそ30代へ。貴方が30歳を迎えるこの日を心待ちにしていました。
お誕生日なのにあまり明るい内容ではないけれど、これを語らずしてお祝いを述べることはできないと思い、一方的なカタルシスとして残すことにしました。
貴方にとって、これまでの30年はどんなものでしたか?
頭が良くて真面目で、多芸多才で、努力家で、頼りがいがあって、自己管理ができて、上品で美しくて繊細な感性があって、でもふざけるのも好きで意外と小ボケが多くて。真っ直ぐであるが故に、ちょっと不器用で。たまに周りとぶつかって。笑顔が下手で。凛としてカッコいいのに可愛くてたまらない、私の大好きな人。
そんな「川島如恵留」という人の人生は大概ハードモードで、神様からいくつもの試練を与えられているように思えます。けれど、それを物ともせず一つひとつ必死に、そして丁寧に超えようとする貴方の姿は、どんなヒーローよりも強い勇者に見えてなりません。
強いというのは、単にメンタルが強靭だったり、パワーがあったりというものではなく、弱いところも出来ないことも受け入れて、己の力で立ち向かう精神力のことを意味しています。
私は、そんな貴方に憧れていました。そんな貴方をカッコいいと思っていました。そんな貴方のようになりたいと思っていました。
けれどこの1年、29歳の貴方を見ていて感じたのは、形容しがたい不安と苦悩でした。
たくさんの機会に恵まれたおかげで、私は29歳の貴方に何度も会うことができました。貴方が作り上げた世界観を感じた日、貴方ではない人間の魂を感じた日、さらに「世界で一番大好きです」と目を見て伝えられた日のことは、今でもはっきりと覚えています。
それに加えて、個人YouTubeチャンネル「のえるの隙間時間」を開設してくれたおかげで、貴方の素に近い顔をたくさん見ることができました。エッセイの連載が始まったおかげで、のえまるとはまた雰囲気の違う貴方の考えに触れることができました。個人での、これまでにないようなお仕事もたくさんありましたね。
ただ、そんな喜ばしい瞬間も、新しい挑戦をして楽しそうにしている姿も、苦しくて力のない顔を見るたび吹き飛んでしまい、脳裏に焼き付いて離れなかったこと。正直、思い返せばそんなことばかりが浮かんできます。
これまでに比べ、否これまでにないほど、29歳の貴方は痛々しくて、危なっかしくて、壊れてしまいそうで。正直、見ていられない瞬間が何度もありました。つらくてもどかしくて、目を背けそうになる瞬間が何度もありました。
それでも、貴方が弱々しくも強くあろうとする姿を、藻掻きながら見守ってきたつもりです。祈るように手を組んで、時に涙を堪えながら見守ってきたつもりです。
なぜなら、どうしても貴方の力になりたい。貴方がもしSOSを出したならば、取りこぼすことのないよう、すべて受け止めたいと思っていたから。
のえ担は、貴方を少しでも幸せにできていましたか?
のえ担の、 貴方への気持ちは届いていましたか?
29歳の貴方の目に、のえ担はどう映っていましたか?
