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It's been 2 years since I decited to protect Travis Japan ; トラジャへの想いは変わることなく

呆然としながら玄関を開け「ただいま」と小さくつぶやいた瞬間、ぼたぼたと音がするほど涙が出てきたことに自分でも驚いた。

わたしは今、何を見てきたんだろうか。

自分のキャパシティを超えるほどの出来事に直面したとき、人間の思考は停止し、身体反応にまで影響を及ぼす。それがどんなに最高な出来事だったとしてもだ。オーバーヒートする頭で、必死にTravis Japanを好きになった当時のことを思い出していた。

やっぱりわたしは、とんでもないグループを好きになってしまったようだ。

◇ ◇ ◇

2024年2月22、23日。お昼ごはんにとびっきりのご馳走を平らげたばかりのわたしと友人は、Travis Japan Concert Tour 2024 Road to Authenticity 大阪公演への道すがら、「なんかめちゃくちゃ緊張しない?」と誰がどう見ても浮かれながら歩いていた。

今から大好きな人がいる大好きな空間に行く、それだけで普通の街並みだってキラキラ輝いてみえるから不思議なものである。
ビルと人波の間を「なんかテーマパークみたい!」などとふざけたことを言いながらすり抜けていく。「もういい年なんだから、公共の場ではちゃんとしようね!」と牽制しあったものの、その足は今にもスキップしそうなほど浮足立っていた。

小躍りしながらヘアメイクを完了させ、ピークにご機嫌だったわたしたち。本屋にまで寄る余裕もあり、「トラジャ♪トラジャ♪」とウキウキしながら「良い席だといいね~♡」「ネタバレ回避してきたから楽しみ~♡」「今日も自担が尊い!!!」とよくあるライブ前無敵スター状態のオタク全開だったときは、まさかその夜にあんなことになるとは思っていなかった。

IQ2のロマンティック浮かれモードで参戦した1年ぶりのコンサート。レポートしつつ、ああだこうだと語りたいところだが正直に言うと初見の日の記憶はほとんどない。しかも体感時間は多く見積もっても20分くらいなものだった。

あまりの衝撃に頭がショートしてしまったのだと思う。「楽しい!」とか「素晴らしい!」とか、そんな言葉では表せられない。感動した?いや違う。胸が熱くなる?それもまた違う。

わたしは、自分が陥ったこの状態を表す言葉を未だに見つけることができていない。

わたしと友人は先述のように2人ともネタバレを回避するタイプだったので、「え、最初何だった?」と帰り道に初めてセトリを検索した。音楽配信サービスでプレイリストを作ってみるものの、全くと言っていいほど思い出せない。こんなことは初めてだった。

トラジャの一番の魅力はコンサートにある。それはわたしがここで熱く語るまでもなくトラジャ担の間では自明なことだし、多くのメディアで彼らのパフォーマンスについて触れられている。その素晴らしさは語るよりも実際に見てもらった方が早いと思うほどで、それは他G担の方々から「トラジャってすごいね」と言われることが格段に増えたことからも明らかだ。

トラジャ担である以上、むしろそれを享受するためにチケットを取っているのだが、それでも「一体わたしは今、何を見たんだ?」と茫然自失になるほど、畏怖さえ覚えるようなステージだった。

かなり体に力が入っていたようで、終わった瞬間ドッと倒れ込んでしまうような疲労感に襲われてしばらく動けなかった。自分が今どこを歩いているのか分からず、どうやって駅にたどり着いたのかも朧げだった。全身の血が沸騰したかのようにドクドクと脈を打ち、ずっと体が火照っていた。

圧倒されるとはこういうことかと、ぼーっと眺める帰り道の車窓の外に彼らの残像を見た。

思い出すことと言えば、隣の友人が自担を見て「かわいい!かわいい!!かわいいいいい!!!!」とずっとぴょこぴょこしていたことだけだ。ああ、あと何度かモニターを見てはお互いの手を握り合っていたな。だって如恵留くん、ずっとかっこよかったんだもん。恋だよあんなの。

そうして気づけばいつの間にか家に着いており、冒頭のように玄関を開けた瞬間ぼたぼたと涙が溢れて止まらなくなったのである。そのままお風呂に入ってもまだ泣き続けた。何で泣いているのか分からない。でもその涙は、自らの意思で止められるようなものではなかった。この2日間は本当は夢で、このまま寝てしまったら逆にわたしは夢から醒めてしまうのかもしれない、と思いながら恐る恐る眠った。

ありがたいことに席は良かったと思う。だけど決してそれだけじゃない。あの場にいたのは、7つの強烈なエネルギーの集合体だった。きっと彼らの放つエネルギーに当てられ意識が朦朧としてしまったのだと思う。そういえば、わたしは人生ではじめてコンサート中に頭痛薬を飲んだ。おいおい、興奮しすぎだよ。

