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三河国二宮「知立神社」祭神考

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三河国二宮「知立神社」(愛知県知立市西町神田)の御祭神は、公式サイトや由緒書には次のようにある。

主祭神  :鸕鷀草葺不合尊
主祭神の父:彦火火出見尊(山幸彦)
主祭神の母:玉依比売命
主祭神の子:神倭磐余彦尊(神武天皇)

 知立神社は、砥鹿神社(御祭神:大己貴命)同様、国造神主なので、主祭神が国魂・大己貴命で、初代三河国造・知波夜命を合祀している、もしくは大国主命&少彦名命(愛知県知多郡武豊町東大高池田にある垂仁天皇26年(紀元前4年)創建の知里付神社の祭神)かと思いきや、違った。(御祭神を「日向三代」(瓊瓊杵尊、火折尊、鸕鶿草葺不合尊)としないところに海人族の祖母山信仰の影響が見られる。)
 この理由を公式サイトでは「第12代景行天皇の時、日本武尊が天皇の命を受けて東国平定の折、当地において皇祖の神々に平定の成功を祈願し、無事その務を果たした故」としている。つまり、大和政権の意向の大国主命でも、三河国造の意向の知波夜命でもないのは、日本武尊の意向だからとする。(史実は、鸕鷀草葺不合尊の子孫・伊知理生の意向であろう。)
 日本武尊が尾張国から三河国に入った時、雲となって現れ、海を鳴らして歓迎した神がいた。日本武尊が名を聞くと「知波夜命」と答え、その場所の地名が「鳴海」となった。(日本武尊の東征は、父・景行天皇の御宇の話であり、知波夜命を国造に指名したのは、日本武尊の弟・成務天皇であるから、知波夜命は、まだ三河国造でも、神でもないので、知立神社に祀られなかったのであろう。)

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