◇ ◇ ◇
如恵留くんがのえ担への気持ちを綴ってくれた、2022年のバレンタインデーを折に触れて思い出す。「90点以下でものえ担は僕のことを嫌いにならなかった」と(ようやく)気づいてくれた如恵留くんが、肩の力を抜いて、より自分らしく人間らしく生きることを宣言した定期更新の日のことだ。
私は、この日と2021年9月14日ののえまるを、心がざらついたときに何度も見返す癖がついている。だから、如恵留くんの様子がはっきりと変わったあの日からしばらく、それらのスクリーンショットを毎日お守りのように開いていた。
そうしないと、私の心も壊れてしまいそうだったから。チクチクと胸を刺しつづけて空いてしまった小さな穴は、やがて私自身を飲み込んでしまうような大きな穴へと変貌してしまっていた。
ゆっくりでいいから、少しでも回復するまで休養してほしい気持ちと、何かしらの発信がないと落ち着かない気持ちがせめぎ合いながら、結局のところ「のえまる更新あるかな」「お知らせとかで姿見れるかな」と、自分の心の安寧を保つことすら依存してしまう、そんな自分が恥ずかしくて情けなくて、不甲斐ない。
極度の心配性で神経質で考え込みやすい私は、動物に分類される種族を愛することに膨大なエネルギーを消費する。大好きな人や愛犬をはじめとした動物たちのことが、常に心配で心配でたまらないからだ。いつも杞憂に終わるのに、フィクションでさえも気持ちを引っ張られてしまう私だから、認知行動療法は一向に結果が出ない。
「何かあったの?」「大丈夫なの?」の妄想は、大きく広がりながら、やがて私を蝕み真っ暗闇に引きずり込んでいく。こわい。こわくてたまらない。けれど、相手からしてみればはた迷惑な話だ。一方的に焦って不安になって、何だか相手に罪悪感を植えつけるようで、落ち着いたころ途端に申し訳なくなる。
私は、こんな私のことが、子どものころから大人になった今も大嫌いだ。
つまり何が言いたいかというと、明らかに空元気なのが分かったときや絵文字がなくなったときはもちろん、デビュー日を境にのえまるの更新頻度と内容が一変したことで「今の如恵留くん」を知る術を急に失い、何だか正体の分からない不安という怪物に襲われてしまっていたのである。それはもう、日常に影響を及ぼすほどに。
こんなファンはいらないよね。こんな私はファンでいる資格なんかないよね。如恵留くんにとって負担にしかならないよね――どんどんそんな風にしか思えなくなって、悲しくてやりきれない日々が続いていた。
如恵留くんを見て得体の知れない不安に襲われたのは、年明けすぐのこと。CDTVに出演していたTravis Japanを見て「何か如恵留くんフラフラしてる」と感じた。だからもう私はほぼ丸1年、ずっと心に靄がかかっていたことになる。
たぶんツアーのことでものすごく疲れてて、ごはんもまともに食べてなくて、ほっぺも家出してたからだろうけれど、あんなに不安を感じたのは初めてだった。
「如恵留くん大丈夫かな、倒れないかな」と心配になって落ち込んでしまう。元気な姿を見ても安心しきれない。そんな自分に何度も嫌気がさし、のえ担としての自信をどんどん失い、如恵留くんの顔と名前を見るのが苦しい日さえあった。
それからも本当に、本当にいろいろあった。いろんなことが、いろんな角度から。分かってたけど、そっと蓋をした。のえ担も。そしてたぶん本人も。否、蓋をしたくなくても、せざるを得ないのだ。SNSとYahoo! JAPANはもう見ないことにした。
私が中学校に上がるころは、まさにインターネット社会への過渡期だった。初めてパソコンが家に来たときにはすぐに夢中になったし、特にブログは大好きで、今こうしてnoteを書いているのも、あの頃の楽しさが忘れられないからかもしれない。
けれど今の私はネットの弊害ばかりが目に付いてしまう。Xのオープンアカウントに投稿したり、リプライを送ったり、InstagramやYouTubeのコメント欄に書き込んだり。そういう、如恵留くんの目に触れる可能性が少しでもあるものに対して、今まで以上に恐怖が纏わりつき、慎重になった。何度もネット社会なんて終焉すればいいのに、なんて思った。
過去に私が生み出した言葉によって、知らず知らずのうちに彼を傷つけたことがあったかもしれない。負担になったことがあったかもしれない。簡単に本人に届いてしまう時代、そういう可能性だって十分にありえる。というか、もう既に絶対届いてる。なぜなら、それらのツールはすべてそういうものだからだ。何をいまさら。