好きな人に会いに行くんだから、できるだけ近づきたいなぁって。わたしのことを見てくれたらいいなぁって。他の人にファンサしてるのを見てしまったら、ちょっと嫉妬するなぁって。そういう気持ちもそりゃある。だって人間だもの。だって好きな人だもの。

でもそんなのはもうどうでもいいと思った。いやどうでもよくはない。だけど、だけどそうじゃなくて。

強い強い磁力を放つ彼らに引き寄せられ、ここに来てしまったのだと思った。もはやそこに自分の意思は存在していないかのように。例えどんなに抗っても彼らの引力に勝つことはできない、そんな気持ちだった。

◇ ◇ ◇

わたしは昨年の初夏ごろにnoteを書いてからというもの、もう何も書けない、いや書くことはないと思っていた。自分で「こういうシリーズ書きたい~!」と意気揚々と公開してしまったにも関わらず。こんなにnoteを書くことが好きなのに。
その理由はあの期間にある。何がとは言わない。ただひたすらにしんどかった。毎日地獄のようだった。否、正直いまも地獄みたいだ。

ただでさえ疲れやすく、適正な距離を置きはじめていたネット社会。どこに敵がいるかも分からない中で、どこにどんな考えを持っている人がいるのか分からない中で、自分の心の置き所も見失いそうになった。
何を書いても間違いな気がするし、何を書いても自分の正義を振りかざしてしまうような気がする。何を書いても自分の本音と異なっているような気がする。

これはちょうど2年前、トラジャが留学を発表した日に感じた雰囲気と似て非なるものだ。

好きな人を好きというだけなのに、好きな人をただ励ましたいだけなのに、あれほど真っ黒な空気が漂ってくるのは未だかつて経験したことがない。そんなことは後にも先にも今だけの辛抱だと願いたい。

明けない夜はない。止まない雨もない。そうは言うけれど、その夜をどう過ごしたらいいのか、誰が一緒に過ごしてくれるのか。傘はいつまで差したらいいのか、誰が効果的な差し方を教えてくれるのか。

彼らは大丈夫か、彼らの心を救ってくれる人はいるのか。今なにを考えているだろうか。どう感じているだろうか。わたしたちのことを頼ってくれるだろうか。あなたを、あなたたちを守りたいという気持ちに噓偽りがないことを信じてくれるだろうか。

小さなシェルターへ自担と一緒に逃げられたら、どんなに楽だろうかと思っていた。そんなことをずっとずっと考えていたから、彼らの顔を真っ直ぐ見ること、彼らと顔を合わせることが怖くてたまらなくなっていたのかもしれない。

彼らをどうしても守りたい、その思いから顔を背けることは決してなかった。それでも、少しだけズラしてしまっていた視線を戻してみると、Travis Japanは堂々とそこに立っていた。

この期間、様々なイベントに参加する中で色眼鏡は少なからずあったのだろう。ただトラジャを見てほしい、トラジャだけを見て判断してほしい。そんな願いとは裏腹に、心ない言葉を目にすることもあっただろうと察する。
こんなときでも声をかけてくださった方々には本当に感謝しかない。トラジャを見てくださったことが有り難くてたまらなかった。そして彼らも、その気持ちが全力のパフォーマンスを引き出していたように思う。恐らく。

アウェイな中でも自分たちのできる最上級のパフォーマンスを披露することは、彼らはアメリカ留学の中で培っていた。伊達にたくさんの苦労をしていない。伊達に長い間Jr.として活動していない。彼らが積み上げてきたものは、誰にも壊させやしない。

わたしはちょっと過保護になりすぎていたかもしれないと思った。心配しすぎるというのは結局彼らを見くびって、信頼していないことになるのかもなと反省した。

彼らは最初から、しっかりと自分たちの足で立っている。だったら、こっちが自信を持たなければ。トラジャを支えたいんでしょ、そういうトラジャ担でいたいんでしょ。だったらしっかり立て!不安になるな!トラジャだけ見てろ!!!

「トラジャを、売りたい。」そうだ、わたしたちのトラジャってすごいんだぞ!って世の中に見せつけたかったんだよな。

あのときの思いが、まざまざと蘇ってくるようだった。

◇ ◇ ◇

今回のライブは、わたしの愛してやまない川島如恵留くんが総合演出を担当している。改めて思い出しながら、お土産も見ながら、感想を一言で表すならば「わたしの見たかったトラジャ」だった。言い換えるならば、如恵留くんと「〈Travis Japan〉に対する解釈が一致した」ということになろうか。

あくまで個人的な印象ではあるが、「今のトラジャはこう魅せる」というのと「今のトラジャはこう見える」というのが重なったように思えたのだ。

彼らのコンサートへの情熱は凄まじく気迫に満ちていると同時に、アメリカ留学で学んだ「自分たちが一番その場を楽しむこと」が最重要だと語る。そんな彼らのステージは、もはや職人芸だ。
(あと本気で全員ビジュが神がかっている。何度でも言おう。Travis Japanはビジュがいい。これは真理である)