如恵留くんは、私のことを知らない。顔も名前も知らない。でも、私の言葉は知っているかもしれない。
そう考えると、如恵留くんを好きになった日から順調に上りつづけていた足元の階段が、真っ暗闇の中でガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に襲われた。
如恵留くんはあるとき「もうエゴサはやめた」と言った。だったら以前の彼は一体、「如恵留」「のえる」「如恵留くん」「のえるくん」「如恵留さん」「のえさん」「のんのん」「のえ」「川島如恵留」……どんな呼び方でエゴサーチをしていたのだろうか。
どんな言葉で、のえ担の、のえ担以外の、トラジャ担の、トラジャ担以外の発する想いを探っていたのだろうか。
どんな気持ちで、その言葉を受け取っていたのだろうか。
私は、私の気持ちを如恵留くんに伝えたくなかった。見られたくなかった。誰にも見られたくなかった。誰のことも見たくなかった。私のようなファンが存在するなんて、如恵留くんにも、誰にも知られたくないと思った。
それでも何とか起き上がって、伝えようでも届けようでもなく、見守ろうと踏ん張ったのは「やっぱり私もちゃんと、如恵留くんが愛してくれる〈のえ担〉になりたい」という強い想いがあったから。ここで目をそらしてしまえば、私は二度とのえ担に戻れないだろうと思ったから。
私にとって、のえ担でいられなくなることは何より怖いことだったからだ。
◇ ◇ ◇
のえるくん。
アイドルという仕事は、私たちの想像も及ばないほど大変なものでしょう。どんなに辛いことがあっても笑顔で人前に立つ、というのは並大抵の精神力では不可能です。一般人にとって、そんなときは普通に家族と話をするのさえ難しいこともあるというのに。それでも貴方は、アイドルという仕事が天職だと言います。アイドルという仕事が大好きだと言います。
貴方が29歳も終わりに近づいたあの日、「生配信をお休みする」という選択をとったとき、もちろん心配もしたけれど、同時にちょっとだけ安心しました。
3日後にステージを控えていることも大きく関係していたかもしれませんが、貴方がこれほど大切しているグループの、大切なデビュー日の生配信にお休みするなんて、よほどの不調なのだろうとは思いました。体かもしれない、心かもしれない、もしくは両方かもしれない。動揺は隠せませんでした。
それでも、きちんと「休む」という選択肢が与えられ、貴方がそれを選んだことが、途轍もなく嬉しかったのです。
貴方のSOSが、受け止めてもらえたような気がしたからです。
ここ最近の様子や、のえまるの更新が止まったこともあって心配で心配でたまらず、吸血鬼のパフォーマンスを見たとて安心できなかったのは事実です。だけど、それ以上に貴方の魂の叫びを見たような気がします。「過去の自分からのアップデート」というのが技術面だけでなく精神面の部分にも表れていて、「川島如恵留」の生き様の進化そのものを、まざまざと見せつけられたような時間でした。
たくさんの人が「如恵留くん苦しいよ」「如恵留くん助けて」「如恵留くんどうしたらいい?」とSOSを出して、貴方を心の拠り所にしています。そして貴方は、それに応えてくれています。ファンとしてはとても救われるし、ありがたいことです。貴方を好きになってよかったと思う瞬間の一つです。
でも、ものすごく無理しちゃう貴方は、苦しいときにちゃんとSOSを出せるのでしょうか。
貴方が発信する言葉の数々は、誰しもが持つデリケートな部分とかグロテスクな部分とか、そういう人間のダークサイドをちゃんと理解しているからこそ生まれるものばかりです。そんな貴方がもし、自分では抱えきれないほどの困難を与えられたときに、一体どうするのでしょうか。
私は、常々それが不安でたまりませんでした。そうやって、じわじわと人知れず心と体を壊していくことが多いから。
でも、この期間に感じたのは、貴方はきっと上手に自分のご機嫌を自分で取り、自分で傷を癒す方法を知っている。たとえ何もかもが分からなくなっても、貴方は誰より自分のことを信じている。たぶん、そうなんだろう、ということです。
だからやっぱり貴方は「強い人」なのです。だからやっぱり貴方は「カッコいい人」なのです。
貴方はアイドルだけれど、決して信仰の対象となるような偶像ではありません。否、崇拝されるならまだしも、まるで人権がないかのように扱われていいはずがない。貴方は、私たちと同じように悩み、同じように苦しみ、同じように日々心も体も変化している人間です。
貴方の苦しみは明らかに滲み出ていたものの、その原因が何なのか分かるわけもないし、分かりたいとも思わないし、分かったような顔をするつもりもありません。それは、私たちには知る必要のないことだと思うからです。仮に知ったからといって、貴方にしか分からないことだと思うからです。
だけどもし、貴方がのえ担に「苦しい助けて疲れた休みたい」とSOSを出したときには「わぁ~~~かってるよ如恵留! 大丈夫だ、オメェの好きにしろ~~!」と、どーんと構えられるようになりたい。そういうのえ担に、私はなりたい。そう思いつづけています。
貴方はいつか、「デビューというのはファンとの結婚」だと言っていましたよね。ならば、貴方のファンでいるということはつまり、健やかなるときだけではなく、病めるときも貴方を愛する覚悟が必要になる。
カッコ悪い姿や、ちょっぴりおバカな姿を見て「どんな如恵留くんだって大好きだよぉ」とニコニコふにゃふにゃしていた頃の私は、そんなことにすら気づけませんでした。「強い人」である貴方に、私たちの目に見えて「病めるとき」はないと、どこかで思い込んでいたのかもしれません。
だからこそこの約1年は、のえ担としての私にとって暗く苦しい日々となってしまいました。
今こそ貴方に支えてもらうだけではなく、貴方に依存せず自立するだけでなく、貴方を支えられる力を身につけなければならないのかもしれません。貴方からのSOSをキャッチしたとき、「如恵留くん…どうしたんだろう…」とめそめそするのではなく、見守り体制に入ることができるように。
それは、痛みを伴う長いトレーニングになるかもしれません。ただ、いい加減いい大人な私は、オタクとしての心持ちを成長させなければならないフェーズなのだなと感じています。
けれど、アイドルとファンという関係である以上、心配性で神経質で考え込みやすい私は、これからも貴方に対して様々な感情を抱いていくのでしょう。
それでも、貴方が辿るアイドル人生を、「川島如恵留」の人生を、陰ながら見守りつづけたいと願っています。理由は単純です。如恵留くんが、本当に本当に大好きだから。それ以上も以下もありません。
30代。自分でもショックを受けるくらい体力は落ちるし、回復もしないし、諦めることもたくさんあるし、いろんなところで20代とは違うと感じることが増えました。ライブで2時間立っていると、トラジャコールは座らないと出来なくなりました(単に私が運動不足という説)。
でも、衒いが消える瞬間も増えました。「これは自分の不得意なことだから仕方ない」と受け入れられることも増えました。「これもまた人生」と思えることも増えました。年を重ねることも悪くないなと思えることも増えました。
貴方もきっと面白い30代を過ごしていくことと思います。良いことも悪いことも経験し、たくさんの気づきを得るのでしょう。出来ることと出来ないことが、今以上にはっきりするかもしれません。それでも「まぁいっか」と思えるようになるかもしれません。
顔のシワや白髪とともに深みが増し、カッコよく年を重ねていく姿を見るのが、本当に楽しみです。
ただし、一つだけ言わせていただくと、料理をするのに、美味しいものは好きというのに、食に興味がないのは心配になります。本当に。まじで。ガチで。30歳を過ぎると食生活がフィジカルにもメンタルにもダイレクトに影響するので、からあげクンやグミだけで過ごすとかいうのだけは本当にやめてください。
貴方には、ずっとずっと健やかに生きていてもらいたいから。
◇ ◇ ◇
のえるくん。
29歳の誕生日に本を出したいという夢を口にした貴方は、30歳の誕生日である今日、ついにその夢を叶えます。これからの貴方は、一体どれだけの夢を叶えていくのでしょうか。どんなふうに年を重ね、どんなことを考え、何を選んで生きていくのでしょうか。
30代、40代、50代……その先もずっと、貴方が歩む道の端っこに、ちょこんとのえ担の存在があればいいなぁなんて、そんなことをひっそり願っています。
貴方の目に、たくさんののえ担が放つ輝きが映りますように。
貴方の耳に、たくさんの歓声と祝福が届きますように。
貴方の心に、たくさんの愛と希望が運ばれますように。
貴方の人生に、たくさんの幸せが降り注ぎますように。
大好きな川島如恵留くん。
生きててくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
30歳のお誕生日おめでとう。
Yours ever,
Nov. 22nd , 2024