とにかく息つく間もないほどの構成。それによって近づいたファンとの距離。どんどん進化する既存曲。ようやくコンサートで聴けたアルバム収録曲。ユニット曲で魅せた新たな可能性。お土産。新曲の発表。ニャンニャンの日まで、どこをとってもずっと楽しくて鳥肌が止まらなかった。いやすごすぎん?うちらのトラジャ。

でも彼らにとってはきっと、これでもまだまだなレベルなのだろう。なぜならトラジャは毎度毎度、これは史上最高すぎる!と思われた前回を大きく更新してくるからだ。

わたしが初めて見たコンサートは友人に布教してもらった『ぷれぜんと』なのでそこからの話にはなるが、そこですでにグループとしての型は出来上がっていたと思う。あのときも「え~!?何このグループ、本当にJr.!?」という衝撃に襲われた。「これがTravis Japanか…すごいな…」と、まんまと布教に成功し、即情報局に入ったわたしをニンマリと見つめた友人に大変な感謝を申し上げた。

しっかりとグループのカラーを分かった上でファンになったつもりだったが、そんなわたしの認識はペラッペラだったことをここから見せつけられることになる。

憎き流行病のせいで流れに流れてしまった翌年の『ENTER 1234567』では、配信での演出も完璧にしているばかりか表現力も格段に上がっていたのでさすがソロコンを経験しただけある…と感心し、さらに翌年の『IMAGE NATION』通称賛成コンは「まだこんなポテンシャル眠っていたのかよ、お前たちは…」とどこかのプロデューサーみたいな気持ちになった。

満を持して行われたデビューコンサート『THE SHOW』は「おい見ろよ!これがわたしたちのトラジャなんだぜ!!!」と世界中に吹聴して回りたくなった。今思い出しても興奮するくらい本当に本当にかっこよかった。

それでも、まだまだ彼らの進化は止まらなかった。
ちゃかは過去に語っている、「現状維持は退化だと思っている」と。であれば、もう「今回が1番!」ではなく「今年は去年のあれを超えてくんの?やばない?」と毎年相当な覚悟を携えて参らねばなるまい。

今回の全国ツアーはファーストアルバム『Road to A』を引っ提げた「アルバムツアー」であり、初めて全編自分たちの楽曲だけで作り上げられた、文字通り完璧な〈Travis Japanのコンサート〉だった。

先輩たちの後ろで修行を積み、伝統を丁寧に受け継いできた十数年。ここに来てトラジャは、ようやく〈コンサート〉を完全に自分たちのものにしたのだ。

わたしの受けた衝撃波の正体が、如恵留くんのいう「技術は二の次、まずはパッション」を実際に感覚として経験したものだと理解したのは、コンサートから一週間も経ってからのことだった。なんと恐ろしい。

やっぱりわたしは、とんでもないグループを好きになってしまったようだ。

◇ ◇ ◇

トラジャはもはや貫禄すらあるが、一応デビュー2年目の新人である。しかしメンバーは全員大器晩成型で、一般社会においても彼らの年ではもう次のステップへの方向性を考える時期に突入していることが多い。

だから彼らが新人として過ごせる時間は、あまりにも短いのではないかと思う。パフォーマンスは最強でも、バラエティー等々ではもっと結果を出さないといけないかもしれない(でも個人的に、その立ち位置は正直そこまで必要かなぁ…?と思ったりもする。あくまで個人の見解だが)。世界でのプロモーション活動にしても、体力的なところを考えるとあまり長く飛び続けることは難しいだろう。

いや分かっている、今頑張らないでどうするんだと。でも、老婆心ながら今あまり頑張りすぎないでほしいという願いもあるのも事実。オタクは自担の健康が何よりも心配なのだよ。それも分かってくれよな(と大人たちに告ぐ)。

いくら彼らがタフとはいえ人間である。コンプラなんて皆無だった頃に比べたらまだマシかもしれないが、それでも普通ではない芸能界。これまでたくさん限界突破をしてきたと思う。心と体の休息はきちんと取れるようにしてもらえると、応援している身としてもありがたい(と大人たちに告ぐ)。

無理はさせないでもらいたい。壊さないでもらいたい。大切にしてもらいたい。

わたし個人としての願いは「細くてもいいから永く続いてほしい」である。確かに彼らのエネルギーは強いけれど、だからといって爆発的な人気にならなくてもいい。じわじわと火を育てていく焚き火のように穏やかに燃え続けてほしい。

今日3月3日はTravis Japanがアメリカ留学を発表してからちょうど2年の記念日である。あの日からいろんなことが変わったように見えて、何も変わっていないものもある。Travis Japanという存在がそこにあること、そしてTravis Japanが大好きだという気持ちが常に存在していること。

Travis Japanが考えるエンターテインメントを、Travis Japanが納得する形で、Travis Japanの手で届け続けてほしい。

彼らの愛する〈Travis Japan〉を、わたしたちの愛する〈Travis Japan〉を、どうかこの宝物を、末永く。